はじめに
この記事を見てくれてありがとう。FiTeユーザーのあなた、斜め読みしたいのはわかるがじっくり読んでいって欲しい。TiFeユーザーのあなた、僕が言ってることはあなたの考えるそれとは違うかもしれないが、考察を深めるためじっくり読んでいってほしい。なぜこのような決めつけるような誘い文句を述べるかと言われれば、今回の探究によってかなり心理機能に関して、僕は自分の中でイメージ像を掴めたからだ。数時間で書き上げることができると思っていたこの記事は書き始めるとさらにアイデアや視点が増えていき、最終的にまとめるのに一週間を要した。本記事ではとにかく「なぜそうなるか」と「どう見えるか」を追求したため、既存の類型論に関する知識を並べて見せるだけで皆さんをおかえしすることはないだろう。この理論及び解釈は16personalitiesともユングの心理機能診断のそれとも違う、僕の哲学的解釈である。タイプ論を一旦脱して哲学的な視点から改めて心理機能というものを見てみた。そこにあるのは世界観や信念の違いだった。我々は皆、物理的には同じ世界に存在しているのかもしれないが個々が住んでいる世界観はそれぞれ異なる。我々は個々が本当に違う世界を見ていることが、本記事を読んで少しでも読者の皆様に伝わり、またそれらをどういかせば良いかを学ぶヒントとなれば幸いである。
本記事では幾度となく世界統計データの数値を出しているが、僕の考える心理機能の解釈によるタイプ判定と、統計データのタイプが同様の心理機能解釈により判定されたタイプである保証等は当然一切ない。
序章 探究のはじまり
以前に家族のMBTIタイプ構成を書いた時に相性論の話題が出たので今回は僕なりに相性論を根本的に分析してみた。
今回の分析の発端となったのはこの記事を読んだことがきっかけだった。https://t.co/ZBpHxB467N(※掲載許可を得ています。)
僕はせっかちで大筋だけ知りたく、斜め読みが好きなのでじっくり読んではいないが、要は外向心理機能と内向心理機能は相性がいいということらしいが、これがなぜそうなるのかを根本的に考えた。
第1章 心理機能の正体を暴く
まずは心理機能に関して僕なりの解釈を述べていく。
そもそも僕はMBTIは一理論としてしか見ていないため、根本的に考える際は理論から離れてあらゆる理論及び見解に目を通して哲学的思索に耽ける。
人間は欲求と信念を持つというのが、人の行動と心理を考える際には大前提だと僕は思っている。
人の思考および感情は実体のないソフトウェアたる信念であることはなぜMBTIは非科学かで述べた。
それぞれの判断機能が譲れないもの
TFやNSの世界観の着想はbioshok氏のブログより得ている。https://bioshok.hatenablog.com/(※掲載許可を得ています。)
数理的な世界観を持ち、自身の物理的存在を意識しないのがTiFeユーザーである。一方、物理的な世界観を持ち、自身の物理的存在を意識するのがFiTeユーザーであると彼は言っている。
どうやらTiFeユーザーとFiTeユーザーの世界観には大きな違いがあるようだ。これは信念の違いである。
数理的なTiFeユーザー
TiFeユーザーは、自身の住む数理世界において基点となる数理的ものさしを持ち、これを信ずる。
数理的ものさしとはつまり思考的観念である。この思考的観念を維持および強化すべく働く思考がTiと呼ばれるものだろう。TiFeユーザーにとって自身の数理的ものさしは自身の世界の基軸であり、それは数理世界における自分自身であり、譲ることができない。彼らは自身の観念およびその正当性を否定されても必死でそこにしがみつき、論理的にもがく。
しかし物理的ものさしは基軸でないので、物理的ものさしは相手に譲ることができる。これがFeである。彼らは自身の思考的観念の正当性を示す際、他者に存在的優位性は譲歩する。そもそも彼らが譲れないのは自身の数理世界の基軸である思考的観念であって、物理世界の基軸にはあまり関心がなく、むしろそれを譲歩することでさらに自身の思考的観念の正当性を示そうとする。
物理的なFiTeユーザー
FiTeユーザーは、自身の住む物理世界において基点となる物理的ものさしを持ち、これを信ずる。
物理的ものさしとはつまり自身の物理的存在である。この物理的存在を維持および強化すべく動く感情がFiと呼ばれるものだろう。FiTeユーザーにとって自身の物理的ものさしは自身の世界の基軸であり、それは物理世界における自分自身であり、譲ることができない。
彼らは自身の存在およびその優位性を否定されても必死でそこにしがみつき、感情的にもがく。
しかし数理的ものさしは基軸でないので、数理的ものさしは相手に譲ることができる。これがTeである。彼らは自身の物理的存在の優位性を示す際、他者に思考的観念は譲歩する。そもそも彼らが譲れないのは自身の物理世界の基軸である物理的存在であって、数理世界の基軸にはあまり関心がなく、むしろそれを譲歩することでさらに自身の物理的存在の優位性を示そうとする。
武器である判断機能
つまり判断機能であるTFにおいて、内向的判断機能(つまりTi及びFi)は自身の世界の基軸となる判断機能だ。これは譲れない。それに対して外向的判断機能は自身の基軸でないため、自身の基軸を守り、進出するために、他者に正当性及び優位性を譲歩する判断機能というわけだ。譲歩するのは、譲歩することで自身の基軸を防衛及び進出させることができると考えるからだ。つまりこれは武器だ。
Tiは数理的でFeはTiのための物理的な武器、Fiは物理的でTeはFiのための数理的な武器だ。FeやTeといった外向的判断機能はTiやFiといった内向的判断機能に根ざして使われる。これは重要なので何度も言っておく。
Tiユーザーは自身の思考の正当性を通すためFeを使う。つまり正義と思われたい。わかりやすくいえば宗教家だ。「私の教えは正しい。あなたは正しい私を信じれば救われる。」
Tiユーザーは自身の思考的観念の正当性は譲れないため、「あなたは間違っている。」と言われると不満だ。逆に「あなたは正しい。」と言われると嬉しいと感じる。TiFeユーザーは他者にFeを使い、他者の存在的優位性を認めるがそれはあくまで「私の考えは正しいよね?」と示したいだけである。なので彼らに「あなたは重要だ。」「あなたは必要だ。」「あなたは素晴らしい。」などと言ってもそれが彼らの思考の正当性を認めることに根ざしていないと特にそれらの言葉には関心がないだろう。なぜなら彼らは数理世界に住んでいて、物理世界に住んでいるわけではなく物理的存在を認められることは異世界で自分が認められているようなものだ。
Fiユーザーは自身の存在の優位性を通すためTeを使う。つまり存在感を示したい。わかりやすくいえば政治家だ。
「私は重要な人物だ。私は社会にとって必要なことをしている。」
Fiユーザーは自身の物理的存在の優位性は譲れないため、「あなたは不要だ。」と言われると不満だ。逆に「あなたは必要だ。」と言われると嬉しいと感じる。FiTeユーザーは他者にTeを使い、他者の思考の正当性を認めるがそれはあくまで「僕は必要だよね?私は素晴らしいよね?」と示したいだけである。なので彼らに「あなたは正しい。」「あなたこそ正義だ。」などと言ってもそれが彼らの存在の優位性を認めることに根ざしていないと特にそれらの言葉には関心がないだろう。なぜなら彼らは物理世界に住んでいて、数理世界に住んでいるわけではなく思考的観念を認められることは異世界で自分が認められているようなものだ。
以上がTiFeとFiTeの世界観と価値観の説明になる。あなたはどちらに当てはまるだろうか?
判断機能の位置
この説明で特に強調しておきたいのは、T型だから論理的、F型だから感情的、というのは表面的な結果論でしかないということだ。ExTJのTeはあくまでFiの武器であり、ExFJのFeはTiの武器だ。ExTJは自身の存在的優位性を示すために、Teを使う列記としたFiユーザーである。ExFJは自身の思考の正当性を示すために、Feを使う列記としたTiユーザーである。
ちなみにF型つまりFi及びFeが第一か第二機能にくるタイプは世界統計の人口比率では60%であり、T型つまりTi及びTeが第一か第二機能にくるタイプは40%である。
FiTeユーザー(世界統計の人口比率:54%)
Te–Fi (ExTJ) (世界統計の人口比率:10%)
Teが目立つExTJだが、その奥底にあるのは彼らの本性であるFiだ。彼らは前線にTeという軍隊を構える。そしてFiという王は知覚機能の2つを越えてさらに奥に隠れている。そのためTe軍は誰の命令で動いているかはよくわかっていないこともあるようだ。これがExTJのFi劣等だ。Te軍は行動的で、Fi王が命令せずともしばしば動きそうな勢いだ。彼らはTe軍を振り回しているが、それはあくまで存在感を示すためであり、思考に興味があるのも最終的には自身の存在感を示す際に役立つからだ。
-TeFi- (IxTJ) (世界統計の人口比率:14%)
内向的知覚機能を前線に構えるIxTJはかなり慎重派だと思われる。その後ろにはTe軍が構えており、背後にはFi王がいる。Fi王はしばしば前線からも見えるようだ。彼らは自身の存在感や存在的優位性を否定されるとしばしば本性をあらわす。
-FiTe- (ExFP) (世界統計の人口比率:17%)
外向的知覚機能が前線に構えるExFPは積極的な人々だろう。Fi王はそのすぐ後ろに構えている。そしてFi王は外向的知覚機能を突き動かし、またそれに突き動かされる。Te軍はFi王のあとをついて行く。彼らは外向的知覚機能を使って突き進み、感情を露出させ、自身の存在感をアピールする。
Fi–Te (IxFP) (世界統計の人口比率:13%)
なんと、前線にFi王が仁王立ちしているではないか。この王はかなり大胆で勇気があるようだ。しかし他国の軍を正面から迎え撃つのはいささか戦略性には欠けるかもしれない。Te軍はというと知覚機能二つのさらに後ろの最後尾でなんとか付いてきているようだ。彼らは正々堂々と自身の感情や存在的優位性を示す。
TiFeユーザー (世界統計の人口比率:46%)
Fe–Ti (ExFJ) (世界統計の人口比率:15%)
Feが目立つExFJだが、その奥底にあるのは彼らの本性であるTiだ。彼らは前線にFeという軍隊を構える。そしてTiという王は知覚機能の2つを越えてさらに奥に隠れている。そのためFe軍は誰の命令で動いているかはよくわかっていないこともあるようだ。これがExFJのTi劣等だ。Fe軍は行動的で、Ti王が命令せずともしばしば動きそうな勢いだ。彼らはFe軍を振り回しているが、それはあくまで思考の正当性を示すためであり、人々の感情や倫理に興味があるのも最終的には自身の思考の正当性を示す際に役立つからだ。
-FeTi- (IxFJ) (世界統計の人口比率:15%)
内向的知覚機能が前線に構えるIxFJはかなり慎重派だと思われる。その後ろにはFe軍が構えており、背後にはTi王がいる。Ti王はしばしば前線からも見えるようだ。彼らは自身の思考や価値観の正当性を否定されるとしばしば本性をあらわす。
-TiFe- (ExTP) (世界統計の人口比率:7%)
外向的知覚機能が前線に構えるExTPは積極的な人々だろう。Ti王はそのすぐ後ろに構えている。そしてTi王は外向的知覚機能を突き動かし、またそれに突き動かされる。Fe軍はTi王のあとをついて行く。彼らは外向的知覚機能を使って突き進み、自身の思考を主張し、正当性をアピールする。
Ti–Fe (IxTP) (世界統計の人口比率:9%)
なんと、前線にTi王が仁王立ちしているではないか。この王はかなり大胆で勇気があるようだ。しかし他国の軍を正面から迎え撃つのはいささか戦略性には欠けるかもしれない。Fe軍はというと知覚機能二つのさらに後ろの最後尾でなんとか付いてきているようだ。彼らは正々堂々と自身の思考や思考的観念の正当性を示す。
以上を見てお気づきかもしれないが、J型というのはつまり自身の基軸であるTi及びFiを第三機能以降に隠す人々だ。彼らが自身のFiもしくはTiの本性を露出させることは少ない。彼らはもう片方の基軸でない判断機能を使って比較的戦略的に動こうとする。
一方のP型は基軸を第一機能か第二機能に置く人々だ。彼らは大胆であり、自身の基軸であるTiやFiを頻繁に露出させる。計画性や戦略性には比較的欠けるかもしれないが臨機応変ではあるだろう。ちなみに世界統計の人口比率はJ型54%に対しP型46%である。
Tiが基軸であるTP型がJ化するとすれば、それはFeを第一か第二に置き、Tiを第三か第四機能に隠すFJ型になるということだ。
Fiが基軸であるFP型がJ化するとすれば、それはTeを第一か第二に置き、Fiを第三か第四機能に隠すTJ型になるということだ。
Feを第一か第二機能に置くFJ型がP化するとすれば、それはFeを第三か第四機能に下げて隠していたTiを第一か第二機能に置くTP型になるということだ。
Teを第一か第二機能に置くTJ型がP化するとすれば、それはTeを第三か第四機能に下げて隠していたFiを第一か第二機能に置くFP型になるということだ。
やはり僕の中で大事なのは本性がTiなのかFiなのかであり、その武器であるFeやTeが上に来ているからといってF型だとかT型だとかいうのは表面的な結果論でしかない、ということだ。ExTJはTeで武装しているだけで武装解除、つまりP化すればFPになるわけだ。
お互いどう見えているか
思考の基軸を持たないFiTeユーザーから見て、TiFeユーザーは彼らの思考的バイアスに縛られているように見えるだろう。彼らは頑固な拘りを持ってブツブツ言ってるだけの人々にも見えるだろう。
一方、自身の根拠なき素晴らしさを示したいと思わないTiFeユーザーから見て、FiTeユーザーの思考は浅はかに見えるだろう。無論、彼らに思考の基軸などないため思考的根拠なしに存在感を示そうとすれば子供っぽくも見えるはずだ。
結局、世界観が異なるためTiユーザーがFiユーザーを浅はかだ、大人気ない、などと言って嘲ってもあまり気にならないはずだ。Fiユーザーにとって重要なのは自身の存在およびその優位性であって、思考などは自身の存在感を示すためのツールでしかないのでどれでも良いのだ。むしろFiユーザーは自身の思考に固執しているTiユーザーを存在感が薄い、などと言って嘲るかもしれない。特にFiユーザーが権威や権利などのTe的武器を持てばTiユーザーはいくら存在感を気にせずとも自身の正当性を主張するだけでは現実的に太刀打ちできないだろう。
TiユーザーはTiユーザー同士で議論しマウントを取り合う。一方、FiユーザーはFiユーザー同士で存在感を示し合いマウントを取り合う。これにTeやFeといった武器が使われるとマウントの取り合いはさらに戦略的で高度な争いとなる。結局は政治経済的な国家や企業の勢力争いはFiTeの勝負で、学問や宗教の正当性争いはTiFeの勝負なわけだ。もちろん、これらも見方や場合によっては当然どちらの勝負にもなりうる。
どうやってFiTiを見分けるか
判別方法は、最終的に何に根ざしているか、を見ることだ。Fiは存在の優位性、Tiは思考の正当性だ。何度も言うがこれらは彼ら各々の世界における基軸、つまり彼らにとっての自分そのものなので譲れない。
もちろん、TiユーザーであってもTeの如く他者の思考の正当性を認めたり、FiユーザーであってもFeの如く他者の存在の優位性を認めることはあるだろう。しかし彼らが真のTiユーザーもしくはFiユーザーであれば、これには認めることで自身の正当性及び優位性も認めることにならなければ苦痛が伴うはずだ。
逆にTiユーザーであっても他者の存在の優位性を認めることや、Fiユーザーであっても他者の思考の正当性を認めることに苦痛を感じる場合があるだろう。それはTiユーザーであれば他者の存在の優位性を認めることで自身の思考の正当性が損なわれる時であり、Fiユーザーであれば他者の思考の正当性を認めることで自身の存在的優位性が損なわれる時だ。結局は、Tiユーザーの満足及び不満のルーツは自身の思考の正当性、Fiユーザーの満足及び不満のルーツは自身の存在の優位性に根ざすというのがこの理論である。
第2章 信念は我々の世界を作るのか
SeNiユーザーとNeSiユーザーの世界観の着想もbioshok氏より得ている。
Sは五感的知覚なのに対し、Nは直観的知覚だ。Sの知覚は五感的であり現実に根ざしている。一方Nは第六感的な知覚であるため、非現実的な視覚と言えるだろう。
ちなみに世界統計の人口比率ではN型27%に対しS型73%で、S型が圧倒的多数を占める。N型というのはNe及びNiを第一か第二機能に置く人々、S型というのはSe及びSiを第一か第二機能に置く人々だ。
内向的知覚機能はネガティブだ。それらはリスクを考慮するため身動きは遅いだろう。一方の外向的知覚機能はポジティブなのでせっかちで動きが早いだろう。
世界に対する信念の違い
SeNiユーザーの世界観
(SeNiユーザーの世界統計の人口比率:35%)
世界は閉じている。そこは密閉された部屋のようだ。
SeNiユーザーにとって、世界は有限だ。Seはその有限な場を制圧する。Niはその有限な場の全体像を見る。有限な世界は高密度であり、SeNiの世界観はNeSiと比べて物理的に感じるだろう。
Se–Ni (ESxP) (世界統計の人口比率:13%)
彼らは強力なSeでその場を制圧する。微弱なNiはこの場が恐らく有限だろうと教えてくれる。その有限な世界を早く制したいのがSeだ。彼らはポジティブであり行動的だ。
-SeNi- (ISxP) (世界統計の人口比率:13%)
彼らはSeによってその場を制圧するように内向的判断機能を使う。Niは世界は有限であり、彼らがどこで止まればいいかを教えてくれるだろう。
-NiSe- (ENxJ) (世界統計の人口比率:5%)
彼らはNiという第六感的知覚を使い、有限な世界の中でどこを進むべきか見出し、武器である外向的判断機能を使う。そしてSeで踏み歩き、場を制圧する。
Ni–Se (INxJ) (世界統計の人口比率:4%)
彼らは研ぎ澄まされた第六感的知覚を使い、まずは閉じた世界の全体像を把握する。これは彼らがリスクを考慮し、慎重であるからだ。微弱なSeはゆっくりと踏み歩くことでその場に制圧的な重々しい雰囲気を放つ。
NeSiユーザーの世界観
(NeSiユーザーの世界統計の人口比率:65%)
世界は果てしなく広がっている。そこはひらけた大地のようだ。
NeSiユーザーにとって、世界は無限だ。Neはその無限に広がる世界を見渡す。Siは無限の大地の中で自分が居座る場を確保する。無限の世界は低密度であり、NeSiの世界観はSeNiと比べて数理的に感じるだろう。
Ne–Si (ENxP) (世界統計の人口比率:11%)
彼らは強力なNeで果てしなく広がる世界における視野をどんどん広げていく。微弱なSiは彼らの辿った道をなんとか記録する。
-NeSi- (INxP) (世界統計の人口比率:8%)
彼らはNeによって見渡すように内向的判断機能を使う。Siは見たことがある景色を記録してくれるだろう。
-SiNe- (ESxJ) (世界統計の人口比率:21%)
彼らは武器である外向的判断機能を使う際、Siによってそれを繰り返し行い、その地に詳しくなる。そしてしばしばNeで少し村の周りを見渡す。
Si–Ne (ISxJ) (世界統計の人口比率:25%)
彼らは既に踏破した、知り尽くした地域で活動する。無限に広がる世界で知らないところを歩くことを、リスクを取り除きたい彼らはしない。彼らの微弱なNeは少しだけ周りを見るかもしれないが、彼らの強力なSiは既知の情報をさらに詳しく蓄積し、安全を確かめて安心する。
以上が知覚機能の世界観の説明だ。閉ざされた世界と無限に広がる世界。そして行動的な者と慎重な者。各々が見ている世界は全く異なる。共通の宇宙に住みながら、それぞれが個々の世界観で生きている。
これで判断機能と知覚機能のそれぞれの世界観については説明したわけだ。
判断機能はFiTeとTiFeの2通り、知覚機能はSeNiとNeSiの2通りで、組み合わせは2×2で4通りあるわけだ。これがクワドラントに当たる。
第3章 世界観のクワドラント
ここでは各クワドラントの世界観と、各タイプの心理機能の配列の説明を行う。
世界の基軸である内向的判断機能(TiもしくはFi)をその人の本性ということで「脳」、もう片方の判断機能である外向的判断機能(FeもしくはTe)を、脳を守り進出するための「剣」、五感的知覚機能(SiもしくはSe)を現実的制圧を行う「体」、直観的知覚機能(NeもしくはNi)を視野を確保する「目」とする。
各クワドラントにおいて、武器である「剣」が前線に近く、本性である「脳」が奥に隠れている順に並べて説明する。つまりEJ、IJ、EP、IPの順である。
ちなみに世界統計の人口比率はEJ型が25%、IJ型が29%、EP型が24%、IP型が22%である。
ここでも再度申し上げておくが、T型だから論理的、F型だから感情的というのは表面的な結果論でしかない。僕がここで意識して見て欲しいのは各々のタイプが自身の世界の基軸としている譲れないTi及びFi、そしてそれらがどの位置にあり武器であるTe及びFeがどう使われているかである。これらの重要性が今回の探究による最も大きな発見であった。
αクワドラント(NeSiかつTiFe/人口比率:31%)
果てしなく広がる世界に住み、私は正しいと思いたい人々。
数理的な思考や観念が点在し、それらが無限に広がっている低密度な世界。最も低圧な世界観のクワドラント。
Fe剣-Si体-Ne目-Ti脳 (esfj/人口比率:12%)
本性であるTiは奥に隠れている。彼らは自身の正当性を認めてもらうために、本来の目的を忘れていないかというほど他者の感情に気を配り、またそれらを利用する。それがうまくいくと、Siによって彼らはそれを繰り返す。そしてNeによりしばしば視野を広げる。彼らは正当性を否定されてもTi劣等のため、基本的には感情への気配りとそれらの利用に固執し、めったに理屈的にはならない。
Si体-Fe剣-Ti脳-Ne目 (isfj/人口比率:13%)
まずはSiで定位置を確保する。基本的に知り尽くした安全なところ及び場面でのみ、Feを使い、他者の感情を尊重することやそれらを利用することで自身の正当性を示す。自身の思考の正当性を否定されるとしばしば理屈的になり、本性を現す。たまに劣等のNeが広がる世界を覗き見る。
Ne目-Ti脳-Fe剣-Si体 (entp/人口比率:3%)
果てしなく広がる世界で、彼らはNeで視野を広げる。そして自身の思考を主張し、しばしばその正当性を認めてもらうためにFeで他者の感情を尊重する。彼らは思考の正当性を否定されるとさらに理屈的になる。劣等のSiは歩いた道を多少は記憶する。
Ti脳-Ne目-Si体-Fe剣 (intp/人口比率:3%)
彼らは堂々と自身の思考を当然正当であるように主張する。その正当性を否定されても、彼らはその正当性を強く信じるためさらに理屈的になり、自身の思考に固執する。Neは彼らの思考の視野を広げてくれる。Siは彼らの思考の通り道を記録する。劣等のFeは多少の感情表現を与えてくれるだろう。
βクワドラント(SeNiかつTiFe/人口比率:14%)
閉ざされた世界に住み、私は正しいと思いたい人々。
数理的な思考や観念の点在が成す、閉ざされた高密度な有限の世界。二番目に高圧な世界観のクワドラント。
Fe剣-Ni目-Se体-Ti脳 (enfj/人口比率:3%)
本性であるTiは奥に隠れている。彼らは自身の正当性を認めてもらうために、本来の目的を忘れていないかというほど他者の感情に気を配り、またそれらを利用する。Niでしばしばリスクを察知したり、成功率が高そうな方向へ軌道修正する。そしてSeによりしばしば場を制圧する。彼らは正当性を否定されてもTi劣等のため、基本的には感情への気配りとそれらの利用に固執し、めったに理屈的にはならない。
Ni目-Fe剣-Ti脳-Se体 (infj/人口比率:2%)
まずはNiで全体像を見渡す。安全なところ及び成功率の高そうな場面でFeを使い、他者の感情を尊重することやそれらを利用することで自身の正当性を示す。自身の思考の正当性を否定されるとしばしば理屈的になり、本性を現す。劣等のSeは重々しい雰囲気をその場に放つ。
Se体-Ti脳-Fe剣-Ni目 (estp/人口比率:4%)
閉ざされた世界で、彼らはSeで場を制する。そして自身の思考を主張し、しばしばその正当性を認めてもらうためにFeで他者の感情を尊重する。彼らは思考の正当性を否定されるとさらに理屈的になる。劣等のNiは彼らの世界が有限であると囁くだろう。
Ti脳-Se体-Ni目-Fe剣 (istp/人口比率:5%)
彼らは堂々と自身の思考を当然正当であるように主張する。その正当性を否定されても、彼らはその正当性を強く信じるためさらに理屈的になり、自身の思考に固執する。Seは彼らの思考に場の制圧感を与えてくれる。Niはその場が有限であると示し、制圧に終点をもたらす。劣等のFeは多少の感情表現を与えてくれるだろう。
γクワドラント(SeNiかつFiTe/人口比率:22%)
閉ざされた世界に住み、私は素晴らしいと思いたい人々。
物理的な存在や感情が占拠する、閉ざされた高密度な有限の世界。最も高圧な世界観のクワドラント。
Te剣-Ni目-Se体-Fi脳 (entj/人口比率:2%)
本性であるFiは奥に隠れている。彼らは自身の存在感を認めてもらうために、本来の目的を忘れていないかというほど他者の思考に気を配り、またそれらを利用する。Niでしばしばリスクを察知したり、成功率が高そうな方向へ軌道修正する。そしてSeによりしばしば場を制圧する。彼らは存在的優位性を否定されてもFi劣等のため、基本的には思考への気配りとそれらの利用に固執し、めったに感情的にはならない。
Ni目-Te剣-Fi脳-Se体 (intj/人口比率:2%)
まずはNiで全体像を見渡す。安全なところ及び成功率の高そうな場面でTeを使い、他者の思考を肯定することやそれらを利用することで自身の存在感を示す。自身の存在的優位性を傷つけられるとしばしば感情的になり、本性を現す。劣等のSeは重々しい雰囲気をその場に放つ。
Se体-Fi脳-Te剣-Ni目 (esfp/人口比率:9%)
閉ざされた世界で、彼らはSeで場を制する。そして自身の感情を主張し、しばしばその存在的優位性を認めてもらうためにTeで他者の思考を肯定する。彼らは存在の優位性を否定されるとさらに感情的になる。劣等のNiは彼らの世界が有限であると囁くだろう。
Fi脳-Se体-Ni目-Te剣 (isfp/人口比率:9%)
彼らは堂々と自身の感情および存在を当然優位であるように主張する。その優位性を否定されても、彼らはその優位性を強く信じるためさらに感情的になり、自身の感情に固執する。Seは彼らの感情に場の制圧感を与えてくれる。Niはその場が有限であると示し、制圧に終点をもたらす。劣等のTeは多少の合理的思考を与えてくれるだろう。
δクワドラント(NeSiかつFiTe/人口比率:33%)
果てしなく広がる世界に住み、私は素晴らしいと思いたい人々。
物理的な存在や感情で占拠され、それらが無限に広がっている低密度な世界。二番目に低圧な世界観のクワドラント。
Te剣-Si体-Ne目-Fi脳 (estj/人口比率:9%)
本性であるFiは奥に隠れている。彼らは自身の存在感を認めてもらうために、本来の目的を忘れていないかというほど他者の思考に気を配り、またそれらを利用する。それがうまくいくと、Siによって彼らはそれを繰り返す。そしてNeによりしばしば視野を広げる。彼らは存在的優位性を否定されてもFi劣等のため、基本的には思考への気配りとそれらの利用に固執し、めったに感情的にはならない。
Si体-Te剣-Fi脳-Ne目 (istj/人口比率:12%)
まずはSiで定位置を確保する。基本的に知り尽くした安全なところ及び場面でのみ、Teを使い、他者の思考を肯定することやそれらを利用することで自身の存在感を示す。自身の存在的優位性を傷つけられるとしばしば感情的になり、本性を現す。たまに劣等のNeが広がる世界を覗き見る。
Ne目-Fi脳-Te剣-Si体 (enfp/人口比率:8%)
果てしなく広がる世界で、彼らはNeで視野を広げる。そして自身の感情を主張し、しばしば彼らの存在的優位性を認めてもらうためにTeで他者の思考を肯定する。彼らは存在の優位性を否定されるとさらに感情的になる。劣等のSiは歩いた道を多少は記憶する。
Fi脳-Ne目-Si体-Te剣 (infp/人口比率:4%)
彼らは堂々と自身の感情およびその存在を、当然優位であるように主張する。その優位性を否定されても、彼らはその優位性を強く信じるためさらに感情的になり、自身の感情に固執する。Neは彼らの感情の視野を広げてくれる。Siは彼らの感情の通り道を記録する。劣等のTeは多少の合理的思考を与えてくれるだろう。
第4章 判断機能と知覚機能
判断機能であるTFは私はこう考える、こう思う、などと判断を下す機能である。
一方、知覚機能であるSNは私はこう見える、こう捉えるなどと知覚を行う機能である。
主機能が判断機能のタイプであっても、知覚を重視する人々もいる。これはサブタイプが知覚機能であるということだろう。
例えばINTPは主機能は判断機能であるTiだが、知覚機能であるNeを重視するINTPもいる。これはサブタイプがNeのINTP、つまりNe-INTPと表記される類だ。
彼らの心理機能の配列は、Ne Ti Si Feになるだろう。これはまるで内向的なENTPに見える。しかし第三機能がSiであり、FeであるENTPとはやはり異なる。これはこれで一つのタイプと見れそうだ。
同様に、主機能が知覚機能のタイプであっても、判断を重視する人々もいる。これはサブタイプが判断機能であるということだろう。
例えばESFPは主機能が知覚機能であるSeだが、判断機能であるFiを重視するESFPもいる。つまりFi-ESFPと表記される類だ。
彼らの心理機能の配列は、Fi Se Te Niになるだろう。これはまるで外向的なISFPに見える。しかし第三機能がTeであり、NiであるISFPとはやはり異なる。これもまた一つのタイプと見れそうだ。
サブタイプが第一機能のタイプと第二機能のタイプをそれぞれ独立した別タイプと見れば16タイプは2倍の32タイプへと区分を増やす。
以下が、32タイプの心理機能の配列である。今回はそれぞれの説明は省く。
Fe SiNeTi (Fe-ESFJ)
Si FeNeTi (Si-ESFJ)
Si FeTiNe (Si-ISFJ)
Fe SiTiNe (Fe-ISFJ)
Ne TiFeSi (Ne-ENTP)
Ti NeFeSi (Ti-ENTP)
Ti NeSiFe (Ti-INTP)
Ne TiSiFe (Ne-INTP)
Fe NiSeTi (Fe-ENFJ)
Ni FeSeTi (Ni-ENFJ)
Ni FeTiSe (Ni-INFJ)
Fe NiTiSe (Fe-INFJ)
Se TiFeNi (Se-ESTP)
Ti SeFeNi (Ti-ESTP)
Ti SeNiFe (Ti-ISTP)
Se TiNiFe (Se-ISTP)
Te NiSeFi (Te-ENTJ)
Ni TeSeFi (Ni-ENTJ)
Ni TeFiSe (Ni-INTJ)
Te NiFiSe (Te-INTJ)
Se FiTeNi (Se-ESFP)
Fi SeTeNi (Fi-ESFP)
Fi SeNiTe (Fi-ISFP)
Se FiNiTe (Se-ISFP)
Te SiNeFi (Te-ESTJ)
Si TeNeFi (Si-ESTJ)
Si TeFiNe (Si-ISTJ)
Te SiFiNe (Te-ISTJ)
Ne FiTeSi (Ne-ENFP)
Fi NeTeSi (Fi-ENFP)
Fi NeSiTe (Fi-INFP)
Ne FiSiTe (Ne-INFP)
第5章 心理機能のコミュニケーション相性
以上の僕の心理機能の解釈を踏まえて、人との交流において最も重要となるコミュニケーションの相性を考察する。
本来のコミュニケーションの意味は「意思疎通」なのだが、会話を行う人間には欲求や信念があり、結局はこれらを満たし合うことが心地よくスムーズな会話、交流をもたらすと思う。つまりここでは、コミュニケーションを「意思疎通」というよりは、「言葉を交わすことによる交流」と捉える。スムーズに楽しく、エンターテインメント的に交流し合うには、お互いの欲求を満たし合い、また会話が持続的に続く必要があるだろう。これはかなり初対面のような会話を想定しているかもしれない。初対面の会話では普通双方がモラルの範囲内で、ストレスを避けようとするはずだ。
会話という、言葉を交わすことによる交流は、友人から恋人に渡るまで広く行われるはずだ。友人としての相性、恋人としての相性も、コミュニケーションにより成り立ち、発展するものならコミュニケーションの相性というのはとても重要だろう。
心理機能の信念と欲求
それぞれの心理機能の解釈のおさらいだ。まずは判断機能から。
TiFe
彼らは自身の思考の正当性は譲れない。つまり欲求としては、自身の思考の正当性を認めて欲しい。
一方、存在の優位性には関心が薄く、これは他者に譲歩できる。彼らは自身の思考の正当性を認めてもらえれば満足である。
FiTe
彼らは自身の存在の優位性は譲れない。つまり欲求としては、自身の存在の優位性を認めて欲しい。
一方、思考の正当性には関心が薄く、これは他者に譲歩できる。彼らは自身の存在の優位性を認めてもらえれば満足である。
では相性を見ていこう。
TiFeとTiFe
これはお互い自身の思考の正当性を認めてもらいたいため、両者の思考が異なると議論となる可能性が高い。いわゆるTiマウントの取り合いになる。お互い存在の優位性には関心が薄く、自身の思考の正当性を相手に認めさせようとするため、Feは自身の倫理的正当性を示すための武器として使われるだろう。心地の良いスムーズな言葉交わしの交流とはいかずとも、議論をするには持ってこいの組み合わせかもしれない。
FiTeとFiTe
これはお互い自身の存在の優位性を認めてもらいたいため、一方が自身の存在の優位性を傷つけられたと感じると、自慢もしくは相手を踏みつけるような突っつき合いや感情を交えた口論となる可能性が高い。いわゆるFiマウントの取り合いになる。お互い思考の正当性には関心が薄く、Teによって理屈を交えた議論になるとしてもそれはどちらの思考が正当であるか、の議論ではなく相手を言い負かし、自身の存在的優位性を示すことが目的となる。心地の良いスムーズな会話とはいかずとも、マウンティングや馴れ合いには持ってこいの組み合わせかもしれない。
TiFeとFiTe
TiFeユーザーは思考の正当性を認めて欲しい、そして存在の優位性は思考の正当性が認められる限り相手に譲ることができる。FiTeユーザーは存在の優位性を認めて欲しい、そして思考の正当性は存在の優位性が認められる限り相手に譲ることができる。つまり各々の譲れないものが、相手が譲れるものだ。これは物々交換が成立するので、ウィンウィンの関係と言えるだろう。お互いが欲求を満たし、スムーズな言葉交わしの交流ができるだろう。
次に知覚機能を見ていこう。
NeSi
彼らは果てしなく広がる世界観を持つ。つまりNeで場を広げたり、Siで強固な土台を築きたいという欲求がある。
Neは話を広げる。Siは具体的な詳細を提示して、話の舞台となる土台を作る。彼らは広げたり、地面を敷いたりして場を作る。要は線路を引くのが彼らだ。コミュニケーションの土台となる世界を作るのが彼らだ。
SeNi
彼らは閉ざされた世界観を持つ。つまりSeで場を制したり、Niで全貌を把握したいという欲求がある。
Seは話を盛り上げる。Niは話をまとめる。彼らは設けられた話を楽しんだり、まとめたりする。つまり線路の上を走る車両だ。コミュニケーションの土台たる世界を制するのが彼らだ。
では相性だ。
NeSiとNeSi
これはお互い話を広げたり、話の土台を作りたい者同士だ。彼らはお互い線路を引くが、その上を走ってくれる車両がいなければコミュニケーションとしては退屈に感じるだろう。お互い広げたい方向に話を広げたり、具体的な詳細を話したりするが、これを楽しんだり、まとめたりする人がいてくれないのでは話す気も失せるかもしれない。
SeNiとSeNi
これはお互い話を楽しんだり、まとめたい者同士だ。彼らは車両なので、線路が敷かれるのを待つが、線路が一向に敷かれないと退屈に感じるだろう。お互い相手の話に乗っかりたいのだが、そもそも乗っかるべく話の地面が設けられないため、沈黙気味になるかもしれない。
NeSiとSeNi
一方は話を広げたり、土台を作る。そしてもう一方はそれを楽しんだりまとめたりする。一方が線路を敷き、もう一方がその上を走る。これは噛み合っている。お互い自身の欲求を満たせるため、話が盛り上がり、続き、言葉を交わし合う交流として双方が楽しめるはずだ。
同じ心理機能の外向機能と内向機能は噛み合う
つまり、思考の正当性を認めて欲しいTiと相性がいいのは、思考の正当性を他者に譲るTeで、存在の優位性を認めて欲しいFiと相性がいいのは、存在の優位性を他者に譲るFe、話の詳細な土台を作るSiと相性がいいのは、話を楽しむことなどで制するSe、話を広げるNeと相性がいいのは、話をまとめるNiということだ。
内向心理機能は総じて見れば、自分が話の基軸を握ることを望んでいる。これは内向心理機能がやはり自身の世界の基軸に根ざすものだからだ。
Tiは思考の正当性の基軸を握りたい。
Fiは存在の優位性の基軸を握りたい。
Siは話の土台となる詳細の基軸を握りたい。
Niは話の全体像、帰結の基軸を握りたい。
一方の外向心理機能は、話の基軸を相手に譲歩する。これは外向心理機能が、自身の世界の基軸に根ざすものでないからだ。
Teは思考の正当性の基軸を譲歩する。
Feは存在の優位性の基軸を譲歩する。
Seは話の土台となる詳細の基軸を譲歩する。
Neは話の全体像、帰結の基軸を譲歩する。
つまり内向心理機能と外向心理機能であれば噛み合うが、内向心理機能同士であればお互いが基軸を譲れず自身の主張を通そうとする。一方、外向心理機能同士であればお互いが基軸に関心が薄いので譲歩し合い、話の基軸が成立しない、つまり会話が沈黙気味となる。
判断機能と知覚機能は噛み合わない
判断機能であるF及びTは、どう思う、どう考えるかの判断を下す。一方の知覚機能であるS及びNは、どう見える、どう捉えるかの知覚を行う。
判断機能が主機能の人と知覚機能が主機能の人が会話するとどうなるだろうか。
一方は「私はこう思う、こう考える。」と言うのに対し、もう一方は「私はこう見える、こう捉える。」と言うものだから、判断機能主機能の人は、「あなたは結局どう思いますか、どう考えますか。」と問いたくなるだろう。判断機能が主機能の人は判断を重視するためである。しかし知覚機能が主機能の人は知覚を重視するため、「それは見え方による、それは捉え方による。」と答えるかもしれない。こうなると話は噛み合わないし、お互い歯がゆいだろう。
判断機能が主機能の人から見て、知覚機能が主機能の人は最終的な判断を下すことを渋るため優柔不断な曖昧な人に見えるだろう。一方、知覚機能が主機能の人から見て、判断機能が主機能の人はどう知覚するかを軽視しているように見えて、決めつけがましい頑固な人に見えるだろう。
最もノンストレスな組み合わせ
同じ心理機能の内向機能と外向機能は噛み合う。判断機能と知覚機能は噛み合わない。これらを踏まえると、最も噛み合う組み合わせは、「心理機能の内向と外向が逆で配列が同じタイプ」となる。具体例を出せば、心理機能の配列がSeFiTeNiであるSe-ESFPと最も相性が良いのは、SiFeTiNeのSi-ISFJといことだ。
再度申しておくが、ここでの相性が良いというのは、スムーズで心地よいコミュニケーションを行える、ノンストレスな会話ができる、ということだ。当然Fi同士やTi同士でもコミュニケーションは成立するだろうし、彼らがやはり自身の基軸は譲れないものであり、譲ることで会話をせざるを得ないとなるとストレスが溜まるにせよ、親しい仲であればそのストレスは良い意味で解釈されることもあるはずだ。
むしろノンストレスを重視し過ぎると、盛り上がりに欠けるかもしれない。それが最もストレスになると言われれば仕方ないので、これはあくまで僕の見解として見てほしい。どのような相手がコミュニケーション相手として望ましいかは人それぞれ異なるはずなので、個々の好みにおける正確な順位は、当然読者の皆様に委ねられるものである。
最後にクワドラントのノンストレスなコミュニケーション相性のランキングを見てみよう。
第1位 知覚機能かつ判断機能が異なるクワドラント
例:NeSiかつTiFeならば、SeNiかつFiTe
お互いが欲求を満たし合い、また会話も続く。楽しく言葉交わしの交流ができるだろう。しかし、根っから深く理解し合う関係にはなれないかもしれない。
第2位 判断機能が異なり、知覚機能が同じクワドラント
例:NeSiかつTiFeならば、NeSiかつFiTe
お互い欲求を満たし合えるが、会話はあまり続かないかもしれない。お互いストレスを感じることは少ないだろうが、物静かな雰囲気になりそうだ。
第3位 知覚機能が異なり、判断機能が同じクワドラント
例:NeSiかつTiFeならば、SeNiかつTiFe
会話は盛り上がり続くと思われるが、お互い自身の基軸は譲れないため口論、もしくは突っつき合いのようになるかもしれない。議論やマウンティングの馴れ合いには持ってこいだ。
第4位 知覚機能かつ判断機能が同じクワドラント
例:NeSiかつTiFeならば、NeSiかつTiFe
会話は沈黙気味になりがちで、なおかつお互い自身の基軸は譲れないため話すとお互いストレスを感じるかもしれない。しかしもちろん、意見が対立したりしなければ世界観は同じなので互いに感覚は合うだろう。お互いのことを理解し合えば最も共感し合える仲でもあるだろう。
おわりに
以前、家族のMBTIタイプ構成を投稿したその夜、記事の閲覧数はわずか数時間で過去最高を記録し、やはりMBTI界隈でブログを書くならばMBTIに関する記事が最も多いアクセス数を狙えると思った。さらに言えば時間を投資して、記事の内容的クオリティアップをはかって僕のブログに対する高い期待と信頼を獲得しようというのが今回の探究の当初の目的だった。これはFiTe的信念である。しかし探究していくうちに僕は探究にフォーカスし、次第に完成度に拘るようになり、気付けば探究に熱中し、懐疑的思考もどんどん出てきてTiFe的になっていった。ほんとにブログ投稿のことなんてどうでもよくなり、懐疑的信念を持ち懐疑に懐疑を重ねる哲学的思索に耽っていた日もあった。正直なところ懐疑的信念をもってすれば、こんな記事など書き上げられることはなかった。
よく僕は、結局君は何タイプなんだ?と聞かれるが、長期的に見れば存在感を示そうとしているFiTeに見えるかもしれない。それは界隈ディスコード史を動かすMBTI研究などを振り返ってもそうだろう。しかし自身の思考に固執し、あてもなく真実を追究するという一心で思索に耽けるTiFeのような時もある。僕が自分の信念のルーツを辿ったとして、それがその時はFiTeだと思ったとしてもその後どうなっているかはわからない。僕は信念が完全に固定することはないと思っているので、何もタイプ等を固定しなくても良いではないか、というのが僕のとりあえずの信念であると言いたいところだ。この記事の理論も単なる理論でしかなく、絶対性など僕は保障していないしする気もない。この記事を読んだあなたが今自分はTiFeだと思ったとしても、後で読んだらFiTeに思えることがあっても僕はなんら不思議に思わないし、焦れったくもない。
結局のところ、Ti的な真実探究信念も、Fi的な存在的優位を目指す信念も、単なる信念であり、その信念という概念すらも信念なのである、のかもしれないが、ここでさらに懐疑的信念をもってすれば何も言及できなくなり、人間の意識や信念とは微々たるものだ、、などの信念も出てくる。しかし哲学的信念をもってすれば、どうやら意識があるということは何らかの信念があるようだ。それは科学的信念によれば脳内物質が生む産物かもしれないが、現実世界とは異なる、個々の世界が我々の意識や信念が生むそこにはあるようだ。これも信念などと言っていたらキリがないので話を続ける。最近読んだ本に、「物理世界において物理的に無という状態は有り得ない。」と書かれていたのを覚えている。これを拝借させていただくと、「意識があって、信念がないことは有り得ない。」と言いたいところだ。
我々の意識は、信念が生む個々の世界を作る。我々人間を含め、生物が有する意識が生む信念のそこには、非物理的な個々の宇宙があるようだ。
最後になったが、今回の探究および記事執筆において情報を提供してくれたブログ投稿者の皆様、議論や考察で数々のヒントを与えてくれた皆様、そしてこの記事を読んでくれた皆様に感謝する。
ネットで稼げる時代。ネットビジネス、アフィリエイトはやるならできるだけ早く始めた者勝ち。
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