#6 壁に耳あり障子にメアリー
留置所の医務室には奇妙なものがあった。
その部屋に置いてあるものと言えば、中身のほとんど入っていない薬棚、錆びた鉄パイプのベッド、メス、なぜかメス、さらにメス、どう見てもAEDには見えない何に使うのか考えたくない電気ショックマシーン。
……小学校の保健室の方が数百倍マシだろう、これは。
だけどそういう備品類は全て部屋の隅に寄せられて、代わりに、そう広くもない部屋のほとんどを占有して不気味なほど新しい機械が鎮座ましましていたのである。床の傷痕を見るに最近運び込まれたっぽい。
おおざっぱにその形状を言うならCTスキャンの装置に近い。
流線型のフォルムと幾何学的なパーツの継ぎ目はなんとなく新幹線を連想する。
拘置中の容疑者がひとり、人工呼吸器を付けられ、機械に頭を突っ込んで寝かされている。
その頭は……グロイ。あかん。俺は目をそらした。
頭を切られてそこにマシンアームを突っ込まれている。
医務室へ連れて行かれた人が居ると聞いて来てみればこの有様だ。
『アンヘル……なんだこれ』
『全自動脳外科手術装置かと推測』
『そりゃさすがに俺でも分かるけどさ』
どう見てもこんな場所には似つかわしくないマスィーン。どう考えてもこんな場所でやるとは思えない手術。
マシンアームはうなりを上げて機械的に(機械なんだから当然だけど)動作している。そのカップラーメンと競争ができそうな手際の良さは、ここが腐っても30世紀の世界なのだと言う事を再確認させられる。
「……これって何やってるのかなー。ねぇ?」
「ひっ!!」
俺がじろりと睨み付けると、医務室担当職員は歯を鳴らして震えた。
捕らえられていた人々が取り囲み、怒りのレーザーガンを突きつけている。
「こ、これは命令なんだ……祝福的なんだ……だから私は悪くない……」
* * *
逃亡を決意した翌日……正確には、トリプルポチから連絡があった時点で日付が変わっていたので同日だが。
トリプルポチが指定した集合時間は深夜。夜逃げだ。
大荷物を持っていく余裕は無い。かと言って家財を換金するわけにもいかない。そんなマネをすれば逃亡を前に荷物を処分しているのが丸わかりだ。命あっての物種だと割り切り、大事な物だけを持っていく事にした。そうした最低限の荷物をまとめる仕事はオニキスに任せた。
ジャックは周囲に怪しまれぬよう、敢えてなるべく普段通りに生活した。いつものように出勤し、予定されていたプレゼンをこなした。
プレゼンそのものは、出席しないはずだったのに何故か首を突っ込んできたコンサルタント(高給取りだ)に終始茶々を入れられ、大学のお偉方も首を縦には振らなかった。だが、同僚達からは慰められ、同時に『よく言ってくれた』と感激された。しかしジャックにはもはや全てがどうでも良いような心地だった。それどころではなかった。
ルークも学校に行かせた。学校では今日、健康診断があるらしい。初等学校の一年生に対する健康診断は重要だ。仕事の適性、将来かかりそうな病気、信心深さの素質まで判定し、それに合ったキャリアプランが提示される。……場合によってはこの健康診断で『潜在的背教者』と見なされ監視対象になる。
この健康診断における判定は、市民達からもネタ扱いされるレベルのもの。歴史に名を残した数学者が『殺人杉(※注:花粉症によって人間を殺す杉。近くで死んだ者は養分にするが、遠方で死んだ者は杉ゾンビとなり杉の植生を広めるためさまよう)の伐採作業員になるべし』と判定された話も有名だ。
あまりにも馬鹿馬鹿しいが、それでも教会は『全市民を幼少期からデータとして把握統制する』というコンセプトの元、この健康診断を重要視している。この重要なタイミングで目を付けられるくらいなら、休ませない方がいいと判断した。
* * *
日付も変わろうかという頃、一家は行動を開始した。
「あのねー、みんなでキカイのなかにはいったんだよー」
「そうか、よく頑張ったな」
ルークはウキウキして興奮している様子だった。
なにしろ今日は、夜更かししてもいいと
荷物はリュック3つにまとめてあった。中身は最低限の着替えやオニキスの薬、ふたりの記念品や親の形見のレーザーガンパーツなど。
有り金はメモリーチップに入っていた分も全て電子ウォレットに移した。トリプルポチに聞いた所、逃亡先でも電子ウォレットは利用可能らしい。ジャックに理屈は分からないが、電子ウォレットは教会といえども勝手に外部から操作することはできない。
「……さぁ、行こう、オニキス」
ジャックが言うとオニキスは静かに頷いた。
明かりが明滅する廊下に出ると、夜風が頬を撫でる。
ジャックはなるべく静かに扉を閉めた。
「みんな寝てる時間だから、静かにね」
「うん」
オニキスが声を掛けると、ルークは神妙な様子で頷いた。
監視カメラを避けて非常階段を降り、建物の裏を伝うように3人は歩く。
ジャックはコートの懐にレーザーガンを握りしめていた。こんな時間に人気の無い所を歩くのは、強盗などの犯罪者・ホタルイカ・狂信的殺人主義カルティスト・暴走夜間警備アンドロイド・杉ゾンビなどに襲われる危険がある。
ジャックは恐ろしかったが、それ以上に教会が恐ろしかった。
――俺は生き延びる。俺たちは生き延びる……!
幸いにも危険な生物に偶然遭遇するような事にはならず、3人は目的地に辿り着くことができた。
そこは人気の無い公園の、人工木が並ぶ林の中だった。
かすかな風が葉擦れの音(人工合成)を引き起こし、幹を塗り上げたケミカル塗料のニオイを辺りに漂わせる。
「ここでいいはずなんだけどな」
辺りを見回していると、ジャックのスマホが震えた。トリプルポチからの着信だ。
「言われた場所に来たぞ、これからどうすれば……」
『まずい、逃げろ! すぐ南側に移動――』
Zap!
ピィィィィィィィィ!!
ふたつの音が聞こえた。
ジャックは、トリプルポチの言葉を最後まで聞くことができなかった。
熱いものが腹をぶち抜いたと思ったら、ジャックは激痛で立っていられなくなった。
スマホを取り落とし、ジャックは倒れ込む。
「……え?」
ジャックは信じられなかった。
怯えきった様子のルークが防犯ブザーを鳴らしていた。そして、何故かその防犯ブザーから放たれたレーザーがジャックの腹を貫いていた。
「ジャック!?」
「……ル、ルーク……何が……」
「て、てが……かってに……! パ、パパ! パパぁ!!」
ルークは腹部から血を流してうずくまるジャックを見て、全身でがたがた震えていた。だが彼の手は彼の意志を離れてしまったかのように、防犯ブザーをしっかり掴んだまま離さない。
「ご苦労だった、少年。怖れることはない。君は間違いなく正しい神の道を歩んでいる」
尊大な声がどこからか響いた。
足音がひとつ、ふたつ、いや、数え切れないほど沢山。
白と金に装飾された神聖プロテクターを身につけ、同じ色合いに塗装された神聖サブマシンガンを持つ兵士が林の中からぞろぞろと現れる。
「これは……!?」
3人は瞬く間に包囲された。兵士達は神聖サブマシンガンを3人に向ける。
そんな包囲網の中、人工落ち葉を踏み分け姿を現した者が在る。
僧衣に身を包んだ壮年の男……ジャックが通う教会でいつも説法をしている司教だ。
「気分はどうかね、背教者クン」
「ルークに……何をした」
切れ切れの声で問いながらジャックが睨むと、司教はあざけるようにほほえんだ。
「我らが第二十一教区では、数々の先駆的にして祝福的な取り組みを行っている。
現在、試験的に導入しているのがインプラントコンピュータによる人間監視カメラ……『神の眼プロジェクト』だ。
装着者が見聞きしたものを記録、あるいは中継点である監視カメラを介して通信し、怪しい動きをする者がないか自動的に探ることができる。
そして時と場合によっては……インプラントコンピュータを通じて強制的に体を徴用する事も可能。祝福的だ」
あまりにも冒涜的な説明に、ジャックもオニキスも絶句した。
「そんなものを、いつの間に……!」
「そこの少年は……ああ、1年生だな。だとすると新入生検診のついでに埋め込んだのだろう」
こともなげに司教は言った。
――くそったれ! なんてことだ!
何故、今だったのか。あんまりなくらいのタイミングの悪さにジャックは心中、全力で舌打ちしていた。
ルークからもたらされる情報を元に追いかけてきて包囲したのだ。もしも今日、適当な理由を付けてルークを学校に行かせていなければこうして見つかりはしなかったのかも知れない。だが今更それを考えても後の祭りだ。
「もっとも、これは幸運、運命の導きと言うよりないな。偶然にも施術対象が背教者の息子とは!
現在は試験導入であるからして、特に祝福的な公的機関や企業などを中心にごく少数を対象に施術を行っているだけなのだよ。
実際のところ、全ての人間を監視カメラにする必要は無いがね……
無作為に……そう、本人すら知らぬままに埋め込む!
そして背教者のアジトを摘発した実績を以て、私はこれを宣伝する。すると皆は、誰が『神の眼』であるか分からぬと思い、自然と行いを慎むようになる。……なんと祝福的なのだろうか!
自分の担当地域から重大な背教行為を出したとあっては私の責任問題だ。汚染地帯で奇形魚の目玉の数を数えさせられることになる。
だが先進的プロジェクトで逆に背教者を一網打尽にしたとなれば……減点を打ち消して余りある。大司教への道すら開けるかも知れないなあ」
「狂ってる……!!」
「抜かせ、背教者が。この人間監視カメラの力によって、我々は貴様を捕まえた。これを祝福的と言わずしてなんとする!」
司教は傲然と言い放った。
どれほど狂った手段を使おうと、正義の行いであり、しかも結果が出ているのだから構わないという理屈だ。
ジャックはそれをおかしいと思う。だがそれは、ずっとこの方舟で行われてきたこと。その横暴を可能にするのが、あまりにも絶対的な教会の力なのだった……
「よく言うぜ。毎晩毎晩、10歳以下の男の子とばっかりネンゴロにしてる変態ジジイが。
どうせあんたの周りの連中はノーカメラなんだろ? それとも握りつぶすのか? まさか自分で録画を見て楽しんでるなんて事ぁ無いよなあ」
「ななな、何だと!? なぜそれ……いや、荒唐無稽な!」
よく通るひょうきんな声が、重苦しい空気を斬り裂いた。司教があからさまに慌てふためく。
包囲する兵士の一部が神聖サブマシンガンを包囲網の外に向けた。声が聞こえた方へ。
「しかし無断手術によるインプラントコンピュータを使った監視とはね……無茶苦茶だな。
あくまでも生かさず殺さずのバランス感覚ってやつでしかねぇが、教会にも最低限の自制心はある。本部マターならここまでとち狂ったマネはしねぇ。
独断だな。秘密裏に進めて、背教者をあぶり出した功績で本部を黙らせる気だったな」
「トリプルポチさん!」
夜闇の中だというのにサングラスを付けっぱなし。
やせぎすの中年男がドラム缶ボディのロボットを伴い姿を現した。
たぶん#8+エピローグくらいで終わるかと思いますが
もはや私は自分を信用していないのでどうなるか分かりません。
次回更新予定:3/17