7/29 まいにち横山話‼︎ 第364話 【番外編:横山トリビア⑧】横山光輝と手塚治虫その4 東光堂の丸山社長は不二書房の手塚治虫先生の独占販売を阻止することに成功したが、そこで終わることはなかった…
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インタビューをしてみた限り 一番病 と言われても仕方のない性質を持ち合わせていたお方だった… その後、昭和25年以降の手塚治虫先生の書き下ろし東光堂作品は以下の通りとなる。
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◉まんが平原太平記 昭和25年1月 ◉漫画大学 昭和25年8月 ◉珍アラビアンナイト 昭和26年1月 ◉化石島 昭和26年12月pic.twitter.com/iRmrK9w6cr
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◉ピノキオ 昭和27年6月 ◉罪と罰 昭和28年11月 と、コンスタントに出していることは出しているのだが、次第に丸山社長の機嫌が悪くなっていった。 『手塚治虫先生が関東へ上京し、B6単行本よりも雑誌(連載)に力を入れ始めたからである。』pic.twitter.com/1zjlB4vX9L
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特にピノキオから罪と罰の発売までのインターバルの 1年5ヶ月 と、過去最大の執筆時間をかけられてしまい丸山社長のイライラはMAXに到達するほどだった… …… …
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ところで丸山社長と手塚治虫先生の前述の関係を全く知らない横山先生は、手塚治虫先生を捜し求めて出版社を訪ねた後、どのような道を歩んだのだろうか? 掻い摘んで話すと何事もなく日常生活に戻り、高校生に進学したが 漫画との向き合い方 が変わったのである。
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それを一言で言えば 雑誌投稿をする漫画家の卵 に成長したのである。恐らく横山先生の中に 手塚治虫先生に会う一番の早道は自分の存在を知ってもらうことや! の『承認欲求』が芽生えたのだと思う。
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そして『漫画少年』昭和26年1月号の付録 『漫画のかんづめ』の中の『畠の宝』 で、初めて手塚治虫先生と一緒に掲載されたのを皮切りに横山先生は腕試しの投稿少年になっていくのである。 nextpic.twitter.com/uTuG7ofw7C
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