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2019-08-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・よく、「失敗」が大切だと言われるのだけれど、
 どうしてそれが大切なのか、
 じぶんに説明できたことがあったろうか。
 人には言える、平気で言えるし、信じつつ言える。
 「失敗が、なにより大事な経験になる」と説ける。

 しかし、じぶんの失敗については、
 納得しないままに「失敗も経験だから」と、
 慰めるように、あるいは半ばあきらめたように、
 思いこむことが多いような気がする。

 ずいぶんと大人になってから、
 「失敗」が大切な宝であることが、わかるようになる。
 いろんな大人が、それを教えてくれると思うが、
 ぼくにとって、いちばん簡単な説明とはこういうことだ。
 「失敗は、やろうと思ってできないから」、これだ。
 やろうと思ってする「失敗」、というものはない。
 やろうと思って、うまく「失敗」ができたとしたら、
 それは、ただの「計画の成功」だ。
 だれも「失敗」なんかしたくないし、
 どうやって「失敗」しないかさんざん考えているのに、
 してしまうのが「失敗」だ。
 つまり、「失敗」というやつは
 うまくいくための「計画の網の目」をかいくぐって、
 やっと出現してくれる「貴石(奇跡)」なのである。

 「失敗」と出合って、そこで終わりにならなければ、
 (できたら元気に)生き続けてさえいたら、
 「あの失敗があったおかげ」に気づくことになるだろう。
 あらゆる周到な計画も、いかにもでっかい夢も、
 「失敗」という宝に出合えぬままでは、
 ありふれた「ただの成功」にしか届かないだろう。

 「失敗」という「貴石(奇跡)」は、
 運命と呼ばれる「つながり」のなかにあって、
 ひときわ輝く宝石である。
 ほしいと思っても与えられぬ宝の石だ。
 こんなものさえなかったらと忌避されていたのに、
 それがあったからこそ、すべてがつながってくれる。
 「失敗」のある人生にこそ、感謝と歓喜を。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
気取って書いてますけど、なにかあったわけじゃないです。


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