日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(1)
日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(2)
日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(3)
の続き
朝鮮は「外地」であって植民地ではない、
外地と呼んでいたので植民地ではない、
外地と書いてあるので植民地ではない、
などと言い張る人向け
ドイツ
スペイン・ポルトガル
イギリス
アメリカ
日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(2)
日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(3)
の続き
朝鮮は「外地」であって植民地ではない、
外地と呼んでいたので植民地ではない、
外地と書いてあるので植民地ではない、
などと言い張る人向け
ドイツ
独逸にては法律上植民地を呼ぶに Schutzgebiete 即ち保護地なる語を用ひた。(p19)
スペイン・ポルトガル
西班牙に於ても南米諸植民地の喪失と共にその植民地統治制度に一大変革を加へ、キューバ、ポルト・リーコ、及びカナリ―諸島はプロヴィンチア(provincia)と宣言せられた。葡萄牙にても植民地はprovinciaとせられる。(p27)
イギリス
アメリカに於ける英国植民地中特許状によりて政治団体たる地位を認められし最初のものはメリーランドであって、そはプロヴィンス(Province)と称せられ、(p31)
アメリカ諸植民地は独立に至る迄多くはProvinceであったのである。(p32)
アメリカ植民地中にてもたゞヴァージニアは独立に至る迄ドミニオン(Dominion)と称せられた。(p32)
一八六七年オンタリオ、クェベック、ニューブランスウィック、ノヴァスコシア(Ontario,Quebec,New Brunswick,Nova Scotia)の四 Provinces が有名なる英領北米法(British North America Act)によりて一政治団体に結合され、責任内閣を有する自治的制度が之に与へられたる時、カナダ・ドミニオン(Dominion of Canada)と公に呼ばるゝに至った。その後ニュージーランドも亦ドミニオンなる称呼をもつに至った。この他責任内閣制の憲法を有する濠洲連邦(Commonwealth of Australia)南阿連邦(Union of South Africa)ニュー・ファウンドランド(Newfoundland)愛蘭自由国(Irish Free State)は公にはドミニオンなる名称を以て冠せられざれども、かくの如き憲法的発展を遂げたる英帝国内の自治領土を総称して一九〇七年の植民地会議以後ドミニオン(dominions)と呼び、英帝国内にありて保有するかくの如き憲法的地位をドミニオン的状態と称せられる。(p32・33)
英国の植民地は政治的状態に応じて Empire of India、Dominion of Canada、Union of South Africa、Commonwealth of Australia、其他 Colony、Protectorate など、法律上公の称呼を以て冠せらる。後の二者の如きは憲法上発達の幼稚なる地方に対して用ひらる。カナダ等の自治領土は Colony と呼ばるゝことに侮辱を感じ、英帝国の植民地会議(Colonial Conference)をば帝国会議(Imperial Conference)と改称せしめ、又植民省(Colonial Office)によりアフリカの黒人地方等と同列に所管せらるゝを喜ばなかった。」(p35・36)
アメリカ
現今にてはアラスカ及び布哇がアメリカ合衆国のテリトリーたる名称を有する。併し乍ら米人の移住により成立せる接続地域のテリトリーに反し、之等新獲得のテリトリーに対しては将来 States の地位を与へて合衆国の構成員たらしむる事が期待されて居ない。その点に於て比律賓、ポルト・リーコと同じく合衆国の「属領」たる性質を有せしめらる。(p34)
デペンデンシー(Dependency)の字義は支持物に対してぶら下るを意味するのであるが、・・・例へば比律賓、ポルト・リーコ、ヴァージン群島等はアメリカ合衆国の Dependency とよばれ States にあらざるは勿論 territory とも区別せらる。(p35)