津田大介さんが、TwitterやMediumで今回の「あいちトリエンナーレ」で騒動を起こしたことに対する経緯説明とお詫びを書いていたので、表現の自由を尊重するべきという津田大介さん支持の立場から、気になる点について、津田さんの書き込みにリプライする形で私もMediumで津田さんへの質問コメントを寄せたんですよね。

やまもといちろう 
https://medium.com/@kirik/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BB%8B%E3%81%95%E3%82%93-%E3%81%94%E5%A4%9A%E7%94%A8%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E4%B8%81%E5%AF%A7%E3%81%AA%E3%81%94%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%82%92%E3%81%95%E3%82%8C-%E3%81%8A%E7%96%B2%E3%82%8C%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F-f107f7cffa04

 ところが、津田大介さんはこの質問をブロックしてしまいました。
 おそらく、一般のMediumユーザーが津田さんのコメントを観に行っても、私の質問は読めない状態ではないかと思います。

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 会見では、今回の「表現の不自由展」は日本の表現が萎縮するような言論や表現の不自由があることが再確認された的なことを津田大介さんは言っていましたが、別に批判しているわけでもない質問コメントをブロックして逃走するような津田大介さんの姿勢には呆れます。

 言論の自由は政府が国民に対して認めている自由なので、私人である津田大介さんにはそのまま適用されるものではありませんが、その精神として、多様な言論を認めていくことがあいちトリエンナーレで津田さんが主張したかったことだったはずで、当の本人が不足している説明部分に対する質問を隠蔽するというのは常軌を逸しています。

 個人的には、愛知県知事であった大村秀章さんも津田大介さんの美術監督選考に関わる責任者であり、美術監督である津田大介さんにすべての責任を被せてしまうような記者会見をしたことについては、津田さんはトカゲのしっぽ扱いであり可哀想だなとも思います。また、名古屋市長の河村たかしさんにいたっては、不適切だから展示を中止するように直接求め、愛知県に対しても抗議文を送る真似までしでかして、その意味では、政治と言論の自由の観点から、多くの示唆があったようにも思います。

 しかしながら、その騒動を引き起こした本人である津田大介さんは炎上しつつも高い位置から本件の意義を主張するならまだしも、予算の件や美術監督就任の経緯を時系列に人物名と日時を出して説明することをせず、それに対して質問をした書き込みをブロックして読めなくする、というのは本末転倒です。私利私欲や過去の経緯はともかく、津田大介さんが守ろうと言っていた表現の自由については、繰り返しますが私は支持しているので、確かにいままで仲は悪かったかも知れないけどそこは曲げるべきではない部分ですから明確に「津田大介さんを支持している」と書いてきました。

 本件、あいちトリエンナーレについては、第2回あいちトリエンナーレを成功に導いた五十嵐太郎さんが建畠晢さんに津田大介さんを強く美術監督に推薦して、建畠晢さんがこれに賛同して委員会の建議にかけたことは仄聞しています。そして、津田大介さんがご自身のメルマガで書かれているように「あいちトリエンナーレの企画をどのようなかたちにするかということですが、それは芸術監督に一任されてい」るにもかかわらず、今回の経緯説明では「表現の不自由実行委員会」からの要望で展示が強行された話になっています。

[引用]

2019年2月28日(木)と3月18日(月)の打ち合わせの段階では、僕から不自由展実行委に《平和の少女像》については様々な懸念が予想されるため、実現が難しくなるだろうと伝えていました。しかし《平和の少女像》は2015年の「表現の不自由展」でも展示された作品であり、展示の根幹に関わるという理由で「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否されました。

--ここまで--


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 しかしながら、津田大介さんのあいちトリエンナーレ美術監督就任は17年8月からです。そこから2年以上、テーマ設定や出店調整の時間があったはずですが、なぜか、本件「表現の不自由展」については19年2月末と、半年前を切ってから出店調整が開始されています。常識的に考えれば、確かに「表現の不自由展」に直接かかったコストは420万円程度で残りは寄付だったのかもしれませんが、その企画展で着地するまでにどういうお金を使っていたのか非常に疑問視される部分だろうと思います。




 「表現の不自由展実行委員会」が、仮に出展において「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否したのだとしても、常識的には一年以上前から交渉するのが美術監督の責務であり、組織対応のはずです。

 そして、津田大介さんはサラッとこんなことも書いていますが、常識的にはテーマや趣旨の部分で出展者と折り合いがつかずに半年前に辞退されるというのは前代未聞であって、今回の「表現の不自由展」の出展内容が過激だったから批判殺到で取りやめという以前にすでに美術監督としての機能不全に津田大介さんが陥り、キュレーターさんたちや組織のプロセスに不備をきたしてしまっていたのではないでしょうか。

[引用]

キュレーターチームや実行委員会事務局にその旨を報告すると、アーティストの参加辞退というのは前代未聞で、行政としても前例がないと言われました。3月27日(水)には国際現代美術展に出品する全アーティストの発表が予定されており、発表資料は既に印刷所に入校されている段階でした。

--ここまで--


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 つまりは、これらの「表現の不自由展」を企画展として実施する津田大介さんの発案があり、あいちトリエンナーレ開催直前(19年2月末)になってようやく展示テーマや内容の調整が始まったが、美術監督である津田大介さんが「少女像」などに懸念を示したところ「表現の不自由展実行委員会」がそれなら展示を降りると凄んできたので、調整できずにそのまま本会で企画展展示したら燃えました、という話になります。津田大介さんの釈明を信じるのであれば。

 一方で、「表現の不自由展実行委員会」の関係者はすでに津田大介さんとの打ち合わせについて実情を話しています。津田大介さんの釈明とは、ずいぶん違う内容です。

中止の「表現の不自由展・その後」実行委が激白 「明らかに不当な暴力による人災です」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) https://dot.asahi.com/aera/2019080900118.html

[引用]
 このときの主要メンバー5人が、「その後」展の実行委として企画・キュレーションを担当した。受諾に際し、津田監督にこう念押ししたという。

「不当な暴力に屈した場合、私たちは(主催者側の)愛知県や津田さんと対立することもありますよ」

 岡本さんによると、津田監督は「(圧力に屈しないよう)僕も一緒に闘う」と答えた。

--ここまで--


 この話だと、津田大介さんは「圧力に屈しないよう僕も一緒に闘う」と言っておきながら、実際には「『表現の不自由展実行委員会』からの少女像展示の強行意向に屈した」うえで、実際に抗議が殺到し脅迫もあったため早々にいも引いて逃走したことになります。

 この「表現の不自由展実行委員会」メンバー5名に関しては、岡本有佳さんや小倉利丸さんといった朝鮮半島発の反日プロパガンダ的なアプローチを取っている面々がいることも指摘されている状態なので、展示された作品が炎上して注目を集めるという目的は充分達成しているところがあるし、そういう代物を担いで公的な美術展で披露してしまった津田大介さんの迂闊もあるのかもしれませんが、こういう作品の掲載にまつわる経緯をきちんと説明せず、物議になったのだから表現の不自由はあったのだと意義を釈明の中で語るようなやり方は良くなかったのではないかと思います。

 最後に、東浩紀さんがアドバイザーから抗議辞任するという話が先日ありましたが、東さんが一連の経緯についてどこまで聞かされていたのか、東さんからのアドバイスを津田さんがなぜ聞き入れなかったのかは良く分かりません。

東浩紀氏、アドバイザー辞任意向 不自由展中止の芸術祭 https://www.sankei.com/life/news/190814/lif1908140026-n1.html

 ある意味で、津田大介さんの「Twitter社会論」後の飛躍はひとえに人格的に際どいけど才能が溢れる東浩紀さんの数少ない友人として関係を維持できたという稀有な経緯によるもので、東さんの後援がなければ早稲田大学の教授に不自然に就任することも朝日新聞の論壇委員に持ち上がることもなかったと思うので、津田大介さんの今後のためにも東さんとの関係をきちんと修復し、自分ではライティングできないけどジャーナリストとしてやっていける状態に戻ってほしいと願っています。



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