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75

「娘の事については、改めて礼を言わせて貰うよ。有難う」
赤石浩介は、次に、チムに目をやった。
「君が、京子の意識を閉ざしたんだったね」
「まあね」
「しかし、薬師丸法山のヘリを壊し、京子を救い出すきっかけを作ってくれたのも君だったのでしょう」
赤石の言葉に、少年は、小さく微笑して見せた。
「その事については、やはり、礼をいっておくよ。京子の意識を戻す件については、後で君とじっくり話をしたいんだが--」
「話をするだけならね」
答えたチムに向かって、赤石は同じように微笑してみせた。
「しかし、ここが、メッツァボックの本部とはな」
と、そういったのは、土方であった。
「この規模だったら、20人も訓練された兵士と武器を用意できれば、あっという間に処理されてしまうでしょう」
「場所が発見されればね」
赤石が答える。
「しかし、幾ら、ここを殲滅されても、メッツァボックは滅びません。なぜなら、メッツァボックは、我々の、ラカンドン全ての心の中にいるからです」
座していた、チャン・キンがいった。
「こういったゲリラ戦の厄介なのはそこだな。敵側にしてみれば、戦って、人を殺せば殺すほど、ゲリラの数が増えてゆく訳ですからね」
「--」
「ジャングルに散って、あちらこちらの村に逃げ込んでしまったら、敵には、誰がゲリラか村人かわからない。これも厄介な事です。ベトナムでは、それで、村全体が焼かれ、村民全員が殺されたりした……」
「あの戦争を、このジャングルで起こしてはなりません」
と、赤石はいった。
「我々の闘争は、複雑です。ツァ・コル達のように、過激な連中もいます。答えがない。聖地を守りたいという者もいれば、ツァ・コル達とは逆に、油田開発があればいいと考えている連中もいるのです。そうなれば、仕事ができて、金が入ってきます……」
「--」
「あなたにも、複雑といえば複雑な事情があります。たまたま、薬師丸法山の敵という事で、今、我々は手を握り合っているが、場合によったら、今、我々を殲滅しようとしているのは、あなた方土方グループであったかもしれません」
「まあね」
「しかし、表面的には色々と複雑に見えても、心の中に共通して存在しているものもまたあるのです」
「それは?」
と、土方が訊いた。
「それは、白人支配からの独立です。白人に有利なこの社会を、何とかしたい--それは、油田開発に賛成している人々の心の中にもある、共通した意識なのです」
赤石は、静かな口調で言った。
「我々が望んでいるのは、闘いではありません。たまたま、ツァ・コル達のような過激派がいて、このような状況になってしまいましたが、我々が望むのは、白人との平等な共存と、このジャングルです」
「--」
「海が豊饒であるのと同様の意味で、このジャングルは、豊饒です。ジャングルは、命の源であり、命そのものといってもいい。ラカンドンにとってだけではないのです。人類にとって、このジャングルの豊饒さは必要なのです。南米と、この中米が、地球の大気の中に、どれだけ多くの酸素を供給しているかを、考えてみて下さい」
「さっき、聖地といってましたね」
土方が言った。
「はい」
「それは、どういうものなのですか」
問われた赤石は、チャン・キンを見やった。
チャン・キンは、ベッドの上におろしていた腰を上げ、ゆっくりと、立ち上がった。
長い髪を後方で束ねている。
「我々、ラカンドンにとって、言え、マヤにとって、それは、大変に貴重な物なのです」
チャン・キンは、一同を見回しながらいった。
「そして、それを、10年前に発見されたのが、こちらの、赤石先生なのです」
「何なのです、それは--」
「--」
「古代マヤ族の遺跡であるという話も聞いていますがね」
「遺蹟といえば、遺蹟です。しかし、それは、例えば、エジプトのピラミッドが遺蹟であるというのとは、また、少し違うのです」
「どう違うのですか?」
問われて、今度は、チャン・キンが、赤石を見やった。
「その聖地については、何れ、きちんと皆さんにお話する機会もあるでしょう。この場では、まだ、誰が本当に我々の味方であるのかわかりません。それを見極められない内に、この話をする事は、まだできないのです--」
赤石は、そういって御門を見やり、
「御門さん。結局、あなたはこのジャングルまでやってこられた……」
「はい……」
御門は頷いた。
「もしかすると、あなたこそが、このジャングルを救う方になるのかもしれません」
「--」
「お願いいたします。できれば、このジャングルにとどまって、我々と一緒に戦ってほしいのです」
「戦う?」
「はい」
「誰と?」
「このジャングルを破壊しようとする者とです。今は、薬師丸法山が、その相手という事になります」
「日本でも、チャン・キンに似たような事をいわれたよ。それは、どういう意味なんだ--」
「それを、お話するのはいいのですが、これは、先程お話した、聖地の件にも関わってくる事なのです」
赤石がいうと、
「私が、邪魔なら、席を外しますよ」
土方が言った。
「いいえ。何れにしろ、この話は、私が勝手に話せる事ではありません。現在、聖地を守っているのはツァ・コルの仲間達です。彼らとこの件については相談をしておかねばなりません」
「過激派の連中ですか」
「ええ」
赤石は頷いた。
赤石は、もう1度部屋の中を見回し、
「ツァ・コルは、まだこないのですか」
そう訊いた。
「いっしょにここに到着しましたが、今、どこにいるかはわかりませんね」
土方は言った。
「聖地へ向かったのだろう」
チャン・キンがいった。
「何をしに?」
「あちらにいる長耳たちと合流するつもりなのだと思います」
と、チャン・キンが答える。
「では、我々には時間ができたという事です。今日のところは、ここで皆さん休んでください。何れ、スコールが始まって、吼え猿の合唱が始まるのでしょう。食事をして、十分な睡眠をとれば、また、我々の為のよい知恵も生まれるでしょう」
赤石はいった。
その時、外から人の声が届いてきた。
意味のわからない言葉。
日本語でも、英語でも、スペイン語でもない。
その声が、段々と大きくなってくる。
1人や2人の声ではなかった。
5人、7人、10人--20人近くはいるかもしれない。
興奮が混じった声だ。
「あれは?」
御門が訊いた。
「古代マヤ語--ラカンドンの言葉です」
と、赤石がいった。
「ラカンドン?」
「ラカンドンの連中が集まってきたのですよ。今日辺り、あなたがやってくるという噂が伝わっていたのでしょう」
「俺が?」
「そうです。彼らは、あなたを見に--いやあなたに会いにやってきたのですよ」
「俺に会いに、何故だ?」
「さっき話をしたことに関係があります。ここは、一先ず、彼らに姿を見せてやってください。それだけで、彼らは勇気付けられる事でしょう」
赤石がいうと、チャン・キンが頷いた。
御門は、2人のいう言葉の意味がわからぬまま、2人を見つめていた。

4

御門が、外に出た。
チャン・キンが一緒である。
外に出ると、例の、白い貫頭衣をきたラカンドン族の男や女達が、20人近く集まっていた。
チャン・キンの姿をみると、彼らのざわめきが収まった。
集まっているラカンドン族は、男も女も、何れもチャン・キンと同様の長髪である。
彼らに向かって、チャン・キンが、古代マヤ語で何事かを告げた。
すると、彼らの間から一斉にどよめきが上がり、御門に視線が集中した。
「何といったんだ?」
御門が訊く。
「君を紹介したのさ」
後方から、声が聴こえた。
赤石がそこに立っていた。
「何と?」
「君が、日本から船に乗ってやってきたのだとね」
「それだけで、あんなに--」
ラカンドンたちが、歓声をあげている。
彼らが口にする言葉の中で、御門にわかるのは、メッツァボックという言葉だけだ。歓声の中に、度々、メッツァボックという言葉が混じっている。
「彼らは、君を待っていたのだよ」
「俺を?」
「船に乗ってやってくる救いの神をね」
「神?俺のことか」
「ああ」
「俺は神なんかじゃない」
「わかってますよ。しかし、彼らがそう考えている事は、紛れもない事実です--」
「まさか、信じてるのか、彼らは?」
「厳密な意味でいえば、信じてはいないかもしれません。しかし、君を信じたがっている。君が自分達を救ってくれるのではないかとね……」
御門が、赤石に向かって何か言いかけた時--
「さあ、小屋へ戻りましょう。彼らも、あなたの顔を見て、ここは一先ず気がすんだでしょうから」
チャン・キンが促した。
再び小屋の中に戻った。
「神か……」
久能が、誰にともなく、呟いた。
外での会話が、小屋の中にも届いていたのである。
中に入っても、御門は座ろうとしなかった。
そこに突っ立ったまま、チャン・キンと赤石を見やった。
「何故、俺が神なんだ」
御門が言った。
「メッツァボックの事は聴いてますね」
赤石が訊いた。
「ああ、神の名だと」
「そうです」
「--」
「古代マヤには、多くの神々がいます。部族や地域ごとに、神がいたといってもいいでしょう。メッツァボックは、ラカンドンの神です--」
「--」
「ラカンドン族は、幾つかの部族に分ける事ができます」
手長猿族のマーシ。
猪族のケ・ケン。
鹿族のユック。
雉族のカンプール。
メッツァボック神は、ケ・ケン族--つまり猪族では、創造神の位置が与えられている。
ケ・ケン族の神話によれば、クチェの樹で人間を創ったのもメッツァボックであり、ハチウェニック(ラカンドン)に、西瓜を植えるのを教えたのもメッツァボックである。
メッツァボックに対立する悪神がキッシンである。
メッツァボックがクチェの樹で人間を創っている時、その途中で畑仕事に出かけた。その間にやってきたのが、この悪神であるキッシンである。
キッシンがみると、メッツァボックが創りかけた人間の身体が2つある。
キッシンは、悪戯心を起こし、この内の一方の人間の口許、わきの下、下腹部に松の木の煤を塗りつけた。そして、もう一方の人間の脇の下と下腹部にも煤を塗りつけた。
だから、人間は頭部以外に、その煤を塗りつけた場所から毛が生えるようになったのである。口許に煤をつけた方が男であり、つけなかった方が女である。だから、男には髭が生え、女には髭が生えないのであると。
また、キッシンは、メッツァボックがクチェの樹で人間を創ったのを見て、自分も人間を創ろうと考えた。
そうして、創った者を地面に置くと、それは忽ち走りだして森の中へ入っていってしまった。キッシンが近づいて、よくよく眺めてみれば、それは人間ではなく野豚であった。
一頻り、ラカンドンの神話の話をし、
「この内、メッツァボックと船に関わる神話があるのです」
と、赤石はいった。

5

遥かな太古。
空にあった太陽と月が死んでしまった。
土地はやせ、森の樹々や草も枯れはて、人間達だけでなく、無視や獣達も殆どが死に絶えそうになった。
更に激しい雨が降るようになり、川の水は増え続け、大地に溢れた。
その時、メッツァボック神は、それまで残っていたクチェの樹の中でも、1番大きなものから、1艘のカヌーを作った。
そのカヌーに、あらゆる種類の獣や植物を乗せて、雨と水から逃れたのである。
雨は毎日降り続き、それまで高い山であった場所まで水に浸かってしまった。しかし、それでも、カヌーに乗った動物達は争いもせずにじっとしていた。
やがて、時間がたつと、また太陽と月が再生し、水も少しずつなくなって、1ヶ月ほどすると陸が見えてきた。
しかし、大地には何も残ってはいなかった。

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