「娘の事については、改めて礼を言わせて貰うよ。有難う」 赤石浩介は、次に、チムに目をやった。 「君が、京子の意識を閉ざしたんだったね」 「まあね」 「しかし、薬師丸法山のヘリを壊し、京子を救い出すきっかけを作ってくれたのも君だったのでしょう」 赤石の言葉に、少年は、小さく微笑して見せた。 「その事については、やはり、礼をいっておくよ。京子の意識を戻す件については、後で君とじっくり話をしたいんだが--」 「話をするだけならね」 答えたチムに向かって、赤石は同じように微笑してみせた。 「しかし、ここが、メッツァボックの本部とはな」 と、そういったのは、土方であった。 「この規模だったら、20人も訓練された兵士と武器を用意できれば、あっという間に処理されてしまうでしょう」 「場所が発見されればね」 赤石が答える。 「しかし、幾ら、ここを殲滅されても、メッツァボックは滅びません。なぜなら、メッツァボックは、我々の、ラカンドン全ての心の中にいるからです」 座していた、チャン・キンがいった。 「こういったゲリラ戦の厄介なのはそこだな。敵側にしてみれば、戦って、人を殺せば殺すほど、ゲリラの数が増えてゆく訳ですからね」 「--」 「ジャングルに散って、あちらこちらの村に逃げ込んでしまったら、敵には、誰がゲリラか村人かわからない。これも厄介な事です。ベトナムでは、それで、村全体が焼かれ、村民全員が殺されたりした……」 「あの戦争を、このジャングルで起こしてはなりません」 と、赤石はいった。 「我々の闘争は、複雑です。ツァ・コル達のように、過激な連中もいます。答えがない。聖地を守りたいという者もいれば、ツァ・コル達とは逆に、油田開発があればいいと考えている連中もいるのです。そうなれば、仕事ができて、金が入ってきます……」 「--」 「あなたにも、複雑といえば複雑な事情があります。たまたま、薬師丸法山の敵という事で、今、我々は手を握り合っているが、場合によったら、今、我々を殲滅しようとしているのは、あなた方土方グループであったかもしれません」 「まあね」 「しかし、表面的には色々と複雑に見えても、心の中に共通して存在しているものもまたあるのです」 「それは?」 と、土方が訊いた。 「それは、白人支配からの独立です。白人に有利なこの社会を、何とかしたい--それは、油田開発に賛成している人々の心の中にもある、共通した意識なのです」 赤石は、静かな口調で言った。 「我々が望んでいるのは、闘いではありません。たまたま、ツァ・コル達のような過激派がいて、このような状況になってしまいましたが、我々が望むのは、白人との平等な共存と、このジャングルです」 「--」 「海が豊饒であるのと同様の意味で、このジャングルは、豊饒です。ジャングルは、命の源であり、命そのものといってもいい。ラカンドンにとってだけではないのです。人類にとって、このジャングルの豊饒さは必要なのです。南米と、この中米が、地球の大気の中に、どれだけ多くの酸素を供給しているかを、考えてみて下さい」 「さっき、聖地といってましたね」 土方が言った。 「はい」 「それは、どういうものなのですか」 問われた赤石は、チャン・キンを見やった。 チャン・キンは、ベッドの上におろしていた腰を上げ、ゆっくりと、立ち上がった。 長い髪を後方で束ねている。 「我々、ラカンドンにとって、言え、マヤにとって、それは、大変に貴重な物なのです」 チャン・キンは、一同を見回しながらいった。 「そして、それを、10年前に発見されたのが、こちらの、赤石先生なのです」 「何なのです、それは--」 「--」 「古代マヤ族の遺跡であるという話も聞いていますがね」 「遺蹟といえば、遺蹟です。しかし、それは、例えば、エジプトのピラミッドが遺蹟であるというのとは、また、少し違うのです」 「どう違うのですか?」 問われて、今度は、チャン・キンが、赤石を見やった。 「その聖地については、何れ、きちんと皆さんにお話する機会もあるでしょう。この場では、まだ、誰が本当に我々の味方であるのかわかりません。それを見極められない内に、この話をする事は、まだできないのです--」 赤石は、そういって御門を見やり、 「御門さん。結局、あなたはこのジャングルまでやってこられた……」 「はい……」 御門は頷いた。 「もしかすると、あなたこそが、このジャングルを救う方になるのかもしれません」 「--」 「お願いいたします。できれば、このジャングルにとどまって、我々と一緒に戦ってほしいのです」 「戦う?」 「はい」 「誰と?」 「このジャングルを破壊しようとする者とです。今は、薬師丸法山が、その相手という事になります」 「日本でも、チャン・キンに似たような事をいわれたよ。それは、どういう意味なんだ--」 「それを、お話するのはいいのですが、これは、先程お話した、聖地の件にも関わってくる事なのです」 赤石がいうと、 「私が、邪魔なら、席を外しますよ」 土方が言った。 「いいえ。何れにしろ、この話は、私が勝手に話せる事ではありません。現在、聖地を守っているのはツァ・コルの仲間達です。彼らとこの件については相談をしておかねばなりません」 「過激派の連中ですか」 「ええ」 赤石は頷いた。 赤石は、もう1度部屋の中を見回し、 「ツァ・コルは、まだこないのですか」 そう訊いた。 「いっしょにここに到着しましたが、今、どこにいるかはわかりませんね」 土方は言った。 「聖地へ向かったのだろう」 チャン・キンがいった。 「何をしに?」 「あちらにいる長耳たちと合流するつもりなのだと思います」 と、チャン・キンが答える。 「では、我々には時間ができたという事です。今日のところは、ここで皆さん休んでください。何れ、スコールが始まって、吼え猿の合唱が始まるのでしょう。食事をして、十分な睡眠をとれば、また、我々の為のよい知恵も生まれるでしょう」 赤石はいった。 その時、外から人の声が届いてきた。 意味のわからない言葉。 日本語でも、英語でも、スペイン語でもない。 その声が、段々と大きくなってくる。 1人や2人の声ではなかった。 5人、7人、10人--20人近くはいるかもしれない。 興奮が混じった声だ。 「あれは?」 御門が訊いた。 「古代マヤ語--ラカンドンの言葉です」 と、赤石がいった。 「ラカンドン?」 「ラカンドンの連中が集まってきたのですよ。今日辺り、あなたがやってくるという噂が伝わっていたのでしょう」 「俺が?」 「そうです。彼らは、あなたを見に--いやあなたに会いにやってきたのですよ」 「俺に会いに、何故だ?」 「さっき話をしたことに関係があります。ここは、一先ず、彼らに姿を見せてやってください。それだけで、彼らは勇気付けられる事でしょう」 赤石がいうと、チャン・キンが頷いた。 御門は、2人のいう言葉の意味がわからぬまま、2人を見つめていた。 4 御門が、外に出た。 チャン・キンが一緒である。 外に出ると、例の、白い貫頭衣をきたラカンドン族の男や女達が、20人近く集まっていた。 チャン・キンの姿をみると、彼らのざわめきが収まった。 集まっているラカンドン族は、男も女も、何れもチャン・キンと同様の長髪である。 彼らに向かって、チャン・キンが、古代マヤ語で何事かを告げた。 すると、彼らの間から一斉にどよめきが上がり、御門に視線が集中した。 「何といったんだ?」 御門が訊く。 「君を紹介したのさ」 後方から、声が聴こえた。 赤石がそこに立っていた。 「何と?」 「君が、日本から船に乗ってやってきたのだとね」 「それだけで、あんなに--」 ラカンドンたちが、歓声をあげている。 彼らが口にする言葉の中で、御門にわかるのは、メッツァボックという言葉だけだ。歓声の中に、度々、メッツァボックという言葉が混じっている。 「彼らは、君を待っていたのだよ」 「俺を?」 「船に乗ってやってくる救いの神をね」 「神?俺のことか」 「ああ」 「俺は神なんかじゃない」 「わかってますよ。しかし、彼らがそう考えている事は、紛れもない事実です--」 「まさか、信じてるのか、彼らは?」 「厳密な意味でいえば、信じてはいないかもしれません。しかし、君を信じたがっている。君が自分達を救ってくれるのではないかとね……」 御門が、赤石に向かって何か言いかけた時-- 「さあ、小屋へ戻りましょう。彼らも、あなたの顔を見て、ここは一先ず気がすんだでしょうから」 チャン・キンが促した。 再び小屋の中に戻った。 「神か……」 久能が、誰にともなく、呟いた。 外での会話が、小屋の中にも届いていたのである。 中に入っても、御門は座ろうとしなかった。 そこに突っ立ったまま、チャン・キンと赤石を見やった。 「何故、俺が神なんだ」 御門が言った。 「メッツァボックの事は聴いてますね」 赤石が訊いた。 「ああ、神の名だと」 「そうです」 「--」 「古代マヤには、多くの神々がいます。部族や地域ごとに、神がいたといってもいいでしょう。メッツァボックは、ラカンドンの神です--」 「--」 「ラカンドン族は、幾つかの部族に分ける事ができます」 手長猿族のマーシ。 猪族のケ・ケン。 鹿族のユック。 雉族のカンプール。 メッツァボック神は、ケ・ケン族--つまり猪族では、創造神の位置が与えられている。 ケ・ケン族の神話によれば、クチェの樹で人間を創ったのもメッツァボックであり、ハチウェニック(ラカンドン)に、西瓜を植えるのを教えたのもメッツァボックである。 メッツァボックに対立する悪神がキッシンである。 メッツァボックがクチェの樹で人間を創っている時、その途中で畑仕事に出かけた。その間にやってきたのが、この悪神であるキッシンである。 キッシンがみると、メッツァボックが創りかけた人間の身体が2つある。 キッシンは、悪戯心を起こし、この内の一方の人間の口許、わきの下、下腹部に松の木の煤を塗りつけた。そして、もう一方の人間の脇の下と下腹部にも煤を塗りつけた。 だから、人間は頭部以外に、その煤を塗りつけた場所から毛が生えるようになったのである。口許に煤をつけた方が男であり、つけなかった方が女である。だから、男には髭が生え、女には髭が生えないのであると。 また、キッシンは、メッツァボックがクチェの樹で人間を創ったのを見て、自分も人間を創ろうと考えた。 そうして、創った者を地面に置くと、それは忽ち走りだして森の中へ入っていってしまった。キッシンが近づいて、よくよく眺めてみれば、それは人間ではなく野豚であった。 一頻り、ラカンドンの神話の話をし、 「この内、メッツァボックと船に関わる神話があるのです」 と、赤石はいった。 5 遥かな太古。 空にあった太陽と月が死んでしまった。 土地はやせ、森の樹々や草も枯れはて、人間達だけでなく、無視や獣達も殆どが死に絶えそうになった。 更に激しい雨が降るようになり、川の水は増え続け、大地に溢れた。 その時、メッツァボック神は、それまで残っていたクチェの樹の中でも、1番大きなものから、1艘のカヌーを作った。 そのカヌーに、あらゆる種類の獣や植物を乗せて、雨と水から逃れたのである。 雨は毎日降り続き、それまで高い山であった場所まで水に浸かってしまった。しかし、それでも、カヌーに乗った動物達は争いもせずにじっとしていた。 やがて、時間がたつと、また太陽と月が再生し、水も少しずつなくなって、1ヶ月ほどすると陸が見えてきた。 しかし、大地には何も残ってはいなかった。 |