「光源としての唯物論的ユーモア―尾崎翠と花田清輝9/10
 

 

 

 

 このようにして花田は、日本のマルクス主義のなかで独創的な位置をしめることとなった。と同時に、彼は尾崎翠のテクストをも乗り超えていく。狩野啓子は、「尾崎翠の本質は<かなしみ>にあるので、その<かなしみ>を共感を呼ぶ言葉として表現していく過程で、映画を取り込み、フロイドの助けを借り、滑稽味を意識的に加味していったと考えられる 」としているが、そうだとすれば彼女の唯物論的ユーモアは、<かなしみ>の強度をたかめるものにすぎなくなる。読者は、そのユーモアによってテクストの作者の「かなしみ」に「感情移入」することを余儀なくされる。「感情移入」が「精神の惰性」であるといったのはベンヤミンであった。だが、花田の唯物論的ユーモアは、尾崎が駆使したような対立するもの同士のズレによって起こるばかりでなく、ある種の驚きによっても起動し、より高次の喜劇のために奉仕する。  はたして砂漠とは、砂だけの無限にひろがっている空虚な世界、風吹けば、砂煙のため、日の光さえ薄れてしまう暗い世界、草木枯れはて、動物の骨の白々と光っている死の世界、――要するに、月世界のように荒れはてた、見捨てられた世界であろうか。…すべての風景は、一つの心の状態の表現であろうが、しばしば、それは、おのれの真の心の状態をみまいとする、一つの心の状態である場合も多く、たとえば、…内心の砂漠において、対立し、拮抗し、争闘しつづけている、魔神的なものを避けて通ろうとする、哀れむべき感傷のあらわれ以外のなにものでもなく、虚無の周辺をぶらついたことのある一旅行者の眼にうつった、単なる異国の風景にすぎないのだ。…砂漠には、砂と風があるだけではない。そこには隊商の道が灰いろのリボンのように曲がりくねっており、何千年来、駱駝の調子の整った足音が聞こえ、その首につけた鈴の音が、りんりんと鳴りひびいているのだ。そうして、…そこにはまた、無数の植物や動物が生きつづけている。
 戦後直後に書かれたこのエッセイは、読者をある種の驚きのなかに招き入れる。このエッセイが安部公房の『砂の女』のヒントになったことはよく知られたことであるが、ここには読者が自分が馴染んできた概念的カテゴリーによってはとうてい同化できそうにもない全く新しい種類の世界がある。花田のエクリチュールは、「砂」のように流れ、「意味」は訪れるとともに直ちに崩れ落ちて「虚無」の周辺を彷徨するかと思えば、それ自体が「砂漠」の無限の「創造」の「状態」であるという驚き。J・モリオールが指摘するように、通常大人が子どもより驚きからユーモアを感じることが少ないのは、「大人はより多くの経験を有しているばかりでなく、より抽象的な概念を操作する能力も有しており、彼らの経験するほとんどすべてのことは、以前に経験したことのあるモノや出来事の一種とみなされる 」からである。花田のエッセイは、読者の経験や概念をいとも簡単に飛び越えてゆくことで読者を子どもにもどし、驚きによるユーモアをもたらす。つまり、読者の概念的な図式を根底から揺さぶるのである。彼の特異な唯物論的思考が集約している「物体主義」や「ドン・ファン論」にある種のユーモラスさがともなうのもそのためである。こうしたユーモアは世界と人間に対するより深い思考の良いチャンスとなるが、尾崎のテクストにはこのユーモアはない。
 だが、花田が尾崎のテクストを決定的に越えていくのは、ユーモアが<かなしみ>に奉仕するのではなく、より高次の喜劇、すなわち「革命」のために発動するからである。そもそもマルクス主義者とって「革命」は喜劇であるほかない。というのも、イーグルトンのいうように「マルクス主義者でいることの唯一の理由は、あなたがマルクス主義者であることをやめることのできる地点に到達するためなのであ 」り、その地点こそ「革命」が占める場所にほかならないからだ。『復興期の精神』から最晩年の『室町小説集』まで花田の批評のディスクールはすべて「革命」に参与しようとする実践であったが、とくに尾崎翠からの影響を告白した60年前後からの、より正確にいえば58年の『泥棒論語』からの創作を通しての批評、すなわち戯曲としての批評、小説としての批評はまさしく喜劇的な革命的実践であったといえる。

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