無冠それでいい 天才脚本家佐々木守の世界

出版社:ワイズ出版

発行年:2008

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評価4 期待を大きく上回った

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佐々木守論・3 常世の国を求めた放送ライター

前回まではこちら
佐々木守論・1 ウルトラマン 怪奇大作戦 お荷物小荷物
佐々木守論・2 大江健三郎と『破壊者ウルトラマン』

「人間はみんな三日月なのかもしれない。
それぞれ、相手の三日月の、かがやいているほうだけを見ていて、かげになっているほうはまったくわかんない。あたしたちの社会は、三日月のよせあつめといってもいいかもしれない(佐々木守作『竜宮城はどこですか』」

「僕は昔から書くことが好きでね。中学生の頃なんか 、学校の壁新聞を夢中になって作ったものですよ(佐々木氏・談)」

佐々木守氏のエネルギッシュさは、テレビ界の誰もが認めるものだった。
今これを読んでいる若い読者さんに、実感を持ってもらう目的で例えるのならば、70年代のテレビ界において佐々木氏は、80年代の秋元康、90年代の小室哲哉・つんく、00年代の三谷幸喜、クドカン以上に、娯楽文化の中心にいた「表現者」だった。
だが、佐々木氏が秋元やらつんく、小室と決定的に違ったのは、時代の風勢にこびへつらうことなく、大衆を操作する自分に酔いしれることもなく、自分の抱えたテーマを最大限に「娯楽」に変換して、それを伝えきるだけの「言霊」を持っていたことだった。

氏の言葉を追っていくと、シャイな人格からくる照れ隠しの反骨者っぷりと、筆者達が生きていく「日本社会」をしっかりと見据えた視点が、いつもうかがえたものである。

「僕の書く人物は、普段はきちっと社会生活を送っているのに、わけもなく突然怠けだすことがよくあるんです。それは僕自身が怠け者のせいもあるけど(笑)人間、何もしないで生きていけるなら、こんな楽なことはないと思うんですよ」

「僕は近頃のカラオケブームは大嫌いです。演奏される曲に乗り、画像に映し出される歌詞をなぞっていくだけの歌には、それを歌う人の時代も生活も、何一つ反映されないからです」


「健康のために食事制限をしているような人間はバカだ。運動する人間もバカです。食べたいときに食べてれば、あんまり食べたくないときも出てくる。それで自然に身体が調整するんですよ」

「僕は戦争中には全く気付かなかったんですが、戦後、検査したら色弱だったということがわかったんです。それで遠足なんかのとき、周りの友達たちにいちいち『これ何色に見える?』なんてからかわれ続けたので腹が立って、以後、色が付いたものは全部『黒』と決めています」

「僕がいつもGパンをはいているのは、色の心配をしなくていいからなんです。背広も殆ど持っていないし、色と関わりのあるもの、服とか花の名前とかには関心がなくなりますね」

「僕は足が不自由な部分があるから、歩くのが苦手でね。どこへ行くにもタクシーを使ってしまうんだけど、実は自動車が大嫌いでね。だからウルトラセブンの『勇気ある戦い』という話では、車を奪いにくる宇宙人を考えた(笑)」

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「近頃腹が立つことの一つに、自動車のドライバーという欠落人間の存在がある。大体、あの渋滞した日本の道路で、のろのろと蟻の行列のように、金魚のウンコのように連なって、暴動一つ起こさずに黙って車に乗っていられる神経というのは、よっぽど精神的に欠落した奴か、さもなければ国民精神総動員にただちに呼応できるファシストかどっちかだと思うが、とにかく車中心の道路行政を我が物顔に、歩行者やバイク運転者のことなど考えもせずに砂塵を巻き上げ、雨の日は水をはね散らして走っている連中を、例え憲法で保障されているからといって、普通の人間と同じ公民権や、人間の尊厳などを認めるのはおかしいのではないか。特に大型トラックやダンプカーといったものは、あれの製作者も含めて禁治産者扱いすべきである。自動車運転免許証の所持者を全て閉じ込めて、十日間も砂埃を浴びせ続けて、憤死させたい(『月刊ドラマ』エッセイ)」

佐々木守論・1 ウルトラマン 怪奇大作戦 お荷物小荷物 で引用したインタビューでは「私が抗議されるようなものをつい書いてしまうのは差別されたことがないからですよ」と語っていた佐々木氏ではあったが、自らが不当な差別の対象になっていた、氏の脚や目の現実を思うとき、その言葉が自分よりも遥かに弱い「三日月の影」にいる人たちを、慮って発せられたものであることが解る。
その一方で、彼が唾棄し撃ち続けた「日本人」とは、愛国心を持って国家に忠誠を誓い、精神と肉体の鍛錬を好み、世間の流行や時勢に流されつつも、自分は確固たる信念と絶対的価値観を持ってるのだとの自我が肥大し、自分に常に自信を持ち溢れる人間。そういった「大多数」に他ならなかった。

しかし、現代日本を舞台に子ども向けのドラマを作るとき、えてして主人公はそういう「大多数」の典型でならなければいけない場合も多い。
佐々木氏が、設定からキャスティングから、全話の脚本までの全てを担当した『アイアンキング』(1972年)もそうであった。
『アイアンキング』は表向きは、なんの問題表現も重いテーマもない作品だ。
巨大ヒーロー特撮が乱立していた70年代初期に企画された、コメディ要素の強い一級の娯楽作品だ。
日本を狙う様々な組織を打ち倒す為に立ち上がる、国家警察機構の静弦太郎と霧島五郎のデコボココンビ。
クールでニヒルで二枚目の弦太郎と、とぼけておっちょこちょいの五郎は、行く先々で国家転覆を狙う組織が起こす、様々なテロ事件に立ち向かうが、ヒーローアイアンキングに変身するのは三枚目の五郎だという辺りが妙味。

このドラマで豪華だったのがキャスティングだった。
実質の主人公・静玄太郎を演じたのは、当時青春スターだった石橋正次氏。
アイアンキングに変身する五郎を演じたのは、『愛と死をみつめて』(1964年)等の旧日活の大スターだった浜田光夫氏。
毎回入れ替わりで登場するヒロインのゲストも、岡崎友紀、関かおり、テレサ野田、夏純子、坂口良子と、当代きっての人気ライター・佐々木守の人脈を駆使しての、子ども番組とは思えない、大盤振る舞いの出演者そろいであった。
ドラマの内容も、基本的には軽いタッチで話は進む。
テレビの前の男の子はアイアンキングの格好よさに夢中になり、女の子たちは、トップアイドルだった石橋正次の、不良っぽい笑顔に憧れを抱いていた。

だが『アイアンキング』の根底で、密かに漂っていたメッセージはあった。
それは敵の存在である。
本作品ではシリーズを通して、いわゆるショッカーのような悪の組織がいくつか出てくる。
その一つ「不知火一族」は、かつて中国大陸から侵略してきた「大和朝廷騎馬民族」によって、滅ぼされた「日本原住民族」の末裔なのである。
天皇率いる大和朝廷に、絶滅されかけた血族が、最後の賭けとして巨大ロボットを率いて、日本という国家に戦いを挑む。
そしてまた、次に日本を狙った「独立原野党」は、革命への願望を持った組織だった。
アラブターバンを巻いたスタイルや、仲間を「同士」と呼ぶ描写は、どう見ても70年代のパレスチナゲリラそのものであった。
そういった「反体制の象徴」の組織を、「天皇神の大和国の国家警察機構」の主人公達が、明るくおどけながら、完膚なきまでに叩き潰して流離い旅を続ける。
『アイアンキング』はそういうドラマだった。

そしてその主人公・静玄太郎は、国家に忠誠を尽くし正義に疑問を持たず、「大の虫を生かすためには小の虫は見捨てる」とまで言い切る一方で、佐々木氏自らが作詞したテーマ曲『ひとり旅』の中で「しあわせ」「よろこび」「悲しみ」「さびしさ」を「知らぬ男」として歌われている。
思想的に反体制側にあった佐々木氏を思うとき、その構図は矛盾があるのではないか?
そういった当然の問いに、佐々木氏はこう答えた。

「確かに逆なんだけど、テレビじゃ反体制の人間を主人公にはできないよ。そんな企画書いても通らないし。ただ『不知火一族』にしても『独立原野党』にしても、この日本に、国家体制に断固として逆らい続ける人たちが、いっぱいいた方が面白いでしょう(笑)断固として国家と戦い続ける人々の姿を描きたかった。こうしたヒーロー物を書いている自分にだって、どこかにパレスチナゲリラに同調した足立正生君のような気持ちがあるんだよっていうところはありました。そういう人達をドラマに出して、気分はわかるよ?と。自己満足かもしれないけれど、誰かがその気持ちを解ってくれるだろうってね。大和朝廷とか騎馬民族とか、番組を見ていた子ども達があとになって、歴史の授業のときに『あぁそういやそんなことがあったっけ』って、思い出してくれればって(佐々木氏・談)」

「日本を侵略した大和朝廷天皇制によって、滅ぼされた原住民族」という構図は、後の佐々木守作品にとって、常に娯楽の背後に流れた裏テーマになっていった。
それは浦島太郎伝説に描かれた、竜宮城という存在への憧憬と重なり、例えばお昼の時間のメロドラマとして製作された『三日月情話』(1976年・東海)でも、円谷プロのSF特撮映画『ウルトラQ・ザ・ムービー星の伝説』(1990年)でも、「日本の原住民が、最後に辿り着ける竜宮城という常世の国を、捜し求める人の姿を追うドラマ」として描き続けられた。
氏の遺作となった子ども向け小説『竜宮城はどこですか』もまた、その心を、現代の子ども達へ託す意味で書かれた作品であった。

その「日本原住民」の定義を、佐々木氏は後年こう語っている。

「今の日本のありように疑問を感じ、天皇制に支配される前の縄文人の精神を持とうとする個人。それが僕の中での『日本原住民』の定義なんです」

文明にシンクロニティが出来ず、自然とそこに溢れる生命力を糧に、現代の社会で生きていかねばならないという、宿命を背負った主人公。
例えばそれは、今や名作アニメとして伝説になっている、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)の、主人公少女・ハイジもそうであったろう。
『ハイジ』といえば今やギャグのネタにまでなった「クララが立った!」が印象深いが、これすらも、佐々木氏の脚の不自由さを思うときには、氏の「真なる娯楽」への身の捧げ方に頭が下がる想いである。
その『ハイジ』に関して、佐々木氏はこう語った。

「僕が『ハイジ』をやった時は、ハイジが都会の中でアルプスの自然を強く求めれば求めるほど、周りとズレていくという部分を強く担当したので、アルプスの生活部分は、あまり書いていないんですよ。僕は『風の谷のナウシカ』(1984年・宮崎駿監督)なんかは、あまり好きじゃないんです。あれは要するに、『風の谷』の人々が自然と調和して、平和に仲良く暮らしているというお話でしょう? あぁいう物を見せられても『ハイその通りでございます』としか言えないんですよ。だけど現代の日本で、本当に自然と調和して生きていこうという人間が存在しようと思ったら、それは現代社会の体制やシステムから見た時の『悪者』としてしか現れようがないと思うんです。『アイアンキング』で日本原住民を悪者にしたのもそういうことなんです(佐々木氏・談)」

子ども番組を作るとき、佐々木氏は常に、「『戦後民主主義』を子どもたちへどうやって伝えるか」に粉骨砕身していた。
しかしそこで大上段に振りかざして、押し付けるスタイルを取ってしまっては、そのスタイルそのものが「戦後民主主義」を否定してしまう。
氏は徹底して娯楽の形の中に、それら真理を含ませていった。
それは母親が、にんじん嫌いの子どもに対して、味がわからなくなるくらいにまで摩り下ろしたにんじんを混ぜたカレーを作って、食べさせてあげる行為に似ていた。

「『子どもは大人の教育の次第でどうにでもなる』という考え方が、未だに根強く残っているけれども、そうじゃないと思うんです。子どもは生まれた時から、それぞれの個性を持っているわけで、それを大人が期待する子どもの型に押し込めてはいけないし、もしやったとしても、上手くいかないと思うんですよ(佐々木氏・談)」

その限界をウェットコメディとして描きつつ、また「子どもたちと直接接する存在はファンタジー世界の住人である」との真実を描いたのが、九重佑三子を主演に1967年に初作が作られ、そして1978年には当時国民的トップアイドルだった大場久美子を主演に起用してリメイクされた『コメットさん』だった。
『コメットさん』とは、日本でも放映されてヒットした、アメリカテレビドラマ『奥様は魔女』(日本放映・1966年)をモデルに作られた、いわゆる今でいう「魔法少女ジャンル」の元祖ドラマ。
近年では萌えアニメにもなったみたいだが、そちらは全く関係ない。
コメットさんは、ドジでお人よしな宇宙人の女の子。
地球に勉強にやってきていて、悪ガキ兄弟のいる家庭で住み込みのお手伝いさんとして働く。
毎回の話のフォーマットとしては、コメットさんが魔法のバトンを使って様々な事件を解決するわけだが、そこで脚本参加していた佐々木氏も市川森一氏も、そうそうお手軽予定調和な物語は書かなかった。

佐々木氏が描いた『コメットさん』では、必ず子ども達の自由奔放な悪ガキっぷりに、コメットさんが振り回されるだけ振り回されて、孤軍奮闘で終わるようになっている。
子どもたちに対して、中途半端に大人の視点で教育指導しようとしたコメットさんは、いつでも子ども達に(それは佐々木氏の理想の中の子ども達ではあったが)浸透していた「戦後民主主義」によって、逆に何かを教わるという構図だった。
そこで佐々木氏が伝えようとしていた『戦後民主主義』とは、いったいいかなるものだったのか?

「日本の敗戦を体験した僕には、『戦後民主主義』は明確な手触りとして残っている。
それは『個人が体制よりも、社会よりも組織よりも、すべてに優先して尊重される』という価値観であり、そんな行動のことであった。(大和書房『ウルトラマン怪獣聖書』)」

そして本来その真理を、直接伝え教えなければならない場所「学校」。
そこを舞台に徹底した、スラップスティックな設定と展開で、大ヒットドラマになったのが『おくさまは18歳』(1970年)だった。
『おくさまは18歳』は、文学小説『おさな妻』的な設定をコミカルにアレンジ。18歳の少女・飛鳥(岡崎友紀)と高校教師の哲也(石立鉄男)は、同じ高校に通う教師と生徒という関係でありながら夫婦。
けれど学校側の方針で、それがばれたら二人とも学校を追い出されてしまう。
ところが二人はそれぞれ男子生徒・女子生徒にモテモテで、二人の関係がいつばれるのか?を軸にして、いつ果てるとも知らないドタバタが続くのである。
ヒステリックでエキセントリックなジェットコースター的展開は、回を追うごとにエスカレート。二人が同居する家に、互いが友達を呼ぶことになり、鉢合わせしないように双方が家の中と外を、行ったり来りのギャグだけの回や、シリーズ屈指のキレまくりキャラの「お隣の女性漫画家(うつみ宮土理)」が「悔しいわ! 悔しいわ! なんだかとっても悔しいわ!」と、叫びまくって暴れるだけの話など、高視聴率を背景にドラマは暴走し続けた。

物語は最終回を迎えても、何も解決することのないまま「永遠のドタバタ」を示唆して終わるのだが、その最終回の脚本で佐々木氏は、わざわざ出演者に向けて「ほんとうによく走りました。 一年間、みなさん、お疲れさまでした」と書いたという。
そこで佐々木氏が伝えたかったのは、きっとドタバタドラマの舞台になった、学校という場の持つ役割だったのかもしれない。
氏はやはり後年、このドラマを振り返ってこう語っていた。

「僕が子どもの頃は、学校へ行くのが楽しくて仕方がなかった。今みたいに偏差値もなかったし、校則もきつくなかったですからね。それに終戦直後で、とにかく物のない時代だったこともあって、バスケットのボールとか、家にはない物が学校には沢山置いてありましたから。ところが昭和30年くらいから、『管理教育』と称して、国や学校は子どもを縛り付けるようになり、70年安保で学生運動が挫折してからは、さらに管理が酷くなった。子どもにとってもはや学校は、楽しい場所ではなくなってしまったんですよ。だから僕の中に、管理のひどくなった学校の現状を笑ってやろうという気分だったから、そういう現実にはあり得ない設定を考えたんじゃないでしょうか(佐々木氏・談)」

今回挙げた作品群は、どれも単純明快な娯楽作品として、70年代の家庭で愛されて、楽しまれてきたものばかりである。
表向きは口当たりの良い軽い作品として親しまれ、テレビ文化の中で名前を刻み込んできた。
だが例えば『アイアンキング』のように、『おくさまは18歳』のように、描かれるドラマにではなく、そのドラマ自体を成立させる設定という舞台装置にメッセージを込めることも可能なのだ。
『コメットさん』のように視聴者の気付かぬところで。キャラの役割を逆転させる妙味もある。
佐々木氏は徹底して、職人でありプロであった。
自らのテーマや思想はいかようにも形を変えて、作品の中に潜ませることは可能だったのだ。

数百本を越える作品群を書き、時代を駆け抜けた佐々木守。
彼は自己を総括して、自らを「放送ライター」だと言い切った。

「一般的に僕のような職業は『脚本家』『放送作家』と呼ばれるけれど、僕は意識して自分の事を『放送ライター』と自称しています。
英語の『WRITER』には作家と言う意味もあるけど、僕は直訳してそれを『書く人』と理解し、僕は作家と呼ばれるほど偉くない、単なるライターだと考えてきた。
自分の過去の仕事量や速度を考えるとき、これはもう作家の域を超えて、単なる書く人、書き屋に過ぎないと言っていいんです(佐々木氏・談)」

そして「自動車を嫌悪する」佐々木氏は、
ライターであると同時に「ライダー」でもあった。

「リハーサル室に革ジャン着て、ヘルメットかぶって入っていくのはカッコいいじゃない(笑)(佐々木氏・談)」

60歳を越えた晩年に、革ジャンライダーにして一流ライター。
筆者が自分で「個性」だと思っていた道の遥か先を、この偉大なる先人は既に歩みきっていたのである。
その偉大なる先人は、もうこの世界にはいない。
佐々木氏の意思、そしてそこに託された数多くのメッセージ。
それは作品という形で、永遠に日本のテレビ文化史に残り続けるだろう。

氏が本当に、日本人に問いかけ残したかった物とはなんだったのだろう?
今となってはご本人に確認する術もないし、筆者はそれを窺い知る事はもはやできない。
というか、佐々木氏の残した足跡は余りにも膨大すぎて、その全てを総括してまとめるなど、筆者ごときでは不可能なのだ。

だから。
だから今回、ここのような形で、佐々木守氏への鎮魂として綴ったこの駄文を最後にまとめる意味で、氏が語った言葉の中で一番筆者の胸に突き刺さった言葉をもって締めくくりたいと思う。

「テレビを見てくれる人が血わき肉踊るような、その時間だけは楽しく過ごしてくれて、見終わったらサッと忘れて、次に移ってくれるような、そんなテレビ番組を作るのが僕の最大のテーマだな(佐々木氏・談)」

きっと氏は、ようやく辿り着いた「常世の国」で、金城哲夫氏や実相寺昭雄氏、円谷一氏や久世光彦氏たちと共に、素敵な作品を作り上げているに違いないと信じたい。
死んで常世の国へ行けば、きっと観られる素敵な作品。
それを、より楽しめるように、筆者はもう少し、この「日本」で頑張って生きてみたいと思うのだ。

佐々木守。
日本を代表する放送ライター。
2006年2/24 骨髄異形成症候群により逝去。
享年69歳。


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