トップ > 東京 > 記事一覧 > 8月の記事一覧 > 記事
【東京】戦災樹木、どう残す 墨田の宮司「管理不安」 公的支援の必要性訴え
大学の研究者らが3D画像を記録するなど、その歴史的価値に注目している戦災樹木。東京の下町地域では、幹に刻まれた焦げ跡が東京大空襲の記憶を呼び覚ます。研究者らは、その保全が所有者らに依存している状態を懸念し、公的支援の必要性を訴えている。 1945年3月10日。米軍のB29がばらまいた焼夷(しょうい)弾による火災は、墨田区の飛木稲荷神社(押上2)の周辺にも及んだ。神社から約100メートルの所に自宅があった田中稔さん(88)は延焼を防ぐため家などが取り壊された空き地に避難。炎に照らされ、低空で飛ぶB29の機体が不気味に見えた。 今回調査の対象となった神社のご神木のイチョウは、数時間も炎に包まれていた。幹の一部は焼失したが、数年後に芽吹いた。当時、田中さんは「すごい生命力だな」と感銘を受けた。2010年、神社総代一同による掲示板を設け、「焼けイチョウは、大変な戦争があった事を、これから先も伝えてくれることでしょう」と刻んだ。 同区の白鬚神社(東向島3)では、社殿近くのイチョウなどは火勢で焦げながらも焼け残った。「逃げずにお宮を守るんだ」と宮司の父からくぎを刺された今井涼子さん(90)は、両親らと降り注ぐ火の粉を懸命に消した。井戸水が尽きかけたころ風向きが変わり、社殿は延焼を免れた。今井さんは「樹木が守ってくれたのかも」と思いを巡らす。 明治大の菅野博貢准教授(地域環境計画学)らの2014~15年度の調査で、都内の戦災樹木は「焼け焦げ跡」「傾き」「空洞」に特徴があり、焼失エリアの縁辺部に残りやすい傾向があったという。 調査では、東京大空襲の被害が甚大だった台東、墨田、江東区で航空写真を基にほぼ全ての樹木をリストアップ。推定樹齢70年以上で戦災樹木の何らかの特徴があるのは台東区が204本、墨田区が94本、江東区でも74本に上ると推定した。 戦災樹木について、台東区は浅草寺のイチョウや谷中の被爆柿の木(2世)、墨田区は江島杉山神社(千歳1)や飛木稲荷神社のイチョウなどを挙げた。江東区は「ほぼ全域が焦土と化し、戦災樹木の残存を想定していないため調査していないが、富岡八幡宮のご神木1本を確認できた」と説明した。 被爆樹木を研究している鈴木雅和筑波大名誉教授(環境デザイン)は「広島や長崎は被爆樹木の認定制度があるが、戦災樹木については個別の所有者に管理などを依存している」と指摘。飛木稲荷神社の千葉元(はじめ)宮司(72)は「樹木の健康管理が不安。何年かに一度でいいので状態を診てくれたら」と、保全について公的な役割を期待する。 (大沢令)
|