| ※(URLを変更して)再掲載しています こちらに昭和58~61年4年間の7~12月本部幹部会の秋谷会長の発言を保存 https://drive.google.com/drive/folders/1Y58RO4O1HDBXFLawuWIM4_zG1okHAWAh?usp=sharing サブフォルダ名:1983s58-1986s61の4フォルダです。 【解説】 先日、1993年(平成5年)-1997年(平成9年)の秋谷の財務のお願い発言を調査した。 すると1993年(平成5年)ごろは「財務」を"御供養"と会員に説明していたが、1997年(平成9年)までに"御供養"という単語が消えて、「広布のための真心あふれる財務」のような穏当な表現に変わったことが確認された。 秋谷会長「財務」のお願いから"御供養"が消える1993年(平成5年)-1997年(平成9年) https://6027.teacup.com/situation/bbs/93997 そこで、以前は"御供養"よりもっと過激な単語を使っていたかもと思い、昭和58~61年について調査した。 ところが、この年の各7~12月の本部幹部会の新聞掲載文では、秋谷会長は一言も"財務"のお願いをしてないことが確認された。 その証拠の画像を宿坊に貼り付けると24枚の画像になる。そこでこちらに保存した。 https://drive.google.com/drive/folders/1Y58RO4O1HDBXFLawuWIM4_zG1okHAWAh?usp=sharing 【昭和58~61年 7~12月の本部幹部会の秋谷会長の"財務"発言調査】 昭和58年 「財務」の発言なし ・7月2日に6月度幹部会の指導が掲載されており、7月度幹部会の確認ができなかった(調査漏れが発生しているかもしれない) 昭和59年 「財務」の発言なし ・7月、8月、9月に秋谷が不在 7月、8月の1面画像を掲載。参加幹部名に秋谷の名前がなかった。 ・10月の幹部会で「おかげさまで復帰することができました」と発言しているので、入院していたと思われる。 昭和60年 「財務」の発言なし 昭和61年 「財務」のお礼発言だけがあり ・9月の本幹で「財務に際して~厚くお礼申し上げたい」と一言 【昭和58~61年 7~12月の聖教新聞】 予想に反して"財務"発言がない理由は、当時の学会はすごくて、夢と希望にあふれており新聞記事もエネルギーに満ちあふれていたからだと思った。 つまり、財務をお願いする必要がなかったからだと推測する。 ザッとみても ・会館が次々と建っている ・文化祭が活発。一ヶ月に複数回やっている月もあった。 ・日顕上人(当時そう記載されていた)をはじめとする、本山の記事や海外布教記事も盛んであった。 夏は夏期講習会だし、その他にも本山行事がてんこ盛り。 ・本幹の翌日に本幹の記事。その翌日には先生や秋谷のスピーチが掲載されており、スピード感があった。 ⇒先生や秋谷、副会長が一ヶ月に何度も指導をしていたので、現在のように1回の本幹を1週間もかけて分割して掲載する必要がない・秋谷のボケと、先生のツっコみが面白かった。 ・週に数回、副会長が交代で一面にでて指導をしていた。 ⇒今は、新聞で副会長の指導がない。さらに副会長は教学がなくなり、まともな実証も無く、何もできないほど落ちぶれた。 会長の指導であのレベルだから仕方ない。会長より優秀な人は除名・左遷だし。 ※さらに追記すると、当時の新聞の文字サイズは現在より1回り小さかったのです。それなのに新聞がびっしり埋まっています。書くくべきネタがいくらでもあったような感じです。 当時、学会は大躍進していて、誰もが21世紀の広宣流布達成を信じていた。 だから当時は財務が当たり前な状態で、特にお願いしなくても、みんな喜んで払っていたではないだろうか? ●1989年平成元年前後から、いろいろな事件が発生した。 このため、平成になって財務収入も減り始めたと思われる。 https://6027.teacup.com/situation/bbs/93954 以下「広布第二章の指針様 秋谷が年収6千万円のときは財務せびりなし」を一部修正し、城久氏/博正氏を追記 1984 S59年10月3日 池田城久氏、死去 https://6027.teacup.com/situation/bbs/84653 http://konmanki.blogspot.com/2017/05/blog-post_24.html 1988 S63年5月 大橋敏雄公明党国会議員が離反、月刊『文藝春秋』に「池田大作への宣戦布告」を発表。 1989 H1年3月 ルノワール絵画疑惑 富士美が41億で購入。 株式会社立花が25億円で仕入れ、三菱商事に36億で売却。16億円の中抜きという異常取引だった。 1989 H1年6月 「竹やぶ金庫事件」 1989 H1年10月4日 中西治雄氏退会。後に宗門へ。 1990 H2年 顕正会が「なぜ学会員は功徳を失ったか」を出版 1991 H3年3月 *副青年部長博正氏が、青年部長をスキップして副総合青年部長 1991 H3年5月 本部の墓石収入23億8千万の申告漏れ。法人税6億4千万を追記納税。 1991 H3年6月17日 はるな平和墓苑 三年分の所得約5億7千万円の申告漏れ指摘。1億5千万円を追加納税 ※墓石販売は70年から行われてきたが、ほとんどは時効。追徴は過去3年分だけであった。 1991 H3年7月 財務で財テク。4億5700万円の損失補てん 秋谷が、財務で勝手に株を買ったことの謝罪-1991(H3)年8月6日 https://6027.teacup.com/situation/bbs/94882 1992 H4年11月 アメリカSGIジョージ・ウィリアムス氏退任し宗門へ。 1994 H6年3月 山崎正友が「懴悔の告発」で 、秋谷のH4年の収入が総理大臣よりもはるかに多い5526万円であることを公開 http://toyoda.tv/nozeigaku.htm 最初は山崎正友を誰も信じなかかったが、税務署の文書が情報開示請求で公開され事実であることが次第に広まった。 学会幹部4名の高額納税証拠【完了】(配布自由) https://6027.teacup.com/situation/bbs/93727 1994 H6年7月 *博正氏が副会長 1995 H7年12月4日 秋谷が国会証人喚問 1997 H9年11月 *博正氏がSGI副会長 2006 H18年3月 *博正氏が副理事長 ※つまり、昭和の当時は現在のように財務で「カネくれくれ」という浅ましい状況でなかったのでしょう。 むしろ、21世紀に「広宣流布」が達成されろうな波に乗っていることが喜びであり、みんな喜んで財務をしていたように感じます。 「財務が最高の大善」と言われると普通はドン引きする。すると、出そうと思っていたのに、かえって出すことを辞めたくなる。 こんなことも分からないのでしょうかね、現在の幹部達は。 | |