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2019-08-21

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ニュートンのことはよく知らないけれど、
 ま、木からりんごが落ちるのを見て、
 そこに引力を発見したんだということになってるね。
 発見というのは、見つけたということですから、
 ようするに、引力を見つけたわけだ。
 ひとたび引力を見ちゃった人は、
 あらゆるところに引力を見ちゃうことになるだろうね。
 オレンジの木にオレンジが実ってるのを見ても、
 そこに引力も見つけちゃうだろうね。
 あのオレンジはきっと落ちるぞ、ってね。
 りんごだけじゃないと気づいたときから、引力名人だよ。

 オーラが見えるとか、あるとか言ってる人たち、
 きっと、あちこちでオーラ見てるんだろうな。
 こういうものは、ぼくにはまったく見えないんだ。
 絵描きとか、写真家とか、ものをよく見る専門の人は、
 ぼくらが見逃しているものを、きっと見てる。
 だいたい、ぼくら、生活のなかで
 光とか影とかを意識して見ることないものね。
 ちょっと絵描きの目を借りて、1日くらい生きてみたい。

 ぼく自身のことで言うと、見えているというか、
 見るようにしていることならあるんだよね。
 それは、いろんな場所に立って、
 「見えるものが古くなっているようす」を見るのよ。
 ちゃんと目に見えるというわけじゃないんだよ。
 見えるわけじゃないけど、感じるんだ。
 あるいは、感じるように立つんだよ、そこに。
 そうすると、ちょっとした風で吹き飛んでしまうとか、
 簡単に壊されてしまうとか、
 いろんなものが消えてしまってる未来を感じるんだよ。
 超能力でも才能でもないよ、ただ、
 そういうことをやるのがくせになってるだけ。
 もしかしたら、昔の人が言った
 「諸行無常」とか、「万物流転」とかって、
 そういう感覚なのかもしれないとも思う。
 見えるわけじゃぁないんだけど、見えると言えば見える。

 見るとか、見えるとか、ことばは簡単だけど、
 なんか、いろんなことを含んでいるものだよな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと、人間のなかには「中学生時代」を見ることにしてる。


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