第56話 捜査上の守秘義務

――NATS

 それは政府主体で悪魔対策を実施するため警視庁公安部内に組織された日本悪魔対策機関の通称である。

 日本国内における異界と悪魔による被害防止のため中心的役割を担う機関と位置づけられており、その関連となる研究や対策・対処、民間組織との調整までを行っている。


 亘と七海の自己紹介に対し、志緒の方は威張った感じで自己紹介をした。

「ふふん、私は捜査官に選ばれたエリートなのよ……ひぃっ」

 恐い目をした神楽が近づくと、たちまち悲鳴をあげ頭を抱えてしゃがみ込んでいる。そのまま上目遣いでおどおどした様子は、とてもエリート捜査官という姿ではない。あまりの情けなさに憐憫の情さえ湧く亘だった。

「神楽、あんまりイジメてやるな。それでどうしてNATSの捜査官が、ここにいるんだ。銃を持ってたなら非番じゃないのだろ」

「捜査上の守秘義務があるのよ。だから話せないわ」

「へー、そうなんだ。でもボク知りたいなー、どうしたら話してくれるのかなー。ちょっと魔法受けてみる?」

「実はこの付近で、異界を人為的に発生させるというタレコミがあったのよ。だから警戒してました」

 神楽が不穏な笑みで迫っていくと、それだけでペラペラと喋り出す。こんなのが悪魔対策機関の職員で、日本の未来は大丈夫なのか不安になってしまう。

「じゃあNATSが動いてるなら、民間人の救助は任せるとしよう。こっちは適当に悪魔を倒してDPを頂くとしよう」

「ダメですよ。それより皆さんを早く助けてしまって、それからデートの続きをしましょう」

 その言葉に神楽がニヨニヨした顔で近づき何やら冷やかし、七海は顔を真っ赤にして手をバタバタさせている。そんな様子を余所に、志緒は暗い顔でオロオロだ。

「ちょっと待ってちょうだい。その……異界が人為的に発生するなんて、今までの経験上あり得ないことなのよ。だから、念のため警戒する程度で……だから、ここに居るのは私だけなのよ」

「はぁ?」

 徐々に声が小さくなっていき、最後はボソッとした一言になる。志緒はそれっきり下を向いてしまい、絨毯を足先でイジイジしだした。

 それだけで亘は理解してしまった。


 国の事業は大仰な看板が挙げられていても、それは上層部や政治家が騒いでいるだけで、現場には予算も人員も不足していることが往々にしてある。つまり口だけ出して、金と人は回さないということだ。

 ここで志緒の所属するNATSという組織を考えてみる。

 そもそもDPの存在自体が表沙汰になっていない。これではまともな予算がつくはずがない。隠し予算だ埋蔵金だと、そんなものが許されるほど現実の予算編成は甘くない。人員だって、どこも人手不足な状況で充分に配属されるはずがない。

 すると、信憑性の薄いタレコミ情報など優先度も低く、組織のミソッカスが念のために派遣されただけという可能性が高かった。

 そうした目で志緒という女性を見ると、納得できる部分が多くある。

「長谷部さんは異界に来た経験は何回ぐらいあるわけ?」

「け、研修で何度か……」

「じゃあ悪魔を倒した経験はどれぐらいあるわけ?」

「研修の時に倒した……のを見たことがあるわ」

「つまり実戦経験は?」

「……ないわね」

 その言葉に神楽が冷たい目をする。

「それでパニックになったあげく、マスターの姿に怯えてテツポウで攻撃しようとしたわけなんだ。ふーん、そうなんだー。」

「すいま……せん」

 腰に手をやりプンッと頬を膨らませた神楽は、亘に銃を向けられたことをまだ根に持っているらしい。志緒に対する態度は刺々しかった。

 すっかり身を縮めてしまった志緒を眺めながら亘は思案顔をした。


 異界に閉じ込められた人は多数、NATSは動いておらず志緒は役立たず。おまけに異界発生は信憑性が薄いながら人為的とかいう情報だ。確かキセノン社の実験では、人為的な異界は実験室の一室で精いっぱいだと言っていたはず。

 そこまで考えていた亘は閃いてニヤリと笑った。また悪い顔してる、と気付いた神楽が呆れ顔をしている。

「異界が人為的に発生するって話について確認させて貰うが、今の状況は本当にその通りだと言えるのか?」

「にわかには信じがたいけれど、そうとしか言えないわね」

「そうかそうか、それなら知り合いに連絡しておこう」

 キセノン社ですら実現化していない人為的な異界発生、それが何らかの手段で実現されたとすれば特ダネに違いない。新藤社長から特別ボーナスをせしめることも可能だろう。

「人為的に異界が発生したと聞いたら、すぐに応援を派遣してくれるはずだ」

「あら知らないの。異界の中からは通信できないわよ。だって世界が切り離されているのだから。私も本部に何度も電話したけど無理だったわ。だから、本当よ」

 ふふんと髪を払いながら志緒が威張ってみせる。偉そうに言うが、どうやらパニック状態で何度も電話をようとしたのは間違いない。

 しかし亘はポケットから取り出したスマホを振ってみせた。

「そっちこそ知らないのか。キセノン社特製のスマホなら、異界の中からでも通信が繋がるんだよ」

「本当!? だったら、それを貸して欲しいわ。本部に連絡をとりたいのよ」

「それでしたら、私のを使って下さい」

 七海の言葉に志緒は大喜びでスマホを借り受け、慣れない手つきで操作を始めた。見かねた七海が使い方を教えているぐらいだ。

 自称エリート捜査官は機械が苦手らしい。


◆◆◆


「ええ……NATSの職員がそう言ってましたので信憑性は高いです……ええできるだけ早急に……それまでこちらで対応しておきます」

 亘は頭の上に神楽を載せ、スマホで通話しながら歩いている。通話が終わると同時に、後ろを歩いていた七海がピョンッと跳ぶように横へ並ぶ。今までジャマしないように控えていたのだ。

「社長さんは何て言われてました?」

「異界発生が人為的なら、絶対調べるって凄い興奮していたな。もちろん一般人の救助もあるから、救助用の部隊をすぐに送り込んでくれるそうだ」

「よかったです。これで皆さん助かりますね、応援が来るまで頑張りましょう」

 大きな胸の前で両手を握りしめる七海の姿に、亘は微笑した。

 後ろでビクビク周囲を見回していた志緒もトトッと足を早め隣に並んでくる。

「ね、ねえ、さっきから話にでる社長って、もしかしてキセノン社の社長かしら……あなた社長と知り合いなの」

「DP上の協力者なんだよ」

 エントランスに向かいながら、亘はシレッと答えてみせた。


 新藤社長といえば、日本では知らない者がいないビッグネーム。しかもNATS所属の志緒なら、新藤社長の正体も知っているかもしれない。そんな相手に気安く電話をする様子に驚いてしまうのも無理ない。

「そ、そうなの。あの社長と……」

「あとは知り合いの忍者にも応援を求めておくか……もしもし藤源次? 元気?」

 再び電話しだす亘の横で七海と志緒が顔を見合わせた。どちらも『忍者』という耳慣れない言葉に不思議そうな顔だ。声をひそめヒソヒソする。

(ねえ、私の聞き間違いじゃなければ、忍者って言ったわよね)

(ええ、確かに忍者と聞こえました)

「……そうそう。いま手は空いてる?……そう怒った声を出すなよ……えっ、地声なの。あっそう……」

(忍者ってあの忍者かしら?)

(忍者は忍者だと思いますけど、本当に忍者なんでしょうか)

「……そうだ、大勢の人が異界の中にいる……そう怒鳴るなよ。場所は県美術館の……そう駅の近くのそこ。意外だな、来たことあるの? ……早めに来てくれるか。よろしく」

 亘は安堵しながら通話を終えた。


 これで考えられる戦力は大体揃うことになる。あと戦力になりそうなのはチャラ夫だけだ。しかし、フリとはいえ七海とデート中と知れた時の反応を考えると、呼ばない方が賢明に違いない。

 考えことをしていた亘の袖が軽く引かれる。

「ん?」

「ね、ねえ。電話してたのは本当に忍者なのかしら。忍者がここに来るの? いえ、そうじゃなくって何で忍者と知り合いなのよ」

「そうですよ、忍者って、私も知りたいです」

「この前、異界で遭遇して知り合っただけだよ。アマテラスの所属だな」

「あらそうなの、アマテラスの忍者なのね。あそこの組織とか、古くから存在する組織の連中ときたら本当に頭固くって、嫌味っぽいから扱いにくいのよ」

 志緒がなにやら愚痴まがいのことを言っている。仕事上関係があるようだが、どうやら色々と苦労があるらしい。楽な仕事はないということだろう。

「なあ、さっきから銃を構えてるけどな。そんなにビクビクするなよ。敵が近づいたら神楽が教えてくれるから安心しろ」

「でも、そうしないと落ち着かないのよ」

「ふーん。ボクの探知が信用できないんだー。そうなんだー」

「ひぃ、ごめんなさい。ごめんなさい」

 人形ほどの少女が迫ると、それに拝むように謝る志緒の姿はとても情けなかった。先程から影が動いたり物音がしただけで銃口を向け、展示された馬の像にまで驚く始末だ。臆病という言葉がぴったりだろう。

「ドラマの刑事でもあるまいに。拳銃を誰かに見られたら拙いんじゃないのか。後で問題にされて、厄介なことになるぞ」

「あら知らないの。素養の無い人間はね、異界であった出来事を全部忘れてしまうのよ」

「そうなのか」

「ええそうよ。異界に引き込まれても無事助かる人もいるでしょ、それでも異界や悪魔のことが広まらないのは、覚えてないからなのよ。中には宇宙人に誘拐されたとか言い出す人もいるらしいわ」

 志緒は何かを思い出したようにフフッと笑った。きっと何か笑える出来事があったのかもしれない。

 笑うと結構可愛いなと思った亘だが、その様子を神楽と七海が口を尖らせ睨んでいた。

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