第14回『カルメン』公演までの道のり その四〜練習中盤
未分類 ブログ担当の眉毛男優です。第四幕に入ります。
その四〜練習中盤
練習中盤というのは私の感覚であって、コッラヴォーチェ全体としては追い込みに入ったのが6月。各幕のパートパートの練習から、幕ごとの流れを追う練習になった。もちろん、セリフ、歌詞は各人の中に入っていることが前提なのだが、悲しいかな、途中参加の私はまだそんな状況に達していない。「いままでの試験、レポート、営業実績だって直前になんとかしてきた。今回も最後の追い込みでなんとかなるさ」と楽観的な見込みを保つようにしてはいたものの、一方で、直前の追い込みが効かずに、痛い目を見たことも多々ある、という自覚もあり、全体練習前の個人レッスンは可能な限り全て入れたし、自宅で世間的には配偶者、私個人の感覚としては絶対君主の女房殿にメロディー練習をつけてもらっていた(註 偉大なる女房殿は元音楽教師。拙宅にはピアノがあり、伴奏を弾いてもらいながら、メロディーのお手本を示してもらうことができた。今回ほど彼女の「前職」をありがたく思ったことはない)。
私の心境はさておき、具体的な演技方針がどんどん決まっていき、実際の舞台での立ち位置や、出入りを意識した動きの指導や、実際の演技の指導が入ってきた。
私のキャストとしての出番は一幕と二幕が主で、そこでは主役のカルメンならびに相手役のドン・ホセと絡むシーンが多いし、私の歌から始まるシーンも少なからずある。セリフも多い。
ここで心がけなければいけないのは、劇全体の醸し出す世界をぶち壊さないということだ。例えば「ハッ、女に興味がないだと?信じられんな!!」というセリフがあるのだが、私に全権が与えられたとすると、このセリフの後には「お前はホモか?」というツッコミを100%入れてしまう。で、多分このセリフをいえば観客にもウケるだろう。しかし、そこで個人プレーに走ってはいけない。あくまで、作品の世界を壊さないよう、パーツの一つとして完璧でいなければならない。
おお、これはまさしくラグビーの「One for All,All for One」の精神ではないか!とビジネス本あたりでは悟ったようなことを書く著者が多いが、私は残念ながら、そこまで悟れなかった。
どこかで、絶対に自分を出して、その上でウケを取ってやる。ろくにセリフもメロディーも入っていないのに、先にそんなことを考えてしまうなど不遜もいいところだが、一人っ子は常に自分が目立っていないと悔しいのだ。雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百までもなどという言葉もある。50年そこそこで一人っ子という宿痾は消えないのだ(笑)。
で、一体どこで自分を出すか?ソロパートで一つ、密輸団の下っ端その3(註 三幕ではヒゲつけてその他大勢やってました)の時に一つ見つけた。
ソロパートについては二幕の「いないのか?入るぞ」と歌いながら舞台に登場するシーン。そこは、愛しいカルメンに会えるという喜びに満ち溢れていなければならない。ではその喜びをどう表現するのか?
密輸団の下っ端その3の時は、ミカエラの言葉に驚き呆れる様子を表すシーン。驚く仕草をどう表現するか?
結果、どのような演技になったかは、メンバーの皆さん及びご覧いただいた方々はわかっていると思いますので、割愛いたします(笑)。
このウケねらい演技はともかく、他の人に「どのように見えるか」ということを考えると、結局は自分が「こう感じた」というシーンを、今まで観た映画や演劇、ドラマさらには実生活で遭遇したシーンといったモノから引っ張ってこないといけない。よく言えばオマージュ、悪く言えばパクリだが、まなぶの語源はまねぶ、つまりマネすることだ。私は今までのインプットを総動員して、与えられた役「らしく見える」動作をひっぱり出すことに腐心した(註 やたらと高尚なオハナシになってしまいましたが、要は、過去の上司に人生の中で最高に嫌いってやつがいたので、そいつを参考にしたってことです)。
こんな状況の下でも時間だけは刻々と進んでいく…。
(次回に続く あ、次幕か)
その四〜練習中盤
練習中盤というのは私の感覚であって、コッラヴォーチェ全体としては追い込みに入ったのが6月。各幕のパートパートの練習から、幕ごとの流れを追う練習になった。もちろん、セリフ、歌詞は各人の中に入っていることが前提なのだが、悲しいかな、途中参加の私はまだそんな状況に達していない。「いままでの試験、レポート、営業実績だって直前になんとかしてきた。今回も最後の追い込みでなんとかなるさ」と楽観的な見込みを保つようにしてはいたものの、一方で、直前の追い込みが効かずに、痛い目を見たことも多々ある、という自覚もあり、全体練習前の個人レッスンは可能な限り全て入れたし、自宅で世間的には配偶者、私個人の感覚としては絶対君主の女房殿にメロディー練習をつけてもらっていた(註 偉大なる女房殿は元音楽教師。拙宅にはピアノがあり、伴奏を弾いてもらいながら、メロディーのお手本を示してもらうことができた。今回ほど彼女の「前職」をありがたく思ったことはない)。
私の心境はさておき、具体的な演技方針がどんどん決まっていき、実際の舞台での立ち位置や、出入りを意識した動きの指導や、実際の演技の指導が入ってきた。
私のキャストとしての出番は一幕と二幕が主で、そこでは主役のカルメンならびに相手役のドン・ホセと絡むシーンが多いし、私の歌から始まるシーンも少なからずある。セリフも多い。
ここで心がけなければいけないのは、劇全体の醸し出す世界をぶち壊さないということだ。例えば「ハッ、女に興味がないだと?信じられんな!!」というセリフがあるのだが、私に全権が与えられたとすると、このセリフの後には「お前はホモか?」というツッコミを100%入れてしまう。で、多分このセリフをいえば観客にもウケるだろう。しかし、そこで個人プレーに走ってはいけない。あくまで、作品の世界を壊さないよう、パーツの一つとして完璧でいなければならない。
おお、これはまさしくラグビーの「One for All,All for One」の精神ではないか!とビジネス本あたりでは悟ったようなことを書く著者が多いが、私は残念ながら、そこまで悟れなかった。
どこかで、絶対に自分を出して、その上でウケを取ってやる。ろくにセリフもメロディーも入っていないのに、先にそんなことを考えてしまうなど不遜もいいところだが、一人っ子は常に自分が目立っていないと悔しいのだ。雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百までもなどという言葉もある。50年そこそこで一人っ子という宿痾は消えないのだ(笑)。
で、一体どこで自分を出すか?ソロパートで一つ、密輸団の下っ端その3(註 三幕ではヒゲつけてその他大勢やってました)の時に一つ見つけた。
ソロパートについては二幕の「いないのか?入るぞ」と歌いながら舞台に登場するシーン。そこは、愛しいカルメンに会えるという喜びに満ち溢れていなければならない。ではその喜びをどう表現するのか?
密輸団の下っ端その3の時は、ミカエラの言葉に驚き呆れる様子を表すシーン。驚く仕草をどう表現するか?
結果、どのような演技になったかは、メンバーの皆さん及びご覧いただいた方々はわかっていると思いますので、割愛いたします(笑)。
このウケねらい演技はともかく、他の人に「どのように見えるか」ということを考えると、結局は自分が「こう感じた」というシーンを、今まで観た映画や演劇、ドラマさらには実生活で遭遇したシーンといったモノから引っ張ってこないといけない。よく言えばオマージュ、悪く言えばパクリだが、まなぶの語源はまねぶ、つまりマネすることだ。私は今までのインプットを総動員して、与えられた役「らしく見える」動作をひっぱり出すことに腐心した(註 やたらと高尚なオハナシになってしまいましたが、要は、過去の上司に人生の中で最高に嫌いってやつがいたので、そいつを参考にしたってことです)。
こんな状況の下でも時間だけは刻々と進んでいく…。
(次回に続く あ、次幕か)