子供産んでる奴が殺人者にしか見えねえって話

全て
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1.子供を産む人の思考

2.親=殺人者

3.三段論法

4.未必の故意

5.幸せとは

6.わるいのはだあれ?

7.願い


兄が以前、自殺した

「生きていたんだよな」した。

遺書には

「生まれてきたくなかった」

と、書いてあった。

彼は発達障害者で、

小学生のときに虐められて以来、

引きこもっていた。

10年以上引きこもっていた。

友達と旅行に出かけることもなければ、

彼女を作ったり、

女性と手をつなぐことすらなかったろう。

彼の人生には苦しみ以外なかったと思う。

しかし、

彼の葬式で母は言った。

「きっと楽しいこともあったでしょう」

と。

これが

「子供を産む人」の思考か、と思った。

母が「楽しいこともあったでしょう」

と思うように、

「いいや、楽しいことはなかった」

という私の想像も、

想像にしかすぎないのだが、

それでも

「彼の人生に楽しいことはなかった」

と私は思う。

「楽しいこともあった」

と思うのは、母の責任逃れなのだ。

母は、「生まれてきたくなかった」

という彼の遺書すらも無視しようとしている。

きわめて、エゴイスト。

これが「子供を産む人」の思考なのだと思う。


先日、

川崎登戸で通り魔事件があった。

加害者は親にまともに育てられず、

養親(叔父叔母)の家や

親戚の家を転々としていたのだそうだ。

先日、

千葉で、実の父親に強姦を

受け続けたあげく、教師や市役所に頼り、

それでも大人達に裏切られ、

父親に殺された少女の事件があった。

彼ら彼女らの親は、

もちろん子供を産む資格がない。

彼ら彼女らの親は、

「殺人者」と呼ぶにふさわしいだろう。

しかし、

普通の親だってまた、

「殺人者」なのだと私は思う。


三段論法、という考えをご存知だろうか。

論理学における、思考の型の一種だ。

例として、

大前提:全ての人間は死ぬ。

小前提:ソクラテスは人間である。

結論:ゆえにソクラテスは死ぬ。

という文言がよく使われる。

ここでは、

大前提として「全ての人間は死ぬ」

と書かれている。

当たり前だろう。人間は不死ではない。

ここで、「ソクラテス」を「子供」

に当てはめて考えていただきたい。

大前提:全ての人間は死ぬ。

小前提:子供は人間である。

結論:ゆえに子供は死ぬ。

私達は、子供が「いずれ死ぬ」

ことを知っている。


未必の故意、という考えをご存知だろうか。

確定的に犯罪を行おうとするのではないが、結果的に犯罪行為になってもかまわないと思って犯行に及ぶ際の容疑者の心理状態。殺人事件の場合、明確な殺意がなくても、相手が死ぬ危険性を認識していれば、故意として殺人罪が適用される。

この考えである。

さて、先程の

三段論法と合わせて考えてみる。

私達は、

「子供が当然死ぬ」ことを認識している。

死ぬ危険性を知りながらも、故意として

子供を産む。

確定的に

「犯罪」を行っているわけではないので、

「殺人罪」には該当しないが、

「殺人」に等しいものだと

思えて仕方がない。

この辺りの論理から、

普通の親でも、「殺人者」

に見える、と考える。


2節をつかって、

論理チックな側面から

子供を産む人が「殺人者」

に見える理由を説明したが、

道徳的な側面から見ても

子供を産む人が「殺人者」

に見えて仕方がない。

私達は、

生きてきた上で、当たり前のように、

「いじめられている人間」

を見たことがあるだろう。

自分の子供が「そう」

ならないと、どうして自信を持って言える?

私達は、

生きてきた上で、

ブラウン管の向こう側から

当たり前のように、

「犯罪者」を見たことがあるだろう。

自分の子供が「そう」

ならないと、どうして自信を持って言える?

私達は、

生きてきた上で、

当たり前のように、

「幸せそうに、子供を育てている家庭」

を見たことがあるだろう。

自分の子供が「そう」

なると、どうして自信を持って言える?

そして、

「幸せそうな家庭で、子供を育てること」

は、果たして本当に幸せなのか?

あなたにとってはもしかしたら

幸せかもしれない。

だからこの幸せを子供にも味わって

ほしくて、「子供を産んだ」。

子供にとって、

果たしてそれは「幸せ」なのか?

「暖かな家庭を築き、子供を育てる」よりも、

「朝、もう少しだけ寝ていたい」

と思うことがある。

旅行に行ったり、遊びに出かけるよりも、

「朝、もう少しだけ寝ていたい」

と思うことがある。

子供にとっての「幸せ」が「そう」

かもしれないことにあなたは気づかない。

彼ら彼女らにとっての幸せは

「暖かな家庭を築き、子供を育てる」

ことではなく、

「朝、もう少しだけ寝る」

ことなのかもしれない。

「寝たい」という欲望。

「食べたい」という欲望。

「暖かな家庭を築きたい」という欲望。

「愛されたい」という欲望。

「愛したい」という欲望。

私達は、生まれなければ、

そもそもなにも不足することがなかった。

望むこともなかった。


私達には、

「望み」がある。

私達は、

「望み」を叶えるために「努力」

をする。

しかし、

「望み」を叶えてなにになる?

「望み」が叶わなければどうなる?

「人生」を生きてきた人間なら、

1度は感じたことがあるだろう。

『人生は、ベルトコンベアだ』

足を止めてしまえば、

その位置に留まることはできない。

もちろん前向きではない。

どんどんと後ろに流されていく。

そんな世に子供を投げ入れて、

なにになる?

子供は幸せか?

養育費、子供の未来、教育、食事、

様々なことを考える「あなた」は幸せか?

元政府の偉い人が、

引きこもりの息子を殺した。

一般家庭の夫婦が、

引きこもりの娘を殺した。

高齢者が、

幼児を車で轢き殺した。

私の兄が、

自殺した。

彼ら彼女らが死んだのは、

「社会」がわるいのか?

いいや、違う。

「あなた」が悪い。

彼ら彼女らは

「生まれなければ」

死ぬことはなかった。

産むことを選択した、「あなたが悪い」


これ以上、

「人生」

という名の、レースに、

強制的に参加させられる「被害者」が増えない

ことを願わずにはいられない。



参考文献

https://kotobank.jp/word/未必の故意-168003

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/三段論法

コメント

  1. へず より:

    なんとなくいいたいこと分かる気がします。
    僕も人生うまく行って無くて、必死で作った彼女には浮気されて別れて、仕事もうまく行かず1年以内に転職を続けています。
    一度心が弱りすぎて親に「死にたい」と漏らしたところ、「お前は可哀相な自分に酔っている」と突き放されました。「人生なんか皆辛い」とも。じゃ産むなよという気持ちになり、それ以来ずっと親を恨んでいます。
    僕も僕に失礼な人間を殺そうと考えたことが何度もありますし、そういう凄惨なニュースを見る度、無責任な人間が「人殺しは頭がおかしい」と言い放つことが恐ろしく感じています。
    普通に生まれ育てられた人間が誰かの手で歪められ人を殺すまでに至る経緯を普通の人は考える事が出来ないのです。

    様々書きましたが、あと何年か分かりませんが、残りの人生でせめて悪いことが少なくなるよう祈っています。

  2. “普通の”論理的思考能力と倫理観があれば当然この結論に辿り着くものだと思っていましたが、どうやら洗脳済みの人々にはよほど大きなきっかけがないと出生の残酷さは分からないようですね。

    個人によって異なる倫理観にのみ頼っていては無用の苦痛が発生するばかりだから法があるのだと、個人的には思っています。
    苦痛の存在を悪としないような危険な倫理観を持つ者(『人生にはいいこともあるんだから』などと出生を正当化する者など)の台頭を止めるためには、生命を作ることを法によって問答無用に禁ずることが必須です。

  3. 一般人 より:

    こんな下らない事を考える「お前が悪い」よ。

  4. う●ち より:

    個人的な意見としては、「子供を産む」ということは親に対しての最大の感謝の証だと思います。「産んでもらい育ててもらって幸せだったから、自分も子供を育てます」というように解釈するのは僕がゆとりで幸せ者だからでしょうか。
    ですが何も考えていないのに子供を産んでしまうような人達は軽蔑します。

    • せぶん より:

      「親への感謝の気持ち」として生まれたその子供は幸せか?

    • まゆり より:

      >>個人的な意見としては、「子供を産む」ということは親に対しての最大の感謝の証だと思います。

      そうですか。
      では、(病気で)子供を産む事が出来ない私は親に感謝すらできない出来損ないと言うことですね。
      それはご自分が子供を作れるからそう思うんじゃないですか。
      ホント、幸せ者なんですね。

  5. lol より:

    そんなに人すべてを殺人者として、犯罪者としてみるしかない暗い眼と脳なら一生暗い部屋に引きこもって何も見ずに勝手に1人寂しく腐ってろ
    おまえが垂れ流してるこの糞宗教染みた話もそのだれかが罪をかぶって生んだ人間が聞いてくれると思って承認欲求満たそうと思って書いてるようにしか見えないし
    そもそもそんなことうだうだ考えてる生産性のない、むしろ人の足引っ張ってる人間が多少なりとも生産性を生んでる人間の批判してることすら笑い話かな。

  6. chrome より:

    んなこと言ったら精子作って殺してる時点で男性みんな犯罪者じゃん

    そう言えばキミは精子と命は違うって言うんでしょ?

    そう、キミはそんな形でも命に意味はあるなんてことを思っちゃってるんだよね。

    ここに書いてある文章はただ世界を批判する背徳感に溺れてるだけの無駄な文章だよ。

    自分だけが世界の真理に気付いた気分に浸って現実逃避したくなる気持ちはわかるけどさ、

    本気でそう思うならもっといろんな人と話してみなよ。

    今のこの理論じゃ誰かが不幸だから不幸にならないために誰も生まなきゃいいなんていう

    痴漢が嫌なら電車に乗らなきゃいいなんていうぐらぐら地盤のザコ理論ちゃんのままだからさ。

    キミ程度の命を無駄にしか見られない存在の命から発せられたメッセージが世界を変えられるわけないでしょ?

    命が無駄だってことを証明するためにキミの命を使ってみなよ。

  7. 匿名 より:

    こういった考えはおそらく、思いやりのある臆病な人か、一定の絶望を体験している人でないと出てこないんだろうなぁと感じました。
    あなたは多分お兄様のことで相当な絶望を体験したのでしょう。私はあなたと比べたらかなり甘っちょろい人生を送っていますが、考えが似ていて驚きました。

    幸せと絶望のバランスはまさに運ゲーで、生まれた家の財政状況や家庭環境など環境に左右されます。
    なので子どもがほしいなら、まずは子どもを健やかに育てられる力が自分にあるのか考える必要があります。
    その条件は割愛しますが、これを考えていると日本じゃ難易度が高すぎて「無理だな」となるのです。そしてこの考え方を持てる人はどうやら少数派のようで、だから「被害者」が生まれるのです。

    でも生んじゃうのはもう開き直るしかありません。人間も動物なので本能に逆らえる人ってなかなかいないんです。大切なのは「苦労もあるけど生まれてきて良かったな」と感じることができる人を増やすことで、その環境整備が重要なんだと思います。それがなかなか進まないから、こんな状態になってしまっているんだろうなと。
    長くなってしまってごめんなさい。読んでくれてありがとうございました。

  8. ぺー より:

    言いたいことわかるけど、三段論法違うよね。
    「死ぬ」と「死なされる(殺される)」は全く違うよ。貴方の謎三段論法は言葉遊びにしか聞こえない。俺も人生の7割は負の感情に埋まってるけど、親が貴方のいう殺人者には思えない。

  9. 苦笑いする殺人者 より:

    君が中途半端な知識と浅薄な思考だけで簡単に他人を侮辱出来ちゃうくらい自分に酔いしれてるってことだけ分かった。君のような頭の弱い中二病を増やさないために頑張るね。君の名誉とここに書いてあることを間に受ける可哀想な人達の為にも、前の人が言ったように三段論法も未必の故意も意味が全然違うってことも伝えておくね。

    • 空蝉 より:

      倫理的には一定の理解ができるし
      とても興味深い内容ですね。

      いわば、「幸せ」と「命の保存」
      どちらが至上なのかの
      究極クエスチョンに感じました。

      個人的な結論としては
      少なくとも、生んだからには
      「楽しい」って思えるようにするのが
      親としての責任ってことだなぁって。
      何が子の幸せか、考えるのみでなく実際に子と向き合って、話して、見つけて、実行する。
      絶対に「楽しい」と思わせないといけない最難関のミッションが子育てだと思いました。

    • アーメン より:

      何をどう頑張るの?笑

  10. ルンペン より:

    これを書いた人もそれに共感してる人も、さぞかし視野が狭くて頭を使うのが苦手な方々なんだろうなあって。こういう思考停止して極論述べる奴、最近多いんだよなあ。

  11. より:

    感情だけで物事を発信するのはやめましょう。
    申し訳程度の論理でお粗末です。

    • 未来永劫幸せな人 より:

      ならば、あなたが今最もするべきことはすぐさま自殺することでは?死ねばあなたがこれから受けるはずだった苦痛も、あなたの杞憂も何もかも感じずに済みますよ?
      生まれてしまったことは仕方がない。あなたが自分の生に対してどんな考えを持とうが関係ない。不幸な存在の為に何かを発信しようとしたのは殊勝だとさえ感じます。ですが、あなたとは違う人間もいるのです。あなた達が辛い人生を歩んでたとしても、生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人もいるのです。そのような人達の幸せや幸せになる権利を否定して「殺人者」だなどと罵るのでは、粗探しをして屁理屈をこねくり回した挙句の果てに、全能の神にでもなったような気になってる子供の僻みのようにしか思えません。

  12. 殺人者の子供 より:

    同じこと考えてる人がいて安心した

    やりたくないことはやらなくていい
    生きたくなければ死ねばいいと
    普段から考えているけど
    死ぬことには恐ろしいほどの苦痛が伴う

    死ぬのが怖いと遺伝子に刻まれている以上
    いくらつらくても頑張って生きざるを得ない

    そんな世界に自分の子供を送り出したくない

  13. ただ生きている人 より:

    はじめまして。

    私はあなたとは対局に位置している人間なのだと思います。
    正直なところ、同情、理解はすれど共感は出来ませんでした。

    酷い親に絶望するのも、人間と言う生き物に絶望するのも良いと思います。
    ですが、貴方と同じように只「産まれて」きて、只「生きている」人達に
    「君達の親は殺人者で君達は被害者なんだ!ああ!なんて可哀想なんだ!」
    と言うのはあまりにも傲慢に過ぎると思いました。

    それは「幸せな人間の綺麗事だ」とおっしゃるかもしれません。
    そうなのかもしれません。きっと私はあなたよりも幸せだと思いますから。

    ですが、あなたの不幸はあなただけの物であり他人の不幸もまた他人だけの物です。
    あなたの感情で他人に幸、不幸のレッテルを貼らないでいただきたい。

    • 管理人 より:

      はじめまして。管理人です。

      拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。

      基本的にはコメントへの返信は控えようと思っていたのですが、ちょっと気になる点があったので返信します。

      あなたの文章からの引用です。

      『それは「幸せな人間の綺麗事だ」とおっしゃるかもしれません。
      そうなのかもしれません。きっと私はあなたよりも幸せだと思いますから。

      ですが、あなたの不幸はあなただけの物であり他人の不幸もまた他人だけの物です。
      あなたの感情で他人に幸、不幸のレッテルを貼らないでいただきたい。』

      最終行の文章を読んでから、
      3行目を読んでいただきたいです。

      もしも、
      釣りだとしたら見事に釣られました。
      脱帽です。

      当ブログをご愛読いただきまして、
      ありがとうございます。

      今後ともよろしくお願い致します。

      • ただ生きている人 より:

        バズってお忙しいであろう中、お返事頂きありがとうございます。

        三行目の文章は確かにそう取れる文面ですね。
        稚拙な文章力で本当に申し訳ないです。
        ここに関しては主観として書かせていただきました。謂わば、自身へのレッテル貼りですね。
        自身へレッテルを貼ることで相対的に他人へのレッテル貼りにもなり得るというのは難しいところですね。
        私は相対的ではなく絶対的に自身を幸せだと感じているので。

        自身の文章力の無さのおかげで価値観の違う管理人さんと少し交流できて良かったです。
        本当にお返事ありがとうございました。

  14. より:

    強い言葉で極端な論を繰り出し、反対の立場を敵とし悪であると排斥する。

    みなさんもうお分かりですね?

  15. うんうん より:

    2500年前にソフィストが提唱して哲学者や宗教者に徹底論破された事今更言われても…
    そう言う話したいなら哲学宗教神学を学ばれた方がよろしいかと…

    • 管理人 より:

      >うんうんさん。

      管理人です。
      ブログお読みいただきありがとうございます。

      え!?
      過去に論破済みの論だったんですか!?

      めっちゃ嬉しいです!
      読んでみるのでオススメの参考文献とかあったら教えて欲しいです。

      正直、自分の考えが異常である自覚はあります。

      私もできることなら愛する人と子供を作り、幸せな家庭を築きたいという願望がないと言えば嘘になります。

      しかし、
      人生を苦しんで苦しんで苦しみ抜いて自死を選んだ兄を間近で見てきた身としては、やすやすと子供を産んで良いのかと悩んで、この駄文を書きました。

      私の兄のような人間を
      身近で見てこず、子供を産むことになんの悩みも持たない方々に正直なところめちゃくちゃコンプレックスがあり、本文に反映されております。

      もし私の「反出生主義」的な考えが既に論破されているのであれば、是非参考文献を教えていただきたいです。

      私は兄のことがなく、歪む前は
      子供を産んで、幸せな家庭を築くことがお金などでは得られない「真の幸せ」だと思っていました。

      できることならば、
      その頃のような悩みのない状態にいま1度戻り、
      自分が過去に描いた幸せに1歩でもいいので近づきたいのです。

      肉親の異常な死と身近ではない人生を生きているみなさんのようになりたいのです。

      重ね重ねお願い致しますが、
      文献があれば教えていただきたいです。

      もしくは、内容を要約していただけると大変嬉しく思います。

      煽りでもなんでもない、
      純粋な気持ちです。

      どうかよろしくお願い致します。
      私を救ってください。

  16. 醤油 より:

    自分の問題を主語をでかくして逃げてるだけだろ…
    自分の不幸の言い訳に他人の幸せを巻き込むなよ

  17. 活人者 より:

    簡単に他人のことを殺人者って言えちゃうようなお前みたいな奴は、やっぱり幸せになるべきではないよ

  18. 太郎 より:

    不幸になる可能性があるから子どもを産むべきじゃないってことですよね?

    さすがに暴論だと思います。携帯なくすの嫌だから持ち歩くのやめようって言ってるようなもんですよ。それじゃあ問題の解決には至りません。

    管理人さんのお兄さんが苦しみ続けた挙句自殺したという事実はとても辛かったと思います。私はそういった経験をしたことがないので心中察することすら叶いません。

    ですがそこで恨むべきは産んだ母親ではなくいじめた人たちでしょう。母親がお兄さんも幸せを少しは感じていたと言っていたのは、そう信じないと辛くてどうにかなりそうだったのではないでしょうか。管理人さんもお兄さんの死を悲しみすぎるあまり、苦しみを与えたのは産んだ母親だという考えになってしまっているのだと思います。

    不幸を避けて子どもを産むのをやめるのは、同時に幸福な人生を送る可能性のある子どもを誕生させないということです。その発想はあまりにもネガティブすぎませんか。

    全ての子どもが幸せを感じられるような世の中を目指す。綺麗事かもしれませんが、管理人さんの言う被害者を減らす方法としてはこれもひとつの手だと思います。

    長々とすみませんでした。私個人の推測がはいっているため決して論理的、現実的なコメントではなかったかもしれません。重ねてすみませんでした。

    管理人さんの幸せをお祈りしております。

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