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2019-08-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・アントニオ猪木は言う。
 「元気があればなんでもできる!」と。
 冗談のように、人はそのまねをしていたけれど、
 まねしている人自身は、「元気があればなんでもできる」
 と思っているのだろうか。

 ほんとうに「元気があればなんでもできる」かどうか、
 正直なところ、ぼくにはわからない。
 しかし、「元気がない」より「元気がある」ほうが、
 何倍も生きやすくなるとは言えそうだ。

 肉食の魚を釣るためのルアー(Lure)がある。
 水に投げ入れ、それを泳がせて魚を誘うのだけれど、
 その「あやつり方」に演技が必要なのである。
 基本はなによりも「弱った小魚」の演技だと言われる。
 実際に肉食魚を観察したところでは、
 まず、元気な小魚は、追いかけるのが大変なので避ける。
 また、死んでいる魚には食いつきもしない。
 生きているのだけど追いかけやすい弱った魚、
 これが真っ先に食われるのである。
 「元気はないけど生きている」と、食われやすい。
 つまり「元気があると、食われにくい」のだ。

 これは、じぶんが食う側に立って考えたらよくわかる。
 映画の悪漢のように、だれかを殴るにしても、
 弱いけど噛み付いてくる奴なんかの相手をすると、
 こっちもケガをしかねない、と思うだろう。
 攻撃する側は、じぶんは安全でいながら、
 相手に恐怖を感じさせようとしているのだから、
 必死の抵抗をするとわかっている人には触りたくない。
 殴っても拳が痛くないような相手といえば、
 抵抗もできないような年寄りとか病人とかだ。
 「オレオレ詐欺」みたいなやり口も、
 いわば拳を痛めずに利益だけ得ようとする方法だ。
 だから、「元気がない」場合は、
 とにかく怪しいものの相手にならないのが、
 なによりの防御策だということになるのだろうな。
 元気がないのは、自由が減ってしまって大変だ。
 「元気があれば」なんでもできるわけじゃなくても、
 じぶんなりに生きやすくは、なるんだよね、きっと。 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ついつい、野球などのことを頭に置いて書いてしまいます。


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