2006年から日本でツイッター使えるようになったんだけど、しっかりとした日本語でツイートできるようになったのは2007年ごろ
2008年ごろにぐいっと利用者が伸びた(第一次流行というか…)
その08年ごろにミーハーとしてツイッターを始めてもっと古参が居るというのに老人枠になっている一人が自分だ。
アイドルのなかだとジャニオタ、次いでハロオタだったかもしれない。
ブログ→ツイッターと流れて行ったので、この二つがブログ文化でも栄えていた影響だろう。
その頃は殆どオタクLINEグループと変わらない使われ方をしていて、芸能人目撃情報が書かれてもその芸能人オタク以外に広まらなかったし、アニメ実況もアニメ垢にしか目に入らなかった。
なので津田大介がなにをしていたのか、まったく知らない。
ついっぷるが出来たのが09年12月。そこで「HOTワード」というものが人気を博した。
日本の特定ブラウザからのつぶやき数でトレンドを順位づけする仕組みだ。今のトレンドと変わらないが、みなついっぷるでそれを見ていた。
ただその頃だっただろうか…もう少し前だったかもしれないが、テレビ局がツイッターを取り上げはじめた。
あのつぶやきシローさんが呟いてるんです…とかで。シローは第二次ブームである。企業アカウントもとりあげられた。
ライフハックや思想、政治、その他社会問題を取り上げる層が増えてきた。ツイッターは確実に年齢層があがってきた。
当然違和感があった。ツイッターってこんな場所だったっけ?と。オタクの場所を奪ったようにも見えた津田氏だったので、良いようには見られてなかった。
今、一般人や芸能人、文化人がツイッターで「自由な発言も許されない世の中」といって政治発言をするブーム(?)がある。
これは別に悪いことでは無い。それが現在のツイッターだというだけだ。
しかし、当時は政治の話や社会的問題を言い争う場所では無く、和やかに漫画やアイドルの解釈について議論し殴り合いをする場もとい語り合う場だったのだ。
もっと言えば個が確立されていた。群れを表すクラスタという言葉も、創世記は使われていなかった。
集団で殴るとか、そういうものが無い。一対一の喧嘩な分、喧嘩相手ともその後仲良くなれたりしたものだ。
政治的な話をしても、見知ったフォロワーや同じ文化が好きな人が丁寧に教えてくれるので、すんなりと議論できた。
必然的にtogetterもオタクだらけで、オタクの交流がまとめられている。ネタだらけで今見ても純粋に面白い。コメント欄も正義厨は沸いていない。
未だに思う。
津田氏のような(改めて言うが津田氏はその一部で代表格なだけである)存在が居なければ、もっと自由にツイッターが楽しめていたのではないかと。
表現の場を奪われることも無く、相互監視も無く、ぼやきとして一意見を聞いてくれる。人として扱ってくれる。
でもそんなツイッターはもう無い。もう、無いのだ。
それに震災が無ければ…という話にもなってしまう。震災でツイッターは何もかも変わってしまったから。
昔はよかったなあと言い出した時点で、老人なのである。
ただあの頃やってきた老人たちより、確実に自分の方が若いのが困ったところだ。
思い出は美化されるというか、昔も楽園だったわけじゃなかった覚えがあるけど ただほんと人が増えたね。昔だったら100ふぁぼも貰えれば超すごくて一万なんてトップクラスのアルファ...
2007年4月にtwitter始めた組だけど、当時twitterにジャニオタは見当たらなかったし、「和やかに漫画やアイドルの解釈について語り合う場」でもなかった。圧倒的に多かったのはIT関連の人...
Twitterみたいな閉鎖的な観測範囲を作り上げるツールで観測範囲をもとに印象を語り合ったらそうなるわな。
当時「検索すると出てくるこの謎の短文クッソ邪魔だな」とか思ってた記憶がある。
元増田ははてなアカウントを取得しはてなユーザーだから一応指摘しておくけど、津田大介のTwitterは「草創期」から有名でしたよ。はてなブックマーク界隈では。はてブユーザーには津...
はてな村はオタク寄りのクラスタなんで単に勢力が小さすぎただけでしょ…
まあ確実に元増田の知識が偏りすぎてて「歴史」を語るにはアレな印象だ
あったあった。それまでは「ネトランとかで書いてる金髪の人」ってイメージだったので、なんかいきない政治に目覚めたんだなと思ってた
津田大介は土管としては問題なくない
コミュニティが時間の経過とともに多様性を持ちお互いに反発しあって縮退していくのはどのSNSでも一緒なので、津田大介がたとえいなくても第二第三の津田大介が Twitter を壊していた...