1962年生まれ。長崎県出身。
92年、初の劇場公開映画『二十才の微熱』は、劇場記録を塗り替える大ヒット記録。
2作目の『渚のシンドバッド』(95’)は、ロッテルダム国際映画祭グランプリ他、数々の賞に輝いた。
人とのつながりを求めて子供を作ろうとする女性とゲイカップルの姿を描いた3作目『ハッシュ!』(02’)は、第54回カンヌ国際映画祭監督週間に正式招待され、世界69各国以上の国で公開。国内でも、文化庁優秀映画大賞をはじめ数々の賞を受賞。
6年振りの新作となった『ぐるりのこと。』(08’)は、女優・木村多江に数多くの 女優賞を、リリー・フランキーには新人賞をもたらし、その演出力が高く評価された。
7年ぶりの長編となった『恋人たち』(15’)は、第89回キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得したほか、数多くの映画賞に輝いた。
2019年08月09日
愛知県美術館で「あいちトリエンナーレ2019」において『慰安婦像』が『平和の像』と偽って、また昭和天皇の御真影を燃やした映像作品が展示されています。他にも、原爆ドームに散華された特攻隊の方型の寄せ書きが書かれた日の丸がかけられて『馬鹿な日本人の墓』と題された展示、等々。
芸術監督は、津田大輔氏。
『表現の不自由』と題されたこの展示は、愛知県が8億5000万円、名古屋市が2億8000万円、残りを事業収入で賄う税金を使った文化庁が後援する芸術祭です。
『公序良俗に反する』ということをご存知だろう。表現の自由の名のもとに表現者は何をやっても許されるものではない。そして、この展示は意図的に日本と日本人を侮辱、攻撃する悪辣な政治プロパガンダだと考えます。税金を使って、特定の政治思想に基づいて私たち日本人を攻撃することを皆さんは容認しますか?。
表現の自由、言論の自由、権利、平和、これらは私たちの社会を支える、皆が守りたいと希求するものです。しかし、破壊者たちは、これらの言葉を盾に偽装し正体を隠しながら、様々に私たちを攻撃してきます。彼らは、批判が出ると「表現の自由に対する攻撃だ」と声を上げ、私たちの口を塞いでほくそ笑むのでしょう。
芸術には既成の価値観に挑戦する破壊的な面も含みますが、私たちの価値観を破壊し混乱だけを生み出すことは革命者・テロリストの態度です。私たち同じ日本人の中に『日本死ね』を実践する人たちがいるのです。
表現とは何でしょうか?。個人の思想に基づいて表現、発信することは何の問題もありません。しかし、悪質なプロパガンダは似て非なるものです。現在禁止されているサブリミナル効果と並び非常に有害で危険な表現行為であると考えます。人の精神に思想を刷り込み、洗脳、誘導する。社会を混乱させ戦争の原因にもなるのです。
私たち表現者は、絶望を描いてもいいが、決して受け手を絶望させてはならない。こんなことは自明のことなのです。
現在、私がいる映画界においても、この悪質で軽薄なプロパガンダ映画の製作が散見されます。これが進んでいくとどうなるでしょうか?。テレビ、新聞などのメデイアへの不信による凋落と同じことが日本映画への観客の不信となって広がるのではないか?。この流れに私は非常な危機感をもって映画界を注視しています。
私は、日本映画ならずとも、全ての表現を守りたいと思います。その為には、私たちが芸術とプロパガンダの境界を見極める目をもって、一線を引く勇気が必要なのだと思うのです。
私は、『二十才の微熱』のときに「映画を見て自殺をやめました」と少年少女からお手紙を戴いて以来、自分が表現したことで人を殺すことも救うこともあると学びました。表現とは、その責任と重さを伴うものなのです。表現の機会をこのような形で利用する人たちを心から軽蔑します。
この展示を芸術であるとうそぶく者の姿は、昨年のLGBT騒動の折、新潮社という言論機関の看板にペンキを撒いて攻撃し「これはアートだ。素晴らしい」と勝ち誇った文化人と称する人たちの自ら表現を貶めた姿と重なります。言論の自由を叫びながら、言論を封殺して笑いながらピンポンダッシュして逃げた人々の卑しさ。