第64話 出し物の目玉は

「招待券の提出をお願いします……はい、確認しました。ありがとうございます。どうぞ学園祭をお楽しみ下さい」

 教師に微笑まれ、亘は堂々と星稜学園へと足を踏み入れた。七海の通う学校であり、そして確率論的には亘に一目ぼれする女の子が居るかもしれない場所である。

 ゴクリと緊張の唾を呑み、亘は何となくネクタイをきゅっと絞め直す。渋いニヒルな大人の男のつもりで選んだ背広姿だ。

 ゆったりと周囲を見回す。


 校門を入った正面に細い植栽帯があり、一番手前に銅像がある。きっと創設者の象だろうが、段ボールの張りぼての光背や袈裟が付け加えられており、毛のない滑らかな頭部もあって、まるで仏像のようだった。

 その中央の植栽帯を挟んだ両脇に道があり、校舎まで真っすぐに伸びている。そこは大勢の生徒たちでごった返しており、賑やかな声をあげる模擬店が立ち並ぶ。定番の焼きそばや飲み物の販売。餅つきや細工飴、ヨーヨー釣りなどまるで縁日の屋台のようだが、生徒たちやPTAの自演によるものだ。

 今日ばかりは買い食いを許された生徒たちが笑い騒ぎ走り回る。生徒会執行部のタスキをかけた生徒が募金活動に勤しんでいるかと思えば、バレエの仮装をした男子生徒がプラカードを持ちながら行進している。またはお立ち台で演説ぽい主張をしている者もいる。

 その雰囲気はまさしく祭だ。

 浮き立って賑やかな雰囲気を差し引いても自由で楽しげな良い学校だと察せられる。一番の根拠は生徒たちの顔で、どの生徒を見ても明るい素直な顔をしていた。


 亘が雰囲気に浸っていると、一足遅れで入場してきたチャラ夫が追いついて来た。

「兄貴、すんません。お待たせしたっす」

 手際の悪いことに招待券を出すのに手間取り、足止めされていたのだ。服のあちこちに手をやり、ポケットを裏返してまで慌てる様子に、薄情な亘は他人のふりをして先に入場していたのだった。

 チャラ夫は悪びれもせず、頭を掻きながらテヘへと笑っている。

「いやー、無くしたら駄目と思って、内ポケットに仕舞い込んだのが敗因っすね。お待たせして申し訳ないっす」

「別に構わんさ、特に急いでるわけでもないからな」

「そんなことないっす急ぐっす! 俺っちを待っているかもしれない出会いが、待ちくたびれてるっすよ」

「……まずは七海に挨拶をしようか。あとだな、七海の紹介で入場したから七海に迷惑をかけるような真似は慎めよ」

「もちろんっす。さあさあ、早いとこ七海ちゃんとこに行くっす! 二年のB組って話なんすが、場所はどこっすかね。あっ、あそこに案内図があるっす! それ行け!」

 相変わらず騒々しいチャラ夫は手書きの案内看板を見つけ、タッタカ駆けていった。

 亘はやれやれと首を振ってみせる。実に落ち着きがない。こんな子供っぽく騒々しくては、出会いの方から逃げていくに違いないだろう。大人の余裕、ニヒルでダンディな雰囲気のつもりで、亘はゆっくりとした足取りでチャラ夫のあとを追った。


 案内図によると、中央に中庭がありそれを囲むように校舎が建っている。七海の教室は二階に上がって反対側に位置するようだ。

「ココがアレだから、ソコから上がって左行って?いや右っすか? それともアッチの階段?」

「ああもういいぞ。チャラ夫は考えなくていいから後を付いてこいよ」

「あざーっす」

 確かに分かりにくい案内図だが、そこまで悩む程ではない。大声で経路を悩むチャラ夫が恥ずかしいので、亘は先導をかって出た。タダでさえ目立っているのに、チャラ夫の騒ぎでますます目立っている。

 ここに居るのは、当然だが制服姿の生徒たちばかりだ。その中で、背広姿の亘と私服姿のチャラ夫は白ヤギの中の黒ヤギぐらい目立っていた。そんな見慣れない存在に対する奇異の目が向けられているのだ。

「これは一%の確率もないかもしれないな……」

「確率って何すか?」

「何でもない気にするな」

 集団に属さない異物に対する隔意に敏感な亘はため息をついた。元から積極性がない性格なので、出会いを求める積極モードから待ち受けモードにトーンダウンしてしまう。こんな雰囲気の中で出会いを求める根性があったなら、とっくに彼女ができて結婚までしていたに違いない。

 階段を上がり二年B組へと向かう。

「おっ、あそこが二年B組っすね。なーんか妙に混んでないっすか」

 チャラ夫が指さす先で、他と比べ一際混雑する教室があった。

 段ボール製の手作り感溢れる看板には『喫茶店』とあり、混雑するだけの特別感はなさそうだ。けれど廊下にまで行列ができており、並ばねば中には入れない。しかし用があるのは七海であって喫茶店ではないのだ。

「どうしたものかな」

 亘は腕組みをして悩んだが、行列して近づけない入口の代わりに、出口と書かれた側から中の様子を伺うことにした。

 どうせ背広姿で目立っているので、こうなったら悪目立ちついでだ。


 その出口からざっと教室の中を覗き込む。懐かしさすら感じる黒板に黒板消しやチョーク。箱形スピーカーや、スチール製の机や椅子など他ではお目にかかれない品々がある。

 もっとも今は喫茶店ということで、黒板にはポップな文字でメニューが描かれているし、スピーカーは紙花で飾られ天井には紙鎖が吊るされている。

 机や椅子は島状に固められテーブルとなって、お客の生徒が食事中だ。

 そして窓側の一角には、胸ほどの高さの段ボール壁で囲われた場所があって、そこが調理スペースらしい。そこで忙しなく動く生徒たちの様子が見て取れた。

「おっ、七海だ」

 ちょうどそこから七海が出てきた。

 簡単なパンケーキとジュースを載せたお盆を運んでいる。セーラー服の上に空色のエプロンをキュッとしているせいで、余計に胸の形がはっきり分かる。続いて現れた女子生徒と比べると、そのサイズ差が良くわかってしまう。

 そのため配膳される男子生徒ときたら、だらしなく顔を緩ませ視線は七海の胸へ釘づけだ。

 バカだなと亘は呆れてしまう。そんな視線は相手にも周囲にも丸わかりだ。目先の誘惑に流され、自分の評価を下げてしまうだけだろう。もっとも、他の男子生徒たちも同じような顔なので問題ないかもしれないが。


 そんな視線に晒される七海は硬い笑顔でペコリと頭を下げ、逃げるように段ボール囲いへと小走りで戻っていく。おかげで出口から覗いている亘の姿に気づく様子はなかった。

「むう……」

 亘はひと唸りした。

 気付いて貰うにはどうすべきか思案していると、段ボール囲いに戻った七海にイケメン男子生徒がせっせと話しかける様子に気付いた。キラッとした爽やかなイケメンスマイルに、七海も笑顔で応えている。端から見るとお似合いなカップルといった感じだ。

 なんだか無性に黒板を爪で引っ掻いてやりたくなるではないか。

「……っと、いかんいかん」

 七海には七海の交友関係があるのだ。そこに三十五歳のオッサンが入り込んで、嫉妬めいた感情を持つ方が間違っている。亘は己を戒めた。

 こうなると、どうやって声をかけるか悩みどころだ。ズカズカと教室に入り込むのも、大声で呼ぶのもやりづらい。七海が気付いてくれるのが一番だが、忙しそうでそれは難しいだろう。

「兄貴、どうするっすか。俺っちが呼ぶっすか?」

「お前だと大声で呼ぶだけだろ。そりゃ迷惑ってもんだ。まあ任せなさい」

 偉そうに言いながら亘は電話をコールした。

 イケメンと会話していた七海がハッとなり、慌ててスマホを取り出す様子が見えた。画面を確認して顔を綻ばせている。ほっぽかれたイケメンが残念そうな顔なので、亘の顔も綻んでしまった。

『はい、七海です』

「どうも五条ですが、そのまま顔をあげて右六十度向いてくれるか」

『えっと……』

「こんにちは」

『あっ、分かりました!』

 目のあった亘はニヤッと笑い、片手をあげ電話を終えた。

「どうだねチャラ夫君。これが文明の力ってものだよ」

「それ普通に呼んだほうが絶対早いっすよ」

 下らないこと言っている間に七海が小走りでやって来る。それはもう、輝くような笑顔で、先程のイケメンに対するものと笑顔度合いがケタ違いだ。思わず可愛いなドキドキしてしまったぐらいであった。


 目の前に来た七海が目を輝かせ見上げてくる。心なしか尻尾を振る無垢な子犬のような雰囲気があった。

「五条さん来てくれたんですね。待ってたんですよ」

「それはすまないな。うん、チャラ夫が入り口で手間取ったせいだな」

「あっ、チャラ夫君もいたんですね。ようこそ学園祭に」

「さり気に酷す!」

 取って付けた歓迎の言葉にチャラ夫は傷ついた様子だった。七海の性格からすると悪意はなく、本当に気づいていなかったに違いない。だが、それはそれで酷いだろう。

「それじゃあ、学校の中を案内しちゃいます。一緒に回りましょう」

「挨拶のつもりだけだったが。まあ案内してくれるなら嬉しいな。だけど、クラスの方は手伝わなくていいのか」

「大丈夫です。そのために朝からずっと手伝ってましたから」

 ニコニコ笑顔の七海は手早くエプロンを外してしまう。

 七海のセーラー服姿は想像していた以上だった。毎日こんな姿を拝める星陵学園生徒のみならず教師たちが羨ましくなってしまうぐらいだ。

 思わず胸辺りに目が行きそうになるが、根性で視線を別へと持って行く。先程の男子生徒、または現在進行形のチャラ夫のような情けない姿を晒したくはない。

 しかし、もっとも、そんな呑気なことを考えられたのも束の間だった。視線を逸らしたお陰で、教室内の男子生徒たちの視線に気付いてしまう。奇異の眼差しはまだマシで、不審な眼差しが大半だ。誰だよあいつとかの、ヒソヒソした声まで聞こえてくるぐらいである。

 どうやら出し物の目玉は七海だったらしい。ようやく気付く亘であった。

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