2016年7月27日 タンジ日報(リンク)
[社会] 韓国軍特殊慰安隊:韓国戦争(朝鮮戦争)の第五種補給品は「女」だった
記者:あかいそら
1950年6月25日、北韓(北朝鮮)の人民軍が38度線を越えて進軍を始める。そしてまたたく間に南韓地域の大部分の占領に成功する。
キムさんは十代の少女だった。花のような年齢、木の葉が落ちても笑いがこぼれる年頃、ひときわ華やかなはずの時節だったのに、戦争の前で、少女の思春期などはなんの意味もなかった。38度線以南の少女たちは、戦争を避け、南へ南へと逃げた。以北の少女たちは鉱山に引きたてられて、搾取された。戦争に必要な物資を補給するためには、幼い少女の労働力さえも惜しい状況だった。
1950年9月15日、仁川上陸作戦。韓国軍と連合軍は、北韓地域の大半を占領するに至る。
人民軍は退却にあたり、少女のキムさんを解放した。少女は故郷へ向かった。南へ、南へ。その途中、米軍と韓国軍よりなる部隊に出会った。少女は幼い子供にすぎなかったが、軍人にとっては「パルゲンイ(赤野郎)」にほかならなかった。少しだけ幼い「パルゲンイ」。少女は捕虜になった。そしてそこでほかの少女たちに出会った。彼女たちは、昼間は軍人の食事と洗濯など裏方の世話をし、夜は軍人たちに呼ばれて行った。少女たちは、軍人たちの性欲を解消するはけ口にほかならなかった。韓国軍慰安婦。
1953年、休戦。しかし、キムさんは故郷に戻れなかった。力の強い国々が、やんごとなきお方が、勝手に定めた休戦ラインを越えることはできなかった。彼女のように故郷を失った者たちが休戦ラインの近くに集まって、村を作った。風塵の歳月とともに少女はハルモニ(おばあさん)になった。桃色の頬はいつしか艶を失い、皺だけが過ぎ去った時間を刻んだ。
96年の冬、ハルモニはある博士課程の女学生に会った。朝鮮戦争当時のことを尋ねる学生に、ハルモニはかつて見た少女たちのことを打ち明けた。その女学生こそ、2016年の今日にいたるまで、韓国軍慰安婦問題に関する限り唯一の研究者であるキム・グィオク教授だ。
キム・グィオク教授は、キム・ハルモニの証言に基づいて、韓国軍慰安婦に関する研究に着手した。そうしたある日、国防部軍事編纂研究所の書架の片隅に差しこまれていた「後方戦史」の中に、決定的な証拠を発見する。大韓民国陸軍の公式史料に韓国軍慰安婦に関する記録が残っていた。
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その後、研究は急展開を見せる。そして2002年、日本で開かれた第5回「東アジアの平和と人権の国際シンポジウム」で、韓国軍慰安婦の存在を公開する。
このとんでもない事実は、「朝日新聞」と「オーマイニュース」(リンク)に同時に報道された。国内主要日刊紙とニュースもこの衝撃の事実を扱った。しかし、この事実はまもなく隠されてしまう。誰でも閲覧可能だった「後方戦史」は、外部の手の届かないところに置かれ、キム・グィオク教授は、上層部の息のかかった大学当局から、「気をつけるように」という警告を受けた。韓国の知識人たちは、「あなたの研究成果は認めるが、わざわざ民族の恥をこんなふうに明るみに出すべきだろうか」と言い、日本軍慰安婦問題の解決の妨げになることを憂慮した。
日本軍「慰安婦」被害者も、いわゆる「カミングアウト」をするまでに、ずいぶん悩んだだろう。ただ、彼女たちは日本帝国主義の被害者だったので、韓国社会に受け入れられた(これでさえ、かなり険しい道をたどったことは言うまでもない)。最初はもみ消そうとしていた問題が、韓国人の愛国心を刺激する要素の一つとして使われるまでになった。そのプロパガンダの中で、日本帝国の軍人は汚く、変態のような、絶対悪として描かれる。そして、その対称地点に植民地朝鮮の女性がいる。その女性は、日本の男性の野蛮さによってずたずたにされながらも、依然として花のように清らかな姿の絶対善として存在する。このような対立の構図の中で、韓国人は怒りが噴き出すのを感じる。そして、この国において二度とこうしたことが起きないよう、国家の力の涵養に身を捧げることを肝に銘じる。これがまさに、韓国社会が日本軍「慰安婦」問題に対する支配的な見方の一つだ。
この対立の構図の中には、物も知らない少女を拉致し、騙し、日本軍に売り渡した朝鮮人だとか、被支配者とはいえ、日本軍あるいは満州軍として役割を果たしつつ慰安婦制度の恩恵を享受した朝鮮人男性の存在は忘れられた。彼らの存在まで視野に入れた瞬間、日本人慰安婦問題はあまりにも複雑になるからだ。絶対善と絶対悪の対立構図が、その鮮明さを失ってしまうからだ。一つの社会において、ある見方が絶対多数の同調を得られるなら、おそらくこのような善悪の対立構造の中で、当該社会が絶対善の位置を占める可能性が高い。
一方、韓国軍慰安婦問題は、それ自体、複雑だ。加害者は韓国男性。われわれは、国のために身を捧げ、戦った英雄たちを、汚く、変態のような日本の軍人と同一視することは、とてもできないだろう。しかし、事実に目と耳を閉ざし、見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞くならば、われわれはあれほど憎悪している日本帝国主義と何が違うのか。
2016年の今日、われわれは、はたして国とイデオロギーから脱皮したあとも、人権について語ることができるのだろうか?
(つづく)
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