子供の頃の夢、それは「自由に生きること」だった。そう思いたくなるくらい、周りの人間が鬱陶しかった。
鬱陶しい人間の代表格は言うまでもなく親と教師だ。
子供の頃、家に一人でいる時が最高の幸せだった。
そして大人になり、俺は自由を手にした。
大人になれば誰でも自由になれるかと思ったら大間違い。
親が配偶者、教師が会社の上司に変わるだけだ。
いい歳こいて会社で上司にヘコヘコし、家に帰れば妻や主人にヘコヘコする。中には子供にまでナメられてる人もいる。
こういう人間は東大卒だろうが医者だろうが哀れに思う。
大学受験に挑むという意味では今の俺は高校生と似たような立場にあるわけだが、予備校などに行ってるわけではないから鬱陶しい教師は存在しないし、親はいるがもはや口出しはしない。いやできない。なぜなら俺の大学受験を知らないから。
こうして邪魔な人間関係を完全にシャットアウトしている。
周りにジャマされることなく好きなように勉強できる環境。これは下剋上合格のための必須環境だ。よく「言われてるうちが華」なんて言う人がいるが、これは人による。口出しされることが鬱陶しくてたまらないと考える俺みたいな人間もいるわけだから。
「ぼっち」というものが「哀れの代名詞」みたいに考えられているようだが、ぼっちこそ幸せという人だっている。
孤独を愛する人は、今も昔もいるのだ。