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「私の写真館」その5―ヘンリー・キッシンジャー― [2019年02月04日(Mon)]
「私の写真館」その5
―ヘンリー・キッシンジャー―


一枚の写真は10万語にも優る説得力があるという。

ユダヤ系ドイツ人のヘンリー・キッシンジャーは1923年生まれで、既に95歳になっているはずである。リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード両大統領の国務長官として大活躍し、特に1971年、ニクソン大統領の「密使」として中国を二度訪問し、周恩来との会談を通じて米中和解の道筋をつけた。

その折、在日米軍の存在は日本の軍国主義への回帰を抑えており、いわばアメリカは「瓶の蓋」であると説明したらしい。キッシンジャーは今も中国外交の指南番的役割を果たしており、日本があまり好きではないことは「瓶の蓋」論でもお分かりの通りである。キッシンジャーのそもそもの日本嫌いは、ハーバード大学時代の日本人女性との関係で嫌いになったとの俗説もあるが、これは信用に値しない。

1977年、フォード政権の退陣と共に国務長官を退任。1982年に国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立して社長に就任した。私が初めて彼に会ったのは、この会社の設立準備をしていた1981年6月のことで、知人の紹介でハドソン川に面したのEast 52nd St.の高級マンションの3階か4階であった。通された部屋は壁面全てが紫色の薄暗い異様な雰囲気の部屋で、そこには朝食の準備がされていた。

当時日本は、油乞い外交で中曽根康弘、三木武夫の両氏が競うようにアラブを訪れていた。私は「貴男とコンサルタント契約を結び、必要な時に必要な情報をいただきたい」と率直に伝え、彼はしばらく考えてから、「実は、トヨタや複数の企業からコンサルタントの申し込みを受けているが、私の立場上、特定の企業との契約は現在お断りしている。しかし貴男は若いし、私の個人的な学生として授業料という形で引き受けましょう」と快諾を得た。

食事.jpg
朝食を囲んで


一年間、5万ドルで契約書にサイン。送金も完了して1カ月ほど立ったある日、読売新聞に小さく「笹川陽平氏、キッシンジャーと契約」との記事が掲載され、どこから漏れたのかは不明だが、キッシンジャー氏も困惑され、「誠に申し訳ないが、契約はなかったことにして欲しい」との連絡で、この話は水泡に終わった。

その後、私はチェコのハヴェル大統領(当時)と17年間に亘り「フォーラム2000」なる会議をプラハで開催。世界の有識者がその時の世界的テーマについて自由闊達に議論する場を提供してきた。キッシンジャー氏も二、三度出席されたが、挨拶程度で深い話の機会はなかった。

ところで、日本では森喜朗首相時代、「加藤の乱」に失敗した加藤紘一代議士が失意の時を過ごされていたある日、「キッシンジャーが来日しており、笹川さんから北朝鮮状況について説明を受けたい」ということで、久しぶりにホテル・オークラの「山里」で昼食を共にしながら彼の質問に答え状況説明をしたところ、最後に「何故北朝鮮ではクーデターが起こらないのか?」との質問になった。

一度、金正日時代にクーデターの未遂事件があり大粛清が行われたことを説明の上、「北朝鮮ではかつての古代・中国と同じように、犯人だけでなく、その家族・一族9親等まで厳しい処罰の対象となるため事実上不可能であることを説明したところ、「なるほど、そういうことか」と納得の様子であった。

その後お会いする機会はないが、彼が「現代外交の生き字引」であることには、今も変わりはない。
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アメリカは太平洋戦争のかたきを日本にとられると警戒してキッシンジャー氏は日本ぎらいなのかも。関ヶ原から200年以上たって島津藩は徳川に復讐したわけだから。500年後にアメリカの国力が弱り、日本にやられてもおかしくはない。
Posted by: 岡田 一夫  at 2019年02月05日(Tue) 15:58