戦後ヒーローの肖像 『鐘の鳴る丘』から『ウルトラマン』へ

出版社:岩波書店

発行年:2003

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佐々木守論・2 大江健三郎と『破壊者ウルトラマン』

前回はこちら
佐々木守論・1 ウルトラマン 怪奇大作戦 お荷物小荷物

「ウルトラマンのように長いシリーズを続けるうえでは、主人公のパロディをやってはいけないという空気があったんですが、まあ実相寺は黙って聞く男じゃないですから(笑)
円谷一さんともども、後輩の実相寺には、のびのび仕事をさせてあげたいという気持ちでしたから、彼もそれに応えてやりたいことをやってましたね。
結局、シリーズのヘテロドクスの部分を実相寺がやって、オーソドックスな部分を僕がやった。
だから、ウマが合ったのかも知れません(飯島敏宏・談)」

実相寺昭雄監督が、『ウルトラマン』(1966年)で、子ども相手のゲテモノ番組に携わるに当たって、当時創造社で、大島渚監督作品などで才能を発揮していた佐々木守氏を、一本釣りのような形で招いたことは、既にこのブログでも幾度か書き記してきた。
そこでの参加作品のうち『空の贈り物』などは、一見するとただのスラップスティックコメディであるし、実際、佐々木・実相寺両氏が(特に実相寺氏が)狙ったのは、その、空虚なまでの繰り返しギャグが生む無常観であり、佐々木氏にしても、そこに「そもそも怪獣なんて素っ頓狂な生き物の非リアリズムは、かようなナンセンスギャグの世界の持つ、空気感の中でしかで生かせない」を、その他の佐々木作品からの逆算から、見て取ることが出来る。

そもそも『空の贈り物』は、実相寺氏の中にある「怪獣特撮演出への絶望感」から、端を発したアイディアだったとされている。
『真珠貝防衛指令』『恐怖の宇宙線』等での、本編班の自分では関与することが出来ない、特撮班による、やたら愛嬌や可愛さを強調した怪獣への演技付けなどを踏まえて、そこでの「人間ぶった仕草や演技」に、理想とのギャップを感じた実相寺氏が、「ならばもうシナリオ段階から、動けない怪獣を想定すればいいのではないか」と「とにかく重たくて動けない」だけのスカイドンを思いついたことから、この話の制作ははじまったのである。

では、その「動けない怪獣」を、いったいどんな物語で描写するのか。
そこはいつものように、佐々木氏に一任されて、その中で佐々木氏はテーマを模索した。

佐々木守氏と同じような「戦後民主主義派インテリ」に、大江健三郎氏がいる。
サルトルの実存主義の影響を受け、代表作に『沖縄ノート』『ヒロシマ・ノート』などを持ち、1994年にはノーベル文学賞を受賞した大江氏だったが、氏が雑誌『世界』に1973年に発表(その後『状況へ』に収録)したエッセイが、一部のウルトラファンには有名な『破壊者ウルトラマン』だった。

沖縄ノート

沖縄ノート 著者: 大江 健三郎

出版社:岩波書店

発行年:1979

そこにあるのは、渡辺一夫、モンテーニュの例を出すまでもなく、人は常に創造の中に、破壊をもたらす存在を渇望している部分があるという論調で始まった「怪獣の存在は、文明を伴った人間社会から出た必然である」という原則論や、「ウルトラマンもまた、正義の旗印の下で、怪獣と戦うという大義名分に隠れているが、街を壊し、社会を破壊する行いをしているのではないか」という投げかけである。
大江氏は同時に「怪獣と同等の破壊活動を行いながら、それを正義の二文字で正当化している」というウルトラマンの立ち位置を、ベトナム戦争下での、ヘンリー・キッシンジャーリチャード・ニクソンの姿にだぶらせており、ウルトラマンはベトナム戦争と同じように、子ども達の倫理観を破壊している、という論調がその大部分であった。

大江氏によれば、怪獣対ウルトラマンは「大自然の使者を、人類が高度に発達させた科学の精が駆逐する」と読み取れるらしく、それは、飯島敏宏・金城哲夫・野長瀬三摩地・円谷一といった、初期ウルトラの中枢を担った表現者達の抱いた構図を、かなり正確に読み取りつつも、肝心のところでバイアスがかかってしまっているという、なんとも歯がゆい解釈であるともいえた。

70年代中盤の、第二期ウルトラブームの後期に書かれた、大江氏のこの文章を、なぜ今回紹介するのかといえば、それはおそらく、大江氏が敏感に感じ取った(感じ取りすぎた)部分を、まさに、内側で作る側に籍を置いた、同じ戦後民主主義インテリズムを象徴する佐々木氏が感じ取っていなかったわけがないという、筆者の信心からである。

それはもちろん、佐々木氏に限ったことではなく、むしろ第一期ウルトラの送り手達は、大江氏がその数年後に記した

もしリアリズムによる怪獣映画があり得るとすれば、それはまず科学の悪、科学のもたらした人間的悲惨をも担い込んでいる、ウルトラマンこそを描き出さずにはおかなかっただろう。(大江健三郎『破壊者ウルトラマン』)

という推測そのままに『ウルトラマン』の次の年には『ウルトラセブン』(1967年)において、どの文芸作家もスタッフも、そこでのヒーローに「人間的悲惨をも担い込ませ」て、メインライターの金城氏を追い詰めていってしまうのではあるが、この『ウルトラマン』の時点では、それをやれたのは佐々木氏ただ一人であり、だがそれは、傍目からはスタンドプレーレベルに留まって、80年代辺りの呑気な特撮評論家達からですら「佐々木守は変化球タイプ」とのレッテルで終わらされていたのである。
それはおそらく『故郷は地球』『怪獣墓場』などの、いかにもなシリアスなルックス作品を送り出す一方で、本話のような、一見スラップスティックなコメディ作品を送り出す、口当たりだけで判断されるふり幅の広さが、そう受け取られたのではないかと思われるが、『空の贈り物』は実は、『故郷は地球』『怪獣墓場』と同等かそれ以上に、佐々木イズムが(実相寺要請に応える形で)しっかりと根ざした作品であるといえる。

「大自然から使わされた怪獣という使者が、人間社会文明に対しての警鐘を唱えながら、暴れて破壊の限りを尽くし、都市や社会を火の海に変える。
そこへ颯爽と現れる、科学の使者ウルトラマンは、正義の大義名分の下、怪獣を倒すという目的を最優先にすることで、怪獣と同じように街を破壊しながらも、最後には必ず未来科学の力で怪獣を倒し、民衆の喝采を浴びて去っていく」

少なくとも『ウルトラマン』のスタッフ達は皆、この構図を無意識で共有し、その大きな枠組の中で個々がバリエーションを展開していた。
上記は不文律であり、そこには誰も異を唱える者はおらず、唯一そこで、その枠から大きく逸脱したのが、実相寺・佐々木コンビだけだった。
ではなぜ、そのコンビだけが甚だしくその不文律から逸脱し、一見するとパロディでしかないような作劇に終始したのか。

佐々木氏は、大島渚監督と組んで既にウルトラ参加前には、大江健三郎氏原作映画の『飼育』(1961年)の脚本も担当していた。
戦時中に、日本の村人達に捕獲された黒人兵士と、村人の交流を描くその物語は、ある意味で黒人という存在を怪獣に見立てた物語でもあるといえ、しかし、そこでの戦争という破壊行為は、その「怪獣・黒人」が直接起こすものではなく、映画のグラウンドデザインとして、背景で行われている破壊殺戮であった。
そこを通過した佐々木氏にとって、警鐘という使命を帯びて暴れる怪獣と、調和と正義という使命を帯びてそれを討つウルトラマンという図式は、これは既に、虚像化し形骸化したやり取りにしか見えなかったのではないか。

一つの個同士の争いが、社会の命運を賭けて展開する大仰な物語を、そもそも佐々木氏が好まないということは多々見受けられるのだが、佐々木氏にとって、あくまで戦争やそれに伴う破壊は、「個の物語」を成立させる、バックボーンである場合が多い。
前回の『佐々木守論・1』でも述べたが、佐々木氏にとって「怪獣」が、排斥され、差別を受け、幸せな社会そのものに憎悪を抱いた存在の総称であるのだという前提で「怪獣的なる存在」全てを象徴するのならば、佐々木ウルトラにおいて怪獣という個が、戦争と破壊のなにかしらを背負って登場することは、ほとんど皆無だと言い切ってもいいのではないだろうか。

例えば戦争構図を背景設定に持ち込んだ『ウルトラセブン』で、招かれた佐々木氏が描いたのは、そこで破壊を繰り返すのは「気が狂った」ロボットでしかない『勇気ある戦い』という物語であったわけだし、あとは、欠番となった『遊星より愛をこめて』でも、佐々木氏が三本を担当した『シルバー仮面』(1971年)でも、ヒーローと直接戦う宇宙人達は皆、「個」を喪失させた「公の軍人・工作員」に限られ、彼らは決して、「怪獣という存在」には成り得ていなかった。

それは『ウルトラマン』にはとても顕著な形で現れていて、実質実相寺氏が一人で脚本まで担当した『地上破壊工作』を除くと、その他のエピソードに登場するのは、それがシリアスな作品であっても、本話などのパロディ的感覚の作品であっても、怪獣達の立ち位置や行いは全て「ただそこに居るだけ」であることがはっきり分かる。
佐々木氏が、大島渚監督と共に作り上げた映画『ユンボギの日記』(1965年)のユンボギや、『飼育』の黒人兵などと同じように、戦争や社会という背景を、バックボーンに明確に背負って登場したジャミラはともかく、他の、ガマクジラやガヴァドン、スカイドンやシーボーズは誰も皆、明確な行動理念を持たず、そこに「存在させられてしまった者」として、居心地の悪さに困惑しながらも、人間社会をぽつぽつと歩きながら、夜になれば眠り、起きてはただそこで佇むだけの存在。

そう、佐々木作品では「だって怪獣が出てこないといけないのだから」という理由で、「そこに存在させられてしまった」怪獣が、本人の意思に反して注目を浴びてしまい、しかしその「生を受けてそこに生まれ出でた」存在が「怪獣」であるだけで、人間社会があたふたと対応し、滑稽な悲喜劇を生み出す、という展開がある。

その出自は、子どもの落書きに特殊な宇宙線が当たったからでも、空から降ってきたでも、要はなんでもいいのである。
むしろそこでの登場理由が、馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しいほど、その先の悲喜こもごもがもたらす空虚さは際立つ。
「そこに生を受けた存在」が「怪獣」と銘打たれて認識される儀式さえあれば、あとは、科特隊が現れて、生真面目に滑稽なドタバタを演じてくれる。
佐々木氏の視点は、それを引いた距離からクロッキーする立場のそれである。
決して、科特隊やウルトラマンの心情には踏み込まない。
それをしてしまえば、それは単なる「怪獣=悪 ウルトラマン・科特隊=正義」という、生真面目で単純で無思慮なイデオロギーに加担してしまうことを佐々木氏は知っていたからだ。
佐々木氏はそれを全て知って、あえてウルトラマンと怪獣から、等距離のスタンスをとるために、その二者をしっかりと自分の中で相対化するために、そこで巻き起こる「怪獣登場・科特隊の人類の英知を集めた対応、万策尽きて人事を尽くして天命を待つ人類・ウルトラマン颯爽と登場・解決」という、ドラマティックで陶酔型のルーティンに対して、徹底的なパロディ化を施したのである。

それは佐々木氏の、作家としての危機管理であったのだろう。
自分がそこに加担してしまえば、そこでの集団に組み入れられてしまえば、自分が本来目指すべき作劇や、抱えていかねばならないイデオロギーを否定してしまい、そこを取り戻すために費やさなければいけない仕事の量と質はハンパじゃなくなる。
そうならないための、自己保身とスタンス確保のための、パロディ化であったのだろう。
それは実相寺監督と共に「怪獣には思い入れが出来たが、ウルトラマンとは心情がシンクロしなかった」という言葉の微妙さにも伺われていて、おそらく佐々木氏が思いいれた「怪獣」とは、ゴモラやテレスドンのように、高らかに吼えながら、屈強な肉体で文明社会を破壊し炎に包む怪獣ではなく、なぜ自分がここに居るのかも理解できないまま、自分は本来ここに居てはいけないのだと、その「違和感」に戸惑いながら、何もしていないのになぜか集中砲火を浴びて、挙句には銀色の巨人に手刀を叩き込まれたりしつつ、社会から永遠に排斥される。
そんな「怪獣」の方に、心情を重ねて感情移入をしていたと、そういう意味なのではなかろうか。

そのための「シリアスなウルトラマンという骨子ルーティンの解体」であり、「それを戯画として再構築する」ことで成し遂げた相対化こそが、佐々木氏をして「大江原作の『飼育』の脚本家でもありつつも、大江氏曰く『破壊者』たる『ウルトラマン』の脚本家でもたらしめた」のであろう。
まず、大江氏の指摘ありきで、そこに逃げ道のような折衷案として、『恐怖の宇宙線』や『空の贈り物』があったのではなく、また、大江氏側に佐々木氏の仕事を嗅ぎ分ける嗅覚があって、佐々木氏だけを例外として贔屓する論調で『破壊者ウルトラマン』が組み立てられたのではない(大江氏の作品単位の個別認識の曖昧さは、『破壊者ウルトラマン』を、オタク視線で読めばすぐ分かる)。

つまり、大江氏と佐々木氏は、時空を超えて暗黙の中で、「ウルトラマンに対する認識」を共有しあえていたということである。
戦後民主主義の中で、そこへの探求を求め生きることを追求した二人の文学者にとって、「破壊された都市と社会」が戦争を想起させる怪獣物というジャンルが、子ども達に賞賛されて受け入れられて、文化に育っていく過程というものが、どこかで空恐ろしく、危険な流れであることを感じ取っていたのだろう。
もちろんそこへのアレルギーは、誰よりも金城哲夫氏など、ウルトラの中枢がとっくに孕んで自覚していたのだが、大江氏はともかく、佐々木氏とて『ウルトラマン』参加時は外様でしかなかったので、そこへ「ウルトラを外から見る、戦後民主主義者の懐疑的な視点」を無思慮に持ち込んでしまったのだろう。
それは、持ち込まれた側の金城氏の中で、様々な化学反応を起こし、『ウルトラマン』中期以降の各作劇でアンサー・反証などの形で出てくることは、筆者がこの時期の、他の金城作品で指摘しているとおりではあるが、「人類がその科学文明の全てを捨てて、縄文の時代からやり直さない限り、人類社会には幸福などは決して訪れないし、科学と自然に調和などない」
そう考えていた佐々木氏にとっては、未来科学の使者にしか見えなかったウルトラマンは、そこでいくら大自然の怪獣と相対しても、そこでのコミュニケーションが戦いである限り、決してそのルーティンは、何かを生み出す生産性を持つことはなく、最終的に「怪獣とプロレスごっこをした結果」破壊を生むだけでしかないのだと、そういう懐疑心をこの時期持っていたとしても、不思議はないのである。

「僕にとってのインテリというのは、ある階級ではなくて、庶民の中に無批判に取り込まれることなく、現代の日本のあり方を見つめてる人達のことなんです。
(中略)
文化はインテリが作るもの。平安文学も貴族社会があったからこそうまれたんです。(佐々木氏・談『怪獣使いと少年』切通理作著)」

戦争の傷跡を忘れ、いや、あえて忘れようとするがごとく、破壊と再生が繰り返される『ウルトラマン』を、無批判に賞賛したこの時期の社会と子ども。
それらに取り込まれまいと、送り手の側に立ってもなお、佐々木氏は、戦後民主主義者インテリとしての立ち位置を貫き通したのではないか。
そのためのパロディであり、そのための「茶化し」だったのではないか。
下賎な社会の通俗的な流れや流行に取り込まれることなく、己の信念やイデオロギーを、常にそれらと対比させながら立ち位置を模索する。
戦後民主主義者インテリの多くは、この高度経済成長時期は、その自己完結型作業に終始したといっても過言ではない。

「ウルトラは戦争物じゃないか」は、今回記したように、一度『ウルトラセブン』で、その戦争構図の概念化を経過して、そして『帰ってきたウルトラマン』(1971年)で上原正三氏によって、もっと「市民にとってのリアリズム」でその図式が暴かれて、まさに戦後民主主義インテリズム的な構造を手に入れるのだが、佐々木氏がウルトラに戻ってくるのは、ウルトラが、そういった諸問題に対して思考を停止した後の『ウルトラマンタロウ』(1973年)時期まで待たねばならない。
そしてその、佐々木氏がウルトラに戻った1973年こそが、大江氏が『破壊者ウルトラマン』を発表した年であり、そのときのウルトラは、怪獣文化は、まさに思考を停止したばかりか、自己陶酔型に娯楽要素表現をエスカレートさせることに没頭していて、一見すると佐々木式の「おふざけパロディ作風」が、大江氏が眉をひそめるほどの過激な描写と展開で毎週放映されてるという、まさに、戦後民主主義者インテリにとっては『恐怖の宇宙線』ラストのムラマツのように、目の前が真っ暗になるような状況が広がっていたのである。

(この項続く)
佐々木守論・3 常世の国を求めた放送ライター


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