321早稲田聖殿創立1周年記念礼拝
■昨年8月8日、ペンシルベニアにおいて王様より祝祷を受け、早稲田聖殿が出発して1年になりました。抗議活動を中心にしたこの期間でした。いずれ家庭連合が消滅すれば抗議活動も必要なくなりますので、その時に聖殿としての活動(礼拝・伝道・教育・サバイバル・射撃訓練・農耕・牧畜・釣り・その他)に専念できると思います。抗議活動はハードルが高いという方も、その時になれば是非ご参加ください。特に、行き場がなくなってしまう食口の方に付きましては大歓迎です。(小山田、徳野、井口についてはお断り。あとの幹部責任者については応相談)□王様:ある日幻を見ました。お父様のお顔が一万の太陽のように輝き、近づくことができません。 同時に、お父様の体が監獄にあるのを見ました。お父様の霊人体が、また同時に地獄にあるのです。つまり肉体は監獄にあり、その霊は地獄にあったのです。地獄では魔物たちがお父様を八つ裂きにしていました。そこでお父様は魔物たちに向かって「子供たちを解放する代わりに私の体を持って行け」と叫んでおられました。魔物たちはお父様の肉をむさぼり、お父様を抱えては引き裂いていました。この幻を見たことで、私は霊的突破口を開きました。
お父様は6回の生死をさまようような牢獄と拷問の生活を送られた。逃げるのではなく、喜んで拷問を受けるその場に進んで行かれた。それは私のため、家族のため、氏族とその未来のためにそうされたのです。お父様がそういうことを「私」のためにされたことを初めて知りました。あらゆる苦労は「私と家族の救い」のためにあったのだと。私たちが神様の前に正しいものとして立てるのは、お父様がこのようにして支払われた蕩減条件のおかげなのだと悟りました。そこから七死復活が出てきました。
お父様の愛は、友のために一度死ぬ愛などではなく、愛する子女のために何度でも何度でも死ぬそのような愛でした。私はイエス様のみ言から存在論的に一段飛躍しました。お父様が「真の愛」とおっしゃるとき、このような何度もくぐられた拷問などの十字架路程を通してお父様が現実に体現された愛を指すのだということを悟りました。
それは私と関係のない苦労、蕩減ではなく、お父様の苦難の路程は、「私」が神様の前に正しく立てるようにして下さるものだったということです。 私と家族、孫、そして子孫が神様の前に正しく立てる者になるためです。 神様がこの啓示を与えられてから、お父様への見方、お父様との関係において完全な変化が起こりました。 それまでお父様は、私にとって偉大な教師、偉大な指導者でした。メシヤ、救い主である意味が分からなかったのです。
しかしこの啓示によって、お父様が救い主であられ、それなくしては誰も神様の前に正しきものとして立てないのだと悟りました。
お父様が蕩減を払い、代償を支払うことで、私がその路程を歩まなくとも神様の前に立てるのです。これは巨大な転換でした。お父様が何者であるか分かったのです。その価値の大きさ。単なる教師、預言者ではないのです。メシアと預言者は違うでしょう? 私たちが神様の前に正しいものとして立つために犠牲になられる人類の救い主なのです。これが私にとっての一大転換点でした。 (2016.1.12)
□お父様:イエス様が三十年の準備期間に開拓者として抱いた決心とは、何だったのでしょうか。それは「死の峠があっても私は行く。迫害の道があっても私は行く。滅びることがあっても私は行く」という決心でした。そうしてイエス様は、この準備期間に、自分の生活的な環境を精算し、自分のための生涯の理念を精算し、民族的な全ての因縁を精算し、旧約と法度を重視するユダヤ教団の形式までもみな精算するという、一生の覚悟をしたのです。天国を開拓し、全世界の人類の心を開拓すべきイエス様は、寝ても覚めてもその生活において、神様の理念の境地に、一日に何度も往来しない日がありませんでした。そのようなイエス様であったことを知らなければなりません。(「イエス様の生涯と愛」P.152)
□お父様:このような理念の実践方法をもって現れたイエス様は、準備したユダヤ教団から自分の同志を求めようとしましたが、一人も歓迎する人がいませんでした。民族から裏切られたイエス様は、労働者の姿で現れて、漁夫の友の姿で、彼らの事情を共にする友となり、心情を共にする友となり、願いを共にする友となって、彼らの願うものは何でも死を覚悟して、かなえてあげようという心で戦われたのです。このような心的な内容と、心的な理念をもって証して戦ったがゆえに、ペテロのような漁夫たちがついて来ることができたのです。(「イエス様の生涯と愛」P.172)
□お父様:イエス様の心情が分からない弟子たちは、イエス様を利用して高い位置に上がろうとしました。それを知ったイエス様は、地をたたいて泣いてもその心を晴らすすべがなく、天に向かって痛哭しても、これを晴らすすべがない悲しい心情をもって生きられたのです。しかし行くまいとしても、行かざるを得ない使命の路程が残っているがゆえに、その心を抑えて弟子たちに対して「誰でも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」と言われました。自分の心中、骨肉にしみ込んだ決心の一端を再度証されたという事実を知らなければなりません。
その時この言葉を聞いた弟子たちは、それはイエス様の言葉であって、自分たちとは何ら関係がないと思いました。弟子のヨハネの母が自分の二人の息子を「終わりの日」に栄光の立場に立ててくれと言ったときの、もどかしく惨憺たるイエス様のその心情を今一度考えてみて下さい。イエス様は哀れな方です。イエス様が弟子たちにそのように教えてあげ、そのように訓戒してあげたにもかかわらず、彼らはそのみ意が分からなかったのです。(「イエス様の生涯と愛」P.177)
□お父様:しかし、このような彼の心情を誰一人として知る者がいなかったのです。そのような事情に置かれているイエス様にとって、自分だけに向き合ってほしいという幾人かの弟子たちを見つめることは、どれほど悲しかったことでしょう。イエス様は千辛万苦して真心を尽くす聖徒たちがおなかのすくときには、餅を作って食べさせてあげ、彼らが「時」のために泣くときには、彼らを慰めてあげ、失望するようなときには、八福の教えを通して天の祝福を紹介しました。
このように彼らを率いて回りながら、失望するのではないか、あるいは離れていくのではないかと心配をされたイエス様の心の切ない事情を表現したものが、まさに福音書のみ言であることを私たちは知らなければなりません。さらには、一つの事情をかけて話せば話すほど、そのみ言を聞いて近づくべき弟子たちであるにもかかわらず、かえって遠ざかる立場に行く弟子たちを見つめるイエス様の心情を感じなければなりません。
ついには腰に手ぬぐいを巻いて、たらいで弟子たちの足を洗ってあげながら、私の道理は「仕えること」であると主張したイエス様でした。このようにしてこそ、天と因縁を結べることを知っていたイエス様だったので、行くまいとしても行かざるを得なかったのです。このように悲しみを感じながらも、弟子たちを見つめられたイエス様であったことを知らなければなりません。(「イエス様の生涯と愛」P.179)
□お父様:そのような心情に徹したイエス様には、民族に対する恨みの心や、教団に対する恨みの心、あるいは堕落したアダムとエバに対する恨みの心がわき出ることはありませんでした。人を恨む余地がなかったイエス様であったことを、私たちは知らなければなりません。昔、先祖たちは、悲しいとき天から慰めを受けましたが、イエス様は悲しい立場にあっても、「悲しい」と祈れない自分であることを悟っていたのです。祈ろうとする前に、既にすすり泣きの涙がイエス様の膝をぬらしていただろうと私は思います。(「イエス様の生涯と愛」P.184)
□お父様:イエス様が十字架の道、ゴルゴダ山上の孤独な道をたどっていこうとするとき、愛する十二使徒の代表であるペテロを再び振り返られました。それは、自分のあとに一番先に従うべきペテロの心が変わるのではないかと心配したからです。このように神様のみ旨を心配する自分の心が悲痛であるにもかかわらず、愛する心でペテロを顧みられたイエス様のその視線を、今日再び感じる者とならなければなりません。
しかしペテロは、三度もイエス様を知らないと否認しました。それゆえ天のみ旨とは完全に分離された立場に立つようになり、イエス様とは関係のない立場に立つようになったのです。そのようなことを知っているイエス様でしたが、死の道に向かっていく自分のあとを死守して、同情してくれる一人の人を探そうとされたので、愛する一番弟子であるペテロを振り返られたのです。このように、一人の真の人を探そうとされたみ旨が、愛弟子ペテロを見つめるその視線の中にしみ込んでいたことを知らなければなりません。
神様の全体的な摂理に責任を負ってこられたイエス様においては、このような立場に立つようになるとき、これほどの悲しい場面はないでしょう。なぜならば人間の不信によって、ゴルゴダの道、死の道を行く自分の使命を引き継ぎ得る一人の人を探そうとするイエス様は、言うに言えない悲しみに浸ったのです。ただ神様だけが、イエス様のつらい心情を分かってくださり、イエス様の悲しい事情を心配してくださいました。
イエス様はその三十年余りの生涯に、ひたすら天の悲しい事情に代わって歩んできた苦労の路程を回顧してみるとき、人間に対して叱責したく、地に対して呪いたい心が身に染みていたのです。ところが、自分のそのような心を押さえつけ、自分の足取りを止めて、従っているペテロを見つめたのです。このようなイエス様の内的心情を感じられないならば、イエス様を中心とした神様のみ旨を代わりに引き継いで、万民の前に堂々と立てないことを、はっきりと知らなければなりません。
それならば、このように孤独に苦難の路程で一生を締めくくられるイエス様を見つめるペテロの心は、どのようなものだったでしょうか。彼は過去にイエス様と結んだ本性の愛の因縁を忘れられず、孤独な中で呻きながら、この上なくわびしい立場に置かれたことでしょう。哀れなイエス様を侮辱し、罪のないイエス様を恨み、罪のないイエス様が縛られ引っ張られていくその姿を見つめるペテロの心も、もちろんとても痛かったことでしょう。
しかしペテロは、イエス様が全人類を取り戻すための代表的な使命を帯びてこられたメシヤであることを悟れなかったので、弟子たちの代わりに乗り出すことができず、自分だけを考える立場に立ってしまったのです。このような立場に置かれているペテロの前に女性の僕たちが現れて、ナザレ人イエスの群れではないかと問われたとき、三度も「知らない」と言いました。このようなペテロ一人の姿は、地上の人間を代表した立場であったことをはっきりと知らなければなりません。(「イエス様の生涯と愛」P.189)
□お父様:イエス様が天のみ旨一つのために、この地上の万民のために自分の幸福を求めず、自分のすべてを天の前に供え物として捧げられました。十字架に引かれていかれながらも、恨まないイエス様の姿を見守りながら、三弟子は自分たちの生涯があまりにも自分中心的であったことを感じるようになりました。そうして自分を中心としないイエス・キリストの前に、弟子たちは自ら自己を反省し、イエス様が常に願われたみ旨を引き継いで、この地上でそのみ旨を実践しようと、心に確認して誓うことができたのです。(「イエス様の生涯と愛」P.192)
□お父様:言葉なく、天のため地のため、万民のため、み旨のために亡くなったイエス・キリストの死を通して、ペテロはおのずと主を尊敬するようになり、その死の前に懺悔の涙を流して痛哭したのです。(「イエス様の生涯と愛」P.193)
□お父様:このように主が十字架で亡くなる前に苦難を受けられる姿を見て、ペテロだけが痛哭しながら悲しく泣いたのです。このようなことがあったからこそ、イエス様が使徒たちを中心として役事することができる基準、イエス様と人間たちが互いに因縁を結べる新しい基準が造成されたことを、皆さんは知らなければなりません。(「イエス様の生涯と愛」P.193)
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