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2019-08-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・毎年、8月15日の正午にはサイレンの報せを聞いて、
 短い黙祷をすることになっていた。
 夏休みのなかの1日だし伝統行事としてのお盆だから、
 たいていは甲子園でやっている高校野球を観ていて、
 それを中継するテレビから流れてくるサイレンを合図に、
 黙って目を閉じていた。 
 それがなんと、大型台風のせいで、
 高校野球は1日まるごと中止になった。
 あのサイレンは、たぶん近所のお寺からは聞こえない。
 除夜の鐘じゃぁないんだからね。
 そう思ったら、ちょっとさみしくなった。
 毎年の、あの黙祷の1分間はなんだったのだろう。
 そんなことも考えながら、甲子園抜きで黙祷をしよう。

 あの時代の戦争で、
 それぞれの国がやろうとしていたことは、
 いまの時代には、無駄や無理が多すぎるものになった。
 そう書くと、あれこれ言われるのかもしれないが、
 いま経済や政治の交渉でやっていることが、
 これまでの時代の戦争に求められていたことだ。
 むろん、壊したり殺したりの戦争は無くなってはないが、
 この先、もっと少なくなっていくだろうとは思う。
 おそらく、軍靴の響きはもう聞こえないだろう。
 軍靴を履いて歩いて出かけていく場所がない。
 もっと人間の数をかけずに、効率のより兵器が、
 キャンペーンのように脅迫の主役になるだろうし、
 そして事実上の戦さは、経済戦争のようなかたちになる。

 人が、二度と起こしてはならないと思う戦争は、
 昔のとおりの景色ではないのだ。
 昔の悲惨さや暴力とはちがうかたちになるとしたら、
 なにをどう防ぐのか、なにをどう守るのかについても、
 もっと別の考え方をしていかねばならないだろう。
 国と国という衝突でないことだって考えられるし、
 手間のかかる暴力は、要らないかもしれないのだ。

 映画やドラマで描かれている戦争は、
 そのときに、だれも止められなかった戦争だ。
 <まず、いまなにが大事で、なにを失いたくないか、
 それをじぶんの頭で考えるのが戦争反対だ。>

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
巨大な台風がくるという日が、終戦の日と重なったこの夏。


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