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たかのり...幻の名前
「虚業教団」によると、1986年か1987年の発足座談会か何かで小澤さんが「リュウホウ先生!」と繰り返し呼んだので、たかのりから「リュウホウ」になったらしいです。本当に行き当たりばったりでいい加減ですね。破門した弟子に読み方を命名された救世主って何なのでしょうね。
私も覚えています
覚えています。
そんなものだと思っていましたが、今の信者さんにはそうじゃないんですね。
潮文社の霊言は善川三郎で最後に出た高橋信次霊言集は大川隆法(たかのり)だったので印象深いです。
その後りゅうほうになったのは私も覚えています。
初版本はそうでした。そのあと改正されたのかはよくわかりません。
潮文社は幸福の科学の言うことを聞かないので幸福の科学は独自の出版を作ったと聞いています。
(潮文社から出版の霊言集は売れているが印税が全然入らない。土屋出版を作って出版したが同じ。自分たちの出版社を作って自分たちの利益にするために幸福の科学出版を作った。虚業教団?)
私のことですが、幸福本を何冊か読んで、講演会のテープを聴いて大川隆法にそれなりのイメージがありましたが初めて写真と講演会で姿を見たときがっかりしたのを覚えています。
教祖が醜男でしたから。人相も悪い。とても印象が悪かったです。だから幸福の科学に入れこむことが出来ませんでした。
誰にも言えませんでしたが。
私にとっては高橋信次のほうがいいイメージでした。(当時GLAの本もずいぶん読んでいました)
方便の時代で完全に幸福の科学を信用しなくなったんです。
米国講演希望さんのいうとおり初期から行き当たりばったりです。
私が西荻の事務所に顔を出した頃、きょう子さんとの結婚の話を聞きました。
信者に手を出すのはどうなの?と当時の事務のボランティアでも話が出ていると聞いたことがあります。
私は当時若かったのでだまされましたが、今あの内容を考えると若い自分がバカだったとしか言えません。
Re: たかのり...幻の名前
>破門した弟子に読み方を命名された救世主って何なのでしょうね。
えっ、小澤利夫はんて、破門されはったんでっか?
知らんかったですわー!
ずいぶん実力のあった人みたいやけど、「たかのり」アホでんなー!
Re: 私も覚えています
わてはかなり長い事「誌友会員」やったんでその頃の詳しい事情は知らんのだす。
ほんでも「方便の時代は終わった」宣言の前までの内容はけっこお良かった思います。
あれには騙されても当然かと・・・。
わては「新しい時代が始まるんや!」ゆう興奮で幸福の科学を見とったんですわ・・・。
潮文社の本は全部持っとりますんで、近日公開しますわ。
訂正します
小澤さんのこと
書いても良い内容でしたが、読み直していたら気分が悪くなってしまいました。
長文で周りの皆さんに迷惑かと思ったりもして消してしまいました。
2ちゃんねるの使者さんにはお伝えしたかったのでもしかまわないのでしたらまた貼ります。
小澤さんですが私も破門されたと聞いた覚えがあります。理由など詳細は分かりません。
辞めたのは耳に入るんですが、理由は教えてもらえないのが常でした。
何かトラブった感じがしたんですが、小澤さんの話をしてはいけない感じがあり、詳しく聞ける感じではなかったと覚えています。良い辞め方ではなかった感じでしたよ。
「小澤さん」が「小澤」と呼び捨てにされていたと思います。
何度もすいません。やっぱり貼っておきます。
幸福の科学を盛り上げるために尽力を尽くした阿部さんは、信者の鏡として噂になっていました。しかし阿部さんの話もしてはいけないことになりました。阿部さんは幸福の科学からいなくなりました。
大川の結婚のときも「まさか信者に手を出すとは」「相手は〇〇さんだったんじゃないの?」という本部の噂を聞きました。GLAの高橋佳子と結婚するという話も聞いたことがあります。
いきなり紀尾井町に移転が決まります。本当にいきなりでびっくりしました。人手が足りないから急ぎあちこちに連絡して人をかき集めていたのを覚えています。
紀尾井町の本部で小澤さんとお話したことがあります。そのころ小澤さんは霊道を開いて見えると言われていて、本部内部の人間からも信頼されて、いろんなアドバイスをしているようでした。ちなみに私にしてくれたアドバイスは全部はずれていました。そのうち小澤さんの話しはしてはいけないことになりました。小澤さんは幸福の科学からいなくなりました。破門されたと聞きました。
幸福の科学の職員で真杉さんという方がいました。もとお医者さんで幸福の科学に入った方です。局長でした。直接会ったことはありませんが、私に友人を介して親身なアドバイスをしてくれました。職員の中でも信頼があり、非常に良い方だと聞いていました。しばらくして真杉さんががんになったと聞きました。それから「あの人はだめな人」だと言われていました。「がんになったってことは見た目は良くても心の中が真っ黒だったってことだから」と周囲の職員が離れていったと聞きました。
紀尾井町の本部に行ったときものすごい広いフロアでびっくりしました。職員はみな一流企業に勤めている気分でみな自慢げでした。私はこんな東京の一等地のこんな大きなビルのワンフロアのテナント料はいくらするのかと考えました。それまでいた西荻の本部や書籍販売の店の規模を考えると桁違いで、そんなお金がどこにあるのかと思いました。まだ書籍が爆発的に売れているころではなかったからです。職員もどんどん増やしていました。このころ幸福の科学の知人がたくさん就職しました。大川が面接をしたと聞きました。職員の面接は必ずするそうです。また、アルバイトで安く使われている人がいるのを実際聞いています。あそこは学歴社会で良い大学出は実績がなくても出世し、正社員で良い給料をもらえますが、そこそこですと待遇も悪く出世できません。出身大学で決まってしまっています。ある知人は地方の工業系の大学卒で職員からそのことでバカにされていたようです。その後ビックバンで信者が無利子で幸福の科学にお金を貸し出しを頼んだり、あれほど心の学習を説いていた幸福の科学が祈願、グッズ販売と金策に走りだします。
元職員に聞いた話です。アラーの大警告は大川が乗り気で売ろうとしていたので山ほど作ったんですが、売るのはストップと上から通達が来ました。(多分イスラムの関係で販売はNG)この売れないアラーの大警告の在庫をしまっておく倉庫代がバカにならなくて予算のことで揉めていたらしいです。
虚業教団やアルゴラブさんやファルコンさんの告発読んで「ああ、なるほど。だからあのときあんなことになったんだ」と思うことが多々あります。
Re:何度もすいません。やっぱり貼っておきます。
こういった体験談をお聞かせ頂けることは 幸福の科学に今 迷惑を被り 戦っている者にとって 大変貴重な証言であり 感謝以外ございません。
気分が悪くなるというお気持ちを越えて貼って下さって 誠にありがとうございました。
元信者の勇気ある告発者のみなさまにも この場をお借りしまして 心からお礼を申し上げます。
Re: 訂正します
訂正ご丁寧にありがとはんだす。
ほんでもカチカチはんの証言もありますから、
なんぞのゴタゴタがあって辞めたんは間違いないんでっしゃろなあ。
ほんでも辞めた後も小澤はんにだけは毎月十数万円の振込みがされとったとか・・・。
(たしか)ファルコンはんが書いとった覚えがおます(記憶曖昧)。
>「辞めた弟子に読み方を命名された救世主」
この視点、最高ですわ! ワロタ、ワロタ!
Re: 何度もすいません。やっぱり貼っておきます。
長文上等、わては全然迷惑やおまへん。
書いてはる内容が大事なんで、わてはカチカチはんのこのコメントは目からウロコで、
「そおやったんか!」ゆう気持ちでいっぱいだす。
この内容、今の信者はんらにも知っといて欲しいおますんで、
もしカチカチはんさえよろしかったら記事にしたい思いますんやが、どないでっしゃろ?
やっぱコメント欄ではおそるおそるネットを見始めた信者はんらの目に止まりまへんので・・・。
Re: Re:何度もすいません。やっぱり貼っておきます。
コメント毎度おおきに!
やっぱりカチカチはんのこの体験談は貴重ですわな?
わてと同意見の方がおって嬉れしおます。
そうなんです
>ほんでも辞めた後も小澤はんにだけは毎月十数万円の振込みがされとったとか・・・。
(たしか)ファルコンはんが書いとった覚えがおます(記憶曖昧)。
私もファルコンさん告発で見たと思います。細かいところは曖昧ですが。
小澤さんは破門されたのに教団から振込って?と思った記憶があります。
私はただの信者でしたが本部職員の情報をもらったりすることがありました。
信者向けの発表と職員向けの発表が違うこともあったのではと思います。
きょう子氏の「主宰先生をハダカの王様にしたのはあなた方です」の発言のとき、私はこれを職員から詳細を聞きました。
職員向けビデオの内容です。
しかし信者に聞いたところ私の聞いた詳細の内容は知りませんでした。
信者向けビデオと職員向けビデオがあり内容を変えていると知ったのです。
いまではこれは当たり前でしょうか?
私は教団に不信感を持ちました。情報操作をされていると感じました。
ファルコン告発を見て小澤さんのことも表と裏があったのかと思いました。
信者当時友人の職員にあれこれ質問しても皆「う〜ん」とはかばかしくない返事が多く言えないことが多いのかなと感じたこともあります。
役に立ちますかね
>2ちゃんねるの使者さん
迷惑でなくてよかったです。
アルゴラブさんのようにきちんと証拠になるようなものならいいのですがそうじゃなくて申し訳ありません。
ずいぶん前の記憶にもなるので心配でした。
もっといろいろあるのですが身バレする恐れもあるので全部は言えなくてすみません。
このくらいなら大丈夫でしょうかね。
経験談ということで使えるところは使ってください。
Re: 役に立ちますかね
そおか、身バレもあるんでんな? その辺は気にしはって当然ですわ!
今のわての考えやと、
「何度もすいません。やっぱり貼っておきます。」の全文と、
「小澤さんのこと」の後半部分を取り上げて、
『始まりからおかしかった幸福の科学 ~ 初期信者はんの体験談』
ゆうタイトルで記事にするのがええんかなあ思おとるんだす。
すぐには効果はおまへんが、
こおゆう積み重ねがローキックやボディブローみたいにじわじわ効いて来るて確信しとります。
どないですやろ?
もちろんカチカチはんの意向を最優先いたしまっせ!
了解しました
もし何か訂正しなければいけないところがあればその時直してください。
身バレはね、ありうるんですよ〜。ほとんどないはずですが。
書いた内容ですが、あの頃広報の渡邊信幸氏、斉藤博也氏がすでに西荻にいたので知っているはずです。この方達の様に初期からずっとやっている人が私の話で簡単に脱会するとは思えないんですが、私のように見てきたこと聞いてきたことに悩んでいる人がいるなら役に立って欲しいです。
親子だと聞いたときのこと
ちょっとうろ覚えなんですが。
西荻に通い始めてから聞いたことです。
大川隆法と善川三朗が親子だということを。
「実は親子だったんだ。富山さんはお兄さんだ。」と聞きました。
その頃出ていた書籍の内容では親子だとは思えなかったでしたし、親子だと示すような内容のものはなかったと思います。
(書籍はまだたくさん出ていませんでした。)
とてもびっくりした覚えがあります。
「なぜ名前が違うのか?」と聞くと
(そのころ大川隆法は本名だと思っていました。本名が中川隆だと知ったのはフライデー事件の時です。)
「ペンネームなんだ」と言われました。
なぜ親子なのにわざわざそんなことをするのか、ペンネームって?この霊言は真実じゃないの?と思ったものです。
この頃そんな情報がなければ知らない人が多かったようです。
「え?親子なの?」と言われたことがありましたから。
その後堂々と親子だと出るようになりました。
大川の結婚があったからと思うんですが。
アルゴラブさんの告発で最初は隠していたとあったので合点がいきました。
この頃本部で仕事をするか、ボランティアの仕事をするかしないと知りえない情報がありました。
その情報が欲しくてボランティアをやるような人もいました。
皆自分の過去世が知りたくて教えてほしいという感じでした。
あなたの過去世は〇〇だと言われていた人もいたようです。
Re: 了解しました & 親子だと聞いたときのこと
ちょっと2~3本別の記事がおますんで、その後に記事にするつもりだす。
実は親子やったゆう件、そないゆうたらおましたなあ。
当時のそおいった事情なんか、最近入会した信者はんらは知らんでっしゃろから、
ポロポロ知らせて行けば、洗脳解除に繋がるかもしれまへんなあ。
初期の信者数
思い出してきましたわ。
本部が西荻だった頃、私の知っている当時の正会員はおおよそこんな感じです。
会員番号から分かっていることです。
1989年はじめ 正会員4000人ほど。
1990年はじめ 正会員9000人ほど。
この頃の正会員は書籍を10冊読んで入会希望と一緒に入会動機を提出し、大川が合格だと認めないと入会できませんでした。
誰でも入れません。2回落とされた人を知っています。霊が取り憑いているという理由だったそうです。
また会員番号10番台の人と話したことがあります。
この人は幸福の科学発足記念座談会に参加していたと言っていました。
この辺は信者数ははっきりわかっていました。信者の会員番号が信者数だったからです。
本部が紀尾井町に移ったのは1989年12月末頃。
すぐその後1990年最初の講演会でサンライズー伝道強化路線を打ち出しました。
信者を増やす大作戦です。
伝道をし、たくさん信者にした人が評価されるようになりました。
具体的にどれだけの人数を伝道し信者にしたか数を提出するように言われました。
正会員の試験は無くなり、誌友会員を誘うように支部から通達が来ました。
卒業アルバムなど個人情報を支部に提出するように言われました。
身内や友人を勝手に誌友会員にし、会費を立て替える人がたくさんいました。
支部から良いことをしているから良いんだと言われ、信者は満足げでした。
幸福の科学が初期から社会的に認められ信者が増えたといると思っているのでしたら間違っています。
wikipedia幸福の科学の公表信者数の変遷で
1986.11.23-87名 「幸福の科学発足記念座談会」参加人数
1987.3.8 -約400名 「幸福の科学発足記念講演会」参加人数(出席していた生長の家およびGLAの信者・関係者を含む数)
1987.12-1,700名
1988.12-4,000名
1989.12-13,300名 正会員8,100名、誌友会員5,200名
は正しいと思いますが、その後は伝道期に入り、以上のような内容で信者数を信用することは出来ません。
1990年の段階で信者数の水増しは行なわれていました。
おまかせしますね
小さなウソついて方針がコロコロ変わる。
初期からなんですよね。
今大川の行動で分かりやすくなっていますが初期からです。
分かってもらえると良いですけれども。
2ちゃんねるの使者さんはお忙しいでしょうから。
お任せいたします。
あっちゃんの本音ついにゲット
いつもご丁寧にコメントにお返事を頂きまして、
ありがとうございます。
今日たまたま仕事が午後からになったので、さっき「やや日」を見たら
「AKB48ヒットの秘密」についての記事が写真つきで書かれていました。
前もって言っときますが私はあっちゃんのファンではありません。
帯に書かれている「あっちゃんの本音ついにゲット」にはさすがに驚きました。
これあかんのと違いますかね(爆笑)
アイドルの場合政治家などとは、名前の持つ吸引力の質が違うので、
前田敦子さんの場合、安部氏やビートたけし氏の場合と違い
零言(中身ゼロなので)と書かれていても、より違法に近いような気がします。
よく調べたら不正競争防止法かなんかで似たような判例が出てきそうですが
あとで時間があれば調べてみます。
隆やんと幹部たち、行くところまで行ったなという気がしました。
Re: 初期の信者数 & おまかせしますね
さらなる体験談、おおきにだす~!
こおやって見ると、信者も少ないのに紀尾井町ビルに本部を借りたり、
90年から信者の水増しを始めたりと、
最初っからウソつき団体やったんでんな?
このへんのコメントもまとめて記事にしてええでっか?
気合入れて書かなあかんよおになって来ましたなあ(笑)。
Re: あっちゃんの本音ついにゲット
藤倉はんの記事、わても見ました。
オーカワのどアホ、やる事がどんどん稚拙になってきとりまんな。
霊言をされはった著名人はんらも「アホには関わらん方がええ」ゆうて無視を決め込んでますんで、
「注目を浴びたい症候群」のオーカワが火病を起こしとるやて思とります。
それと教団の財政危機・信者の減少・本が在庫の山なんかが合併症を起こしとりますんで、
今回のビニ本商法みたいなセンセーショナリズムに走るしかないんやて思います。
聞かれると思い出しますね
>こおやって見ると、信者も少ないのに紀尾井町ビルに本部を借りたり、
90年から信者の水増しを始めたりと、
最初っからウソつき団体やったんでんな?
その通りです。当時の信者は皆知っています。
しかし信者数は1990年より前に関しては正直だったと思います。
信者数=会員番号なのは入会願書を提出し、入会許可がいることから初期の信者には皆分かっていました。
1990年半ば頃(だったと記憶しますが)に正会員として入会した人が9500番あたりでした。
「正会員が10000人突破はなかなかならないものだね」と信者同士で話をした記憶があります。
1989年頃のセミナーか講演会(多分上級セミナー)で大川が入会願書のことについて言っています。
毎日入会願書が送られてきて目を通している、見るのが大変だ、当会に入会希望の人が増えている内容のことを。
大川はとても嬉しそうでした。
入会願書を出して入会を許可された人が1989年〜1990年の1年間に5000人くらいで、ひと月あたり420人くらい。
幸福の科学を作りわずか2〜3年で入会希望者が増えているのを感じていたと思います。
この後紀尾井町に本部を移転しますが、信者10000人規模で紀尾井町のビルのワンフロアに本部を構えるのは無理があると思います。
当時正会員の月会費は2000円です。
1990年以降の大伝道サンライズの信者の水増しのやり方は前に言った通りで、wikiにも載っていますがありえない爆発的な増え方です。
1990.7.8-7万数千名「第七回大川隆法先生大講演会」における公表数
1990.12-17万名 正会員2万名、誌友会員15万名
1991.3-30万名 正会員5万名、誌友会員25万名
1991.5.22-77万名 正会員10万名、誌友会員67万名
1991.6.12-100万名 正会員15万名、誌友会員85万名
1991.7.15-1,527,278名 正会員約20万名、誌友会員約133万名、東京ドームでの「御生誕際」での発表
1991.9-約200万名 正会員約30万名、誌友会員約170万名
1991.12-約560万名 この頃、公表値と裏腹に実数は伸び止まりとなっていた可能性が指摘される
この頃幸福の科学の信者数は講演会で公式発表されていたのでこのwikiの通りだと思います。
最初は正会員と誌友会員は会費をとっていました。
正会員は入会願書ではなくなりました。
その後会費が無くなりました。
正会員と誌友会員の区別が無くなりました。
このため伝道を促されていた信者達は家族、友人、親戚、住所を知っている人なら救われるからと名簿を差し出し、詩友会員の入会手続きをし、自分の伝道実績にしていきました。
卒業アルバムや職場の名簿などを支部に提出した人は支部で皆の拍手と賛美を受けていました。
赤ちゃんを詩友会員に入会させていた人もいます。光の輪の中に入れるからいいそうです。
5人家族全員を勝手に誌友会員にして毎月月刊誌が5冊送られてくるなんて当たり前でした。
会費を負担して知人を誌友会員にすることで爆発的に信者が増えていきます。
その後正会員と誌友会員の区別が無くなるので全部信者数ということになったんでしょう。
そのうち会費もなくなるので信者数は登録だけすれば増えるわけで、実質の会員数は分からなくなっていきます。
こういったことは支部からの指示でした。
伝道目標が支部からまわってきました。
この地区の会員数はこれだけ、毎月の伝道目標はこれだけと具体的な数値が書類でFAXされるようになりました。
伝道目標をこなせない地区でした。よく叱られていましたよ。
SPMを地区からボランティアを募っていました。書店への売り込みメンバーです。
実質は誰かお願いできますか?と言った感じではありませんでした。
誰か出るのが当たり前といった感じでした。
仕事帰りに書店に立ち寄り書店に大川本を置いてもらえるように営業をかけるのです。
大川本をベストセラーにして光を増やすためという理由でした。
地区での書籍の売上げ目標も支部からFAXされるようになりました。
毎月〇冊〇〇書店から購入してくださいというノルマです。
地区の人数は〇人ですから〇〇〇〇円出して分担と言われました。
これも大川本をベストセラーにして光を増やすためという理由でした。
太陽の法の角川から出た文庫本のときは20000円負担しました。
この時は一人当たり大量のノルマがすでに設定してありました。
角川での出版は一定額の買い取りが必須だったのではないかと疑っています。
心の探究学習路線から、いきなり1990年になって拡大路線になりました。
ノストラダムスの予言など地球が破滅する予言を前面に出し、地球を救うために光を増やせ、多少荒っぽいことをやっても世界を救うためだとめちゃくちゃなノルマが課せられるようになりました。
今もノルマがひどいと思いますが、これらは紀尾井町に移転した1990年から始まるんです。
なぜか?紀尾井町のテナント料の支払いのためにということだと思います。
このあと始まる植福とビックバン貸し付けの申し込みを頼みに来た職員が「教団はお金がなくてピンチなんです。ビックバン貸し付けで教団を助けてください」とはっきり言ったからです。
このころの職員の給料は月15万。健康保険は入っていますが、年金雇用保険は僧侶だからとの理由でなし。
ボーナスは図書券というときがありました。
本部のアルバイト職員は月12万位だったと思います。
上層幹部はたくさんもらっていたとは聞きましたが、具体的には分かりません。
大伝道期と呼ばれるこのころ、地方の青年部の決起大会で竹刀を持った本部職員が「お前ら、伝道せいや!」と机を蹴飛ばして怒鳴ったという話を聞いています。
また、このころ本部職員から聞いたことは、本部では局長クラスが勢力争いをしている、いろんな企画を局長クラスで展開しているということです。具体的にどこのどんな局長がどんなことを企画して推進しているかは分かりません。
続き 長文すみません
大川が発展していると胸を張っていましたが、信じられない増え方をしている信者数と書籍の販売実績はウソだということを末端の信者と支部職員と本部職員は重々知っていました。
しかしどうやら大川はこのウソの信者数と書籍販売実績を本当だと信じていたようなのです。
大川きょうこによる「主宰先生を裸の王様にしたのはあなた方です」と本部職員に言ったとされる職員向けのビデオの内容を聞いたからです。
つまりは本部職員が伝道実績、書籍販売実績を水増しする方法を支部で信者にやらせていた。
大川はそれを知らずに自分の法が世に認められたと喜んでいたが、それは上層部のフェイクだった。
それを知った大川は大ショック。大川きょうこが本部職員に怒った。
今後はこのようなことにならないようにするために大川は支部周りをし、信者から直接話を聞く。
職員は支部周りをして実態を見てくること。
大川は今後ペースを落として休む。
という内容でした。
これが信者向けのビデオの内容は違っていました。
教団は発展したけれども大川の説く法のスピード、書籍の出版のスピードが速すぎて理解できない信者がいる。
今後は大川はペースを落として信者のレベルが上がるのを待つ。
このころ信者では職員や組織が悪いのであって大川は悪くない、法は正しいと思っている人が多数いました。
しかし木が腐っているから実も腐っているわけです。
大川は霊能力なんか全くないし、人を導ける器ではない。
初期の大川は今のような分かりやすいボロを出していませんでしたから分かりにくかっただけです。
このあと大川きょうこが前面に出てきます。
これでまだ大川のボロがなかなか見えてこないわけです。
しかし初期からめちゃくちゃだったんです。
信者数に関しては初期からめちゃくちゃなことをやってしまったので、もう実際の数を言えないのだと思います。
あれがウソだって知っているはずですから。
むちゃくちゃな伝道、書籍のノルマ、方便の時代など心の探究を目的とした初期の会員でやめていく人が出てきます。
会員番号=信者数なことから、番号の歯が抜けていると初期信者の脱会が目立つので会員登録番号が変更されたと聞いたことがあります。
データベース化の問題もあったと思いますが。
2ちゃんねるの使者さん
>このへんのコメントもまとめて記事にしてええでっか?
どうぞ、使ってください。
使えるのであれば全部どうぞ。
資料などがないので申し訳ないですが。
信者時代は初期のカセットや月刊誌などもあったのですが、捨てちゃったんですよねえ。
GLAの高橋信次の霊現象のカセットとかもねえ。
ちなみに大川はあれをパクっていますね。そっくりだったから。
ミニ教祖
その性格上、初期は信者は霊好きの人たちが多く集まっていました。(今でもそうでしょうが)
霊道を開いたかどうか、過去世は誰だったか、オーラの色は何色だとか言った話題はよく出たものです。
その中に自分は霊道を開いた、霊能力がある、霊が見えると言う人がちらほらいました。
そういった人は信者の中にいるミニ教祖として扱われ、ちやほやされていた人もいたようです。
1990年頃、職員や本部ボランティアでもそういった人がいました。
相談にのったりアドバイスをしていたりしてたようです。
学生部で「自分は霊能力がある。自分は如来である」と言っている人がいました。
有名大学卒でそのまま本部職員になり幹部候補でした。
本部でも自分は如来であるといい、自身の説を説き始めたためミニ教祖認定され、和合僧破戒だとされ、辞めさせられました。(今別の新興宗教を作っています)
このころこういった人が出てきて、和合僧破戒として辞めさせられたようです。
小澤さんもそんな理由で辞めさせられたのではないかと思っています。
支部でも似たような人がいましたが、ミニ教祖は和合僧破戒である、即刻除名させられるということになり、霊能やオリジナルの考えを話すことに関して皆話題を控えるようになりました。
これが大川の教えと違うことを言うと和合僧破戒と見なされるようになっていきます。
信者は皆自分の思ったことが言えないようになります。
そして大川の教えや言ったことのみが正しいことになっていきました。
伝道のノルマ、献本のノルマ、講演会出席のノルマ、組織としてのあり方などの不満も和合僧破戒となるので言えなくなっていきました。
大川が高橋信次は裏側の仙人界出身であった、これからは心の教えを中心に説き、霊能力・霊言を中心とはしないいわゆる方便の時代があり、幸福の科学では霊的なものは端に追いやられました。
支部でも霊的な話題は「裏だから」と言ってはいけない話題になりました。
すべてはエル・カンターレ大川隆法に従いなさいという路線にシフトしていきます。
しかし今、大川は大川きょうこと決別後に霊能力・霊言を復活させました。
思い出したことで追加です
よく言われていることですが、講談社前のデモと講談社へのFAX攻撃の指示は支部から来ました。
講談社の社内編集部直の電話番号とFAX番号がまわされていました。
攻撃するときの時間など注意書きがありそれは支部からのものでした。
関東で講談社にいける距離だったのでデモの参加を促されました。
オウム逮捕前上九一色村へのデモ参加の指示も支部から来ました。
明日朝早く上九一色村のオウム施設で抗議デモをやるから来いとのこと。
前日の夜8時でした。むちゃくちゃです。上九一色村まで4時間以上もかかるのに。
真冬の極寒の日でした。
その後警察から中止命令が出て取りやめになったと連絡が来ました。
支部では本部から指示が来ていると言っていました。
信者が自発的に集まって行動になったなどとは大ウソです。
講談社への攻撃の指示が来たとき、大川のヒステリックな反応に私は違和感を覚えました。
信者が自発的に行動したと言うのはウソで、教団の直接の指示だと言うことは大川の指示だということ。
あの記事は事実なんだと思いました。
私はもちろん参加しませんでした。
伝道、書籍などのノルマのむちゃくちゃなやり方を押し進めて、なおかつこれですから、もうついていけませんでした。
ウソだらけです。
初期の幸福の科学の教えは良いところもあるという人がいますが、行動が伴わない組織は肯定されません。
秘書課の女性たち
大川の子供達がまだ小さい頃だったと思います。
どこにどんな人がどのくらいの人数などの詳細はよくわかりません。
本部職員では皆知っていたのではないでしょうか。
若い女性を自宅で手伝わせるなんて誤解を受けることがありそうだけどいいのかな、と思った覚えがあります。
いろいろ思い出してつらくなってしまったところがありますが、吐き出せてよかったです。
本当に長々とすみませんでした。
こういう場所があって本当によかったです。ありがとうございました。
深夜に『バカ野郎』って最低です
電話番号を間違えた物を配布してしまい
それに気が付かず信者が次々電話
間違えられたお宅は『ここは講談社じゃない番号が違う』と伝えたくても『バカ野郎』とか酷い言葉を言っては一方的に電話を切るため間違いを伝える事が出来ないまま嫌がらせは深夜迄続いたそうです
翌日も朝から電話が鳴り続け警察に相談
次々電話が来て回線がパンク
警察も対応出来ず
警察は幸福の科学に連絡
職員が来て電話応対
何とか事情を話し番号が違う事を伝える事が出来たそうです
当時新潟支部の人は心当たりのある人が居ると思いますよ
re:深夜に『バカ野郎』って最低です
それに気が付かず信者が次々電話
間違えられたお宅は『ここは講談社じゃない番号が違う』と伝えたくても『バカ野郎』とか酷い言葉を言っては一方的に電話を切るため間違いを伝える事が出来ないまま嫌がらせは深夜迄続いたそうです。
ありました。それ。
私は埼玉でした。
ここにはかけないで、夜中にはかけないで、と連絡が来ましたね。
FAX攻撃は1日ではなく3-4日は続いたと思います。
無責任過ぎる
本部の間違いでしょう
内容を間違えて本部が支部へ全国発信だと思いますよ。
埼玉でもありましたし。
本部→支部→信者、だと思います。
講談社の編集部直電を一般の人が知るわけないですし。
講談社の各編集部の直電をなんらかの形で知った教団が本部経由で各支部に指示したのではないでしょうか。
新潟支部だけの問題ではないでしょう。
新潟の支部が独自に作成したか作り直したのでは?
>新潟の支部が独自に作成したか作り直したのでは?
そうかもしれませんが、はっきりわかりません。
ただこのころ本部の指示は絶対なものだったので変更したというのはどうかなと思います。
でもその地域での独自のものがあったかもしれませんので、なんともいえません。
埼玉でも同じようなエラーがあったので同じ内容のfaxがまわってきたと思いますが。
みなはん、毎度だす!
だいぶ当時の状況が貯まって来ましたな?
これは2回連載みたいな気がしとります。
ちょっと間が空くと思いまんが、記事にまとめさしていただきまっせ!
仁はん
そんな事がおましたんでっか?
ホンマ杜撰な仕事能力でんな?
責任を取らんのがコーフクのお家芸ですから
おそらくあとで謝罪なんかしとらんのではおまへんか?
みなはんへ
わてもちょっと忙しゅうなって来てまして、今日・明日は新記事が書けまへん。
コメント欄でもあんまお構いでけん思います。
せやからわて抜きで盛り上げってもろてかましまへんデ!
このコメント欄がブログ主抜きの交流の場になるんも
2chみたいでオモロイ思てますんで(笑)。