会えなかった母の最期

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私の母は12年前、肝硬変の為48歳で天国へ旅立ちました。

12年前なので私は26歳の時です。
とある日、母がお風呂で倒れて近くの総合病院に運ばれたと父から連絡が入りました。

私はその頃は夜勤をやっていたので、仕事が終わって少し仮眠を取ってお昼前に病院に行きました。

父と妹もすでに到着していて、医師から私達に病状の説明がありました。

「黄疸の数値がものすごく高い。亡くなっても不思議でない数値です。まず1週間、2週間、1ヶ月、という気持ちで頑張っていきましょう。」

これ以上ない、大切な存在を失うかもしれない。

「まだ親孝行もできてない、ダメだよ」
そう思い、その日は夕方まで病室にいました。

翌日も夜勤が終わって仮眠してから病院に行き、あまり話す事ができない母と少しの会話をしながら夕方までいて仕事へ向かった。

そして翌翌日(入院の日から2日後)、この日も夜勤終わって仮眠して病院に行き、少しの会話をしながら夕方までいた。

「じゃーそろそろ仕事だから行くね、テレビばっかり見てたら疲れるからね」

「わかったよ。」

これが最期の会話になった。

母がお風呂で倒れてから2日後の夜中、私が夜勤をしてる0時30分に父から着信があった。
「亡くなった。最期は穏やかだった。まぁ...辛いだろうけど気をつけて今日は最後まで仕事してくれ」私は父の会社で働いていたので、指示に従うしかなかった。

突然、夜中仕事中に電話がかかってきて母が死んだ。この世から母がいなくなった。
でも仕事中、なんだか気持ちがぐちゃぐちゃで訳がわからなかった。

仕事が終わって始発の電車に乗った瞬間、泣き崩れた。

なんにも親孝行できなかった、ありがとうも言えなかった、もう笑顔も見れない、声も聞けない、たくさんの感情で、とにかく泣いた...



人はいつどうなるかなんてほんとわからない。

仲の良かった友達が18歳の時に車の事故で亡くなった。即死だった。

21歳の時、社会人のサッカーチームを友達たくさん集めて作ってやっていましたが、真夏の猛暑の中の試合中、突然バタっと倒れた。

1分後くらいに本人は上半身を起こして不思議そうに自分の身体を見回していた。

なにが起きたんだという感じで不思議そうに。
でもその数分後、またバタっと地面に寝そべってしまった。

みんなで日陰に運んでいき、うちわで扇いだり、冷やしてあげたり、みんなできる事を必死にやって声を何度もかけたりした。
少しして、その中の一人が「息、してるよな...」
その言葉で全員に緊張が走りました。

「息してねぇ!救急車!!」

すぐさま心臓マッサージ、人工呼吸、呼びかけ、みんな今知ってる知識を使って一生懸命頑張った。

間もなく救急車が到着し、病院へと運ばれました。みんなそれぞれ車で病院について行きました。

一時間ほど待合室で待っていましたが、病院からは何も説明などは無く、ようやく家族の方が3人来られました。

そして家族の方が病室に入っていった直後、
「いやぁーーーーー」

最悪の事態になったんだとすぐわかりました。

21歳で熱中症で、さっきまで一緒にサッカーやってた友達が亡くなってしまった。

あまりにもショックでした...



それから何年かして、同じくサッカーをやっていた別の友達の弟に皮膚がんが見つかったという話を聞きました。私より3つぐらい年下だったので22歳くらいだったと思います。
サッカーの練習で何回か顔を合わせてました。

それからたった2ヶ月。亡くなったという訃報が入りました。


人の人生の長さは想定してるものとは全然違ったりする。

母もお酒は好きだったけど、野菜とか好きだったし70歳ぐらいまでは元気でいるだろうみたいに勝手に思っていました。
48歳って...





現在に戻りますが、今日も妻は朝起きてきませんでした...

痛みはコントロールできているみたいですが、ナルサス錠6mgがずいぶん効いているらしく、ほとんど寝ていたりします。

日中もLINEの返事は調子のいい時間帯に返ってきて、また音信不通...

こういう状態がもう最近の私の日常になりつつありますキョロキョロ

だから、伝えたい言葉、たくさん伝えるようにしています。

後悔だけはしないように。