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【社会】

昭和天皇の声 克明 戦争「反省」退位言及 初代宮内庁長官 拝謁記

初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇とのやりとりを記した手帳やノート=19日、東京都渋谷区で(平野皓士朗撮影)

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 初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が十九日、公開された。日本の独立回復を祝う一九五二年五月の式典で、昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたにもかかわらず、当時の吉田茂首相の反対で「お言葉」から削除された詳細が明らかになった。昭和天皇から退位や改憲による再軍備の必要性に触れるやりとりもあった。

 田島は四八年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、四九年から五三年まで宮内庁長官を務めた。資料は「拝謁記」と題された手帳やノート計十八冊。遺族から提供を受けたNHKが公表した。

 拝謁記には昭和天皇が式典でのお言葉に、「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(五二年一月十一日)と述べたことが記されていた。吉田首相は「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と反対。昭和天皇に伝えられ、お言葉から削除された。研究書で内容は指摘されていたが、今回、詳細が判明した。

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 軍部が暴走した張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(二八年)や、青年将校による二・二六事件(三六年)、太平洋戦争などの回想も登場。「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或はもつと早く止める事が出来なかつたかといふやうな疑を退位論者でなくとも疑問を持つと思ふ」と言いつつ「事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」(五一年十二月十七日)と後悔を記している。南京事件にも触れ、「ひどい事が行ハれてる」と聞いたとした上で「此事を注意もしなかつた」と悔やんだ。

 退位の可能性は繰り返し言及。「講和ガ訂結サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルル」(四九年十二月十九日)。独立回復を祝う式典のお言葉を検討する中では「国民が退位を希望するなら少しも躊躇せぬといふ事も書いて貰ひたい」(五一年十二月十三日)と述べていた。退位で「日本の安定ニ害がある様ニ思ふ」との言葉もあった。

 東西冷戦が激化する中、戦前の軍隊を否定しつつも、改憲による再軍備も主張。「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様ニ思ふ」(五二年二月十一日)。独立回復直後には「侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬ」(五二年五月八日)と述べた。田島は「政治ニ天皇は関与されぬ御立場」「それは禁句」などといさめている。

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<たじま・みちじ> 1885年生まれ、愛知県出身。東京帝国大卒。鉄道院総裁の後藤新平の秘書や日銀参与などを経て、1948年に芦田均首相に請われ宮内府(現宮内庁)長官に就任。宮内庁に組織改編した49年から初代宮内庁長官になり53年まで務めた。皇室の重要事項について天皇、皇后両陛下に助言する参与にも起用された。上皇さまが皇太子時代の皇太子妃選考にも一時、関わった。ソニー会長も務め、68年に83歳で死去した。

 

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