徹子の部屋 渡辺美佐子&高田敏江&柳川慶子~夫を送り…80代“お一人様”の私達~原爆の悲劇を朗読劇で伝える… New!
出典:『徹子の部屋 渡辺美佐子&高田敏江&柳川慶子~夫を送り…80代“お一人様”』の番組情報(EPGから引用)
徹子の部屋 渡辺美佐子&高田敏江&柳川慶子[解][字]
~夫を送り…80代“お一人様”の私達~渡辺美佐子さん&高田敏江さん&柳川慶子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
テレビドラマの創成期から活躍。34年間にわたり、原爆の悲劇を朗読劇で伝える「夏の会」のメンバーでもある女優、渡辺美佐子さん&高田敏江さん&柳川慶子さんがゲスト。
◇番組内容
高田さんは、43年前に大学教授だった夫を51歳の若さで亡くした。その数年前まで司会をしていた番組の貴重映像をご紹介。柳川さんの亡夫は俳優の本郷淳さん。10年間にわたる闘病生活を克服し、趣味のダイビングを楽しんでいた最中に、心臓マヒで帰らぬ人に…。そんな夫に寄せる想いは?渡辺さんは大事な同級生を広島の原爆で亡くした。その事実を知った時の無念が、今も「夏の会」の活動に駆り立てると語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
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(黒柳)こちらのお三人は
テレビの創成期からご活躍の
女優さんです。
渡辺美佐子さん
高田敏江さん 柳川慶子さん
どうぞ こちら おいでください。
(拍手)
残念ながら お三人共
ご主人を ちょっと
お亡くしになったり
したんですけども
皆さん お一人様でお元気です。
どうぞ お座りください。 どうも。
どうも。
どうも しばらくでございます。
どうも どうも どうも
しばらくでございました。
もう一度 ご紹介致します。
えっと こちらから
渡辺さん… 渡辺美佐子さん。
それから 高田敏江さん。
そして 柳川慶子さんです。
本当に元気な80代。
皆さん テレビの…
テレビが始まった時から
ずっとテレビに出てらっしゃる…
ご活躍の皆様です。
もちろん 舞台にも
出てらっしゃるんですけど。
今 お写真がありますね。
これが ちょうど 皆さんね
デビューの頃のお写真です。
なんか 生意気そうですね
本当に。
今 「生意気そう」って
おっしゃったの 渡辺さんです。
ハハハハ…。
でもね 本当に こんな感じね。
柳川さんも
こんな感じでしたよね。
あの… 写真 見ると懐かしい。
(柳川)ねえ。
ドラマに 私
出てた頃だったからね よくね。
それで この皆さんは
娘役から お母さん役
もう幅広く…。
それから 今 言ったように
皆さん そうですけど
柳川さんとも…
舞台じゃなくて あれはテレビの…
連続物の時にね
共演したりとかも致しましたね。
色々 懐かしく
今日は お話ししたいと思います。
よろしくお願い致します。
まあ それにしても あれですね
3人共 偶然とは言いながら
お一人様におなりになって。
はい。
ねえ。
ご主人様 お亡くしになった
っていうので
びっくりしたんですけども…。
ちょっと
お一人様歴っていうのは…
柳川さんから。
お一人様歴 何年ぐらい?
フフフ…。
19年ですね。
19年。
高田さんは?
43年です。
ええー!
ですから これに関しては大先輩。
そんなに?
43年?
じゃあ あなた 何歳の時?
41歳。
あらー。
そう。 そうですか。
渡辺さんは?
私は新米ね。 5年です。
そうですよね。
はい。
渡辺さんは最近ね ご主人
お亡くしになったんだなと
思ったんだけど…。
皆さん 息子さん
いらっしゃるんですって?
はい 息子です。
息子さん。
息子さん いらっしゃる?
みんな 息子。
みんな 息子です。
また随分 偶然ね。 息子さん…
息子さんがいらっしゃるから
どうって事ないんですけども。
一応 息子さんがいらっしゃる。
娘さんがいらっしゃる方も
いらっしゃる?
私は…。
いないね。
ハハハハ…。
それまた 随分 不思議な事だわね。
あっ そう。 それから
『夏の会』という朗読劇で
34年間 共に
活動なさっていらした
皆さんですけど
これは また
あとで ゆっくり
伺う事に致しますけれども。
まあ 白黒のテレビから
始まって
このカラーになったりね
なんとかになったり
なんとかになったりして
随分 色んな… 技術的には
色々 あれしましたけど…。
それで ここで
ちょっと お宝映像を
ご覧頂くんですけどね
いいですか?
皆さん 50年前の
『アフタヌーンショー』の…。
ハハハハ…。
50年前…。
50年前ですよ。
50年前の… それがね
また よくあったと思うんです
テレビ朝日だからですけど。
『アフタヌーンショー』のVTRを
どうぞ ご覧ください。 どうぞ。
「こんにちは。 お元気ですか?」
「9月10日 水曜日です」
「指圧の心 母心」
(小金治)「はい」
(一同)「指圧の心 母心」
「押せば命の泉わく」
(小金治)「はい」
(一同)「押せば命の泉わく」
「はい よろしい」
「ハハハハ…。 よくできました」
「オオノ様からのお手紙で
食欲の秋ですが…」
高田さん?
高田さんよ。
ハハハハ…。
そうなのよ。
「胃下垂ね。 これ ちょっと
来週やりましょう」
(小金治)「今日は 大勢の皆さんの
ご参加を頂きまして
大変 楽しく
『アフタヌーンショー』を
過ごさせて頂きまして
ありがとうございました」
懐かしいでしょ 高田さん。
いやー。
高田さん… フフフフ。
本当 びっくりしました。
こういうのが残ってるとは…。
よくね 残ってたと思います。
生放送でしたでしょ あの頃ね。
そうです。
全部 生なんです。
そう。
ちょっと ご覧ください。
よく残ってましたね 生で。
小金治さんと あなたと
それから 左側の元気のいい ねえ。
大野しげひささん。
そう。
このぐらいだったのね。
で 浪越徳治郎さん。
これは流行ったもんね。
流行りましたね。
指圧コーナー。 押せば泉の…。
押せば命の泉わく。
「母心」っていうのだけは覚えてる。
母心。 そうなの。
あれに… 美川さんが
こんなっていうのがね。
本当。
美川憲一さんよ 右は。
左は東宝の…。
沢本… ねえ。
日活でしたっけ?
ああ 日活だったっけ?
そうそう そうそう 沢本さん。
びっくりしました。
ハハハハ…。
50年前ですからね。
50年前…。
すごいと思います。
でも あれですよね
あなた さっき ご主人亡くなって
43年っておっしゃったけど…。
だから これ 50年前だから
それからすると
割と このあと…。
もちろん 何年かしてからですけど
ご主人 亡くなったって事?
ええ。 そういう事です。
ですから…
その主人が
亡くなった時は
『アフタヌーン』は
やってなかったんですけど
でも 皆さん
慰める会を
スタッフの方が
やってくださって。
あっ そうだったの。
あっ ご主人。
早稲田大学の先生で
いらしたんですってね。
お目にかかった事
なかったわね。
で 息子さんは まだ中学の
2年生ぐらいだった…。
そうなんです。
しかも
ご主人 51歳ですって?
ええ。
松本でね
毎年 健康診断しながら
患者さんを診てたんですよ。
ええ。
で 帰って…
ちょうど学会があるんで
帰ってくる その日の早朝に
亡くなったんです
急性心不全で。
もう全く突然です。
じゃあ ご自分でも…
診てもらってらしたのに?
そうなんです。
健康には
気を付けてらしたのに。
そういう事ってあるんですね。
柳川さんのご主人は
俳優の本郷淳さん。
私と同級生。
あっ そうなのね。
ハンサムな方でしたけど。
なんか 趣味のダイビング
やってらっしゃる時…。
この写真 ちょっとね
ご主人と一緒に
出てらっしゃるんだけど…。
その前の10年間
うちは
病気になった事がない人が
がんになったんですね。
あっ そう。
それで その時に
「もう大丈夫です」
っていうふうに言われて
それで 自分が一番好きな
ダイビング始めたんだ。
そうなの。 がんを良くなって…
がんが良くなってから?
「もう大丈夫です」
って劇団の主治医の先生が
そうおっしゃった。 その時に…。
いつも あんなふうにふざけてた。
「ああー 僕は余計な事
言っちゃったな」って
先生が おっしゃって
くだすったんですけども。
でも 私は 病気で
人は亡くなるんじゃなくて
寿命で人は亡くなるんだ
っていうふうに思って。
あっ そう。
一番 彼に見せたかったのは
孫の顔を見せてあげたかったな
っていうふうに
すごく思いました。
思いますよね。
これは渡辺さんのご主人
大山勝美さんって
TBSのプロデューサーで
いらしたんですけど。
もう 5年前?
5年ですね 今年の10月で。
大山さんも お元気な方でね。
そうですね。
でも 亡くなる15年前に
がんを患って大手術をして。
それからは ずっと
病院に入ったり出たり
そういう15年でした。
あっ そうなの。 あっ そう。
でも その合間に
結構 色んな仕事してたので
皆様は…。
お一人様を お元気で
生きてらっしゃる3人なんだけど
渡辺さんは世間話が苦手なんで
単独行動を好む。 本当?
そうですね。
本当です。 もう…。
よく皆さん ご存じ…。
フフフフ…。 あっ そう。
もう 本当に余分な事は
お話しにならないし…。
仕事してる時に
一緒に みんなといるのは
すごく楽しいんですよ。
もう それが終わったら
1人になりたい。 ハハハハ…。
本当に?
もう終わった途端に
「それじゃ」って言ってサッと…。
とにかく すぐ1人に
なりたくなっちゃうの。
そうなの?
どういうわけか。
高田さんは そういうのって
どうなの?
いやー ですから
『夏の会』の中でもね
結構ね 最初は
皆さん 怖いって思って…。
あっ そうなの?
いや 今は そうじゃないわよ。
今は そうでないのが わかった…。
怖いなんて思われてるなんて
夢にも思わなかった。 ハハハハ…。
いやいや そうだったんですよ。
高田さん すごいのは…
84歳ですか? 今。
はい。
スキー 今でも
やってらっしゃるんですって?
すごいわね。
すごいわね。
これ すごい。 どこ?
これはね 息子が
大学卒業する時に
マッターホルンのある
ツェルマットなら
行ってもいいと言ったので
それで行ったんです。
この右側にいらっしゃるの
息子さん?
そうです。 もう 後にも先にも
これ以降は 一緒になんていう事は
ないですから。
あのサンタクロースは…。
あれは あちらの方が…。
ちょうどクリスマスの日に
ぶつかったので。
すごいです あの山…。
マッターホルンです。
本当に
天気 良かったもんですからね。
なんて いい写真でしょうね。
これは いい記念になりました。
本当ね。 だって
クリスマスの頃なんでしょ?
ちょうどね。
そうなんです。
なんて いいんでしょうね。
すてきね。 へえー。
ですから 今は…
今っていうか そのあとは
孫が一緒に行ってたんですけど
その孫も大学生になったので
もう そっぽ向かれて
今は友人と2人だけで行ってます。
そうですか。
柳川さんは面白いの…。
芝居は絶対1人で…
芝居とか映画は
1人で見にいらした…。
美術館も1人で… 好きなんです。
そうなんですってね。
1人に限るんですってね。
ええ。
だんだん自分が 我慢する事が
できなくなっちゃったので
芝居見てて あっ 思ってたよりも
面白くないなと思ったら
もう帰ってきちゃうんです。
途中でもね。
ええ。 だから…。
どなたかと一緒に行ったら
そういうわけに
いかないですもんね。
それで… 映画はね 見ててね
あっ あの色の洋服はいいなとか
あの音楽がいいなとか
色々 他に
見るところがあるんですね。
だから 我慢して出てきちゃう事は
ほとんどないんです。
フフフフ…。 芝居?
ええ。
芝居は…。
お芝居…。
だけど 芝居は
ああ 時間がもったいない…。
わかります。 フフフフ…。
その時に それくらいは
許してもらおうと思って。
そうね。
今日のお客様 お三人は
テレビの創成期の頃から
ずっとご活躍の皆様で
いらっしゃって
今もお仕事を
してらっしゃるんですけど。
ドラマが生放送だった頃から
ずっと出てらっしゃって。
それで ご一緒の… 朗読劇も
一緒にやってらっしゃるという。
この朗読劇が
もう すごいですよね。
もう何年になるんですって?
35回目です 今年で。
35回目? えらいわね。
35年。
35年っていう事ですよね。
えらい。 だってさ…。
これ そう。
『夏の会』っていうので
まあ 原爆の時の…
残った少年とか?
最初はね
お母さんたちの手記が
多かったんですけど
最近 やってるのは
子供たちの手記が多いですね。
でも 戦争の その頃って
皆さん 大体10歳とか
そのくらいでしょ?
でも 高田さんは なんか お家が
全焼したんですって? その時。
前橋は8月の5日だったんですよ。
それで その日 ちょうど…
偶然 父が疎開先の所に行こう
っていうんで
夕方 行きましたら
その夜から爆撃が始まって
赤城山の上から ずっと…。
まさか 我が家が燃えてるとは
思いませんけれども 見てまして。
2日ぐらい… 後に
山を下りていきましたら
もう 我が家ももちろん
もう駅までが一望に見渡せる
っていう…。
もう黒焦げの死体も見ましたし。
あっ そうなの。
ええ。
そりゃたまらない…
ショックですよね。
10歳でしたから。
そうですよね。
柳川さんは お父様が
引き揚げていらっしゃったら
髪の毛が
真っ白になってたんですって?
そうなんです。 私が別れた時は
黒い髪だったんだけど
真っ白になっちゃって。
ええー。
それで 「えっ この人が
お父さんかしら?」
と思って。
そして 「この人 違う」って
私が言っちゃったんですね。
すると 父は笑いながら
「僕だよ」って言ったんです。
そう。
でも うれしかったでしょ?
その時。
そしたらね あとで
私に そういう事
言ったんじゃなくて
家に来てた…
やっぱり 友達なんかに
「本当に
一夜にして白くなった」って。
どこにいらしたの? その時。
南方です。
南方。
ええ セレベスです。
セレベス。
あっ セレベス。
渡辺さんは あれなんですってね
友達… 仲のいい友達が広島に…。
そうですね。
その頃 東京に残ってる子供って
すごい少なかった…
みんな 疎開しちゃったりして。
で 私は
母から離れられなくて
最後まで
東京にいたんですけど。
急にいなくなっちゃった
子がいてね。
で その子の事が…
なんだか ずっと覚えてて。
皆さん 初恋だとかなんとか
って言ってくださるんですけど。
初恋とか そんな…
10歳か11歳ですから。
ただ その子の顔は
はっきり覚えてて
35年間 捜してたんですよ
その子を。
だけど 見つからなくて。
そしたら 『小川宏ショー』で
ご対面番組っていうのがあって
その時に
かすかに覚えてた名前を…
「水っていう字と
瀧っていう字だけしか
覚えてないんだけど こういう子が
いたんだけど」って言ったら
その当日 いらしたのは
年を召されたご夫婦でした。
お父様とお母様だった。
あっ そう。
だから 35年経った時に 初めて…。
龍男君は広島で
原爆の直下にいたんですね。
うわー。
建物疎開で。
で お父様もお母様も…。
遺体は もちろんないし
遺品もないし
目撃者も全部亡くなって。
だからね 息子が死んだって事
信じられないんで
まだ お墓が建てられないんです
っていう話を伺って。
だって
同じぐらいの年だとすると
まあ 10歳か
そのぐらいの子でしょう?
中学に入ったとこだから
12歳ですね。
12歳。
朗読劇の様子 VTRにあるので
ちょっと 皆様にご覧頂きます。
「できるだけ僕のそばにいて。
離れないでね」
「お母さんは
僕を立派な人にしてやろうとして
怒ってくれたんだ。
ありがたかった!」
(岩本多代)
「お母ちゃん お母ちゃん!」
(大橋芳枝)「今まで
悪かったところを
許してね 母さん。
よか場所ば 取っとくけんね」
「姉ちゃん 目が暗くなった」
(日色ともゑ)
「母さん 戦争だものね」
「泣かんでもよかとよ 母さん」
「今日は ゆっくり休まんね」
♬~
いや あの…。
これ いつか 私も本当は
入れて頂きたいと思ってたのよ。
それでね 木村光一さんに…
その前ですけどね
木村光一さんに言って
「私も入れて」ってね
言おうと思ったんですけど
私ね ちょっとね
1行 読んだだけでも
もう泣いちゃってね 涙が出てね。
これ ちょっと 続けられないし
みっともないしね
そんな… なんていうの
みんな 我慢してやってるのに
と思って
それで 結局 やめたんだけど
本当はね
入れて頂きたいと思ってたのよ。
だから とっても…。
でも これだけ 34年間
お続けになった気持ちは
どんなですか? 渡辺さん。
うーん
私はね もう なんていうか
もう戦争の事
嫌ってほど 知ってますからね。
おなかすいて おなかすいて
真夜中に起こされて…。
空襲で?
うん 空襲で起こされてって
そういう色んな事を
知ってますから…。
でも それを嫌だとか
不思議だとか思わない風が
吹いてたんですよね あの頃。
戦争の風っていうかね。
その風に みんな 吹かれてるから
もう夢中で…。
もうね アメリカ兵を刺し殺す…
こういうの
体育の時間にやってたでしょ。
それ 人を殺す事なんだけど
そんな事に
なんの疑いも持たないで
やってた自分が信じられない
っていうか。
でも 人間って
本当に いつ どういうふうに
変わっていっちゃうか
わかんないっていう…。
そういう… だから
そういうふうにだけは
もうね 戻ってもらいたくない
っていう気持ちと
やっぱり
龍男君の事がありましたね。
そうよね。
12でね
いなくなっちゃったなんて
そんな馬鹿な事ないわよ。
それで しかも 三十何年ね
あの子 どうしたかな?
と思ってた子が
実は原爆で死んでたなんて。
高田さんは どうですか?
これをおやりになって 34年。
いや 私たちね まあ
ふざけてもあったんですけれども
「杖をついても
やっていきましょうね」って
お互いに言ってたんですよ。
でも ある意味では
本心だったんです。
でも 現実は やはり 杖をついては
できないんだなという事が
今 よくわかりまして。
でも 私たちが小さな火ですけれど
やってきた事が
学校講演や何かで…。
ええ そうよね。
子供たちが
「これから 僕たちが
一生懸命 学んで
伝えていかなきゃいけないと
思いました」
っていうような感想を
言ってくださって
もう それが ものすごく…。
何よりですよね。
ええ。 何よりです。
そうですか。 柳川さん どうです?
私も 高田さんが 今
おっしゃった事なんですけども
本当に ここ 3~4年は
「僕たちが次はやりますから」
って言ってくれる事がね
やってきて
ああ 本当に やらせて頂いてて
よかったなって。 私たちは もう
本当に先が見えてるんだし
やっぱり この若い人たちに
この事は ぜひぜひ 見て頂いて
戦争の経験なんかない人でも
色んなものを…
本を読んだり
色んなニュースを見たりして…。
やっぱり 想像の世界で
勝負していかなくちゃ
ならないから。
でも そういうふうに言ってくれる
若い人たちが
どんどん増えている事が
とても うれしいです。
そうですよね。
さて 皆さんは
色んな事をお始めになって。
柳川さんは 自分が写ってる写真は
どんどん処分してる?
フフフフ…。
フフフ。
自分が写ってない写真なんて
誰が見たって面白くないし
残したら迷惑だと思って… ねっ
処分しました。
そうですか。
ええ。 だから 旅行なんか行って
1人で外国の旅行に…
ツアーに入っていってね
「一緒に写真撮りたい」
っていうふうに
おっしゃったらね
「どうぞ どうぞ」
って一緒に撮って
で 最後に「私 写真
結構ですからね」って…。
ハハハハ…。
お断りしております。
あっ そうなの。
でも そうですよね。
高田さんは どんな?
今 なんか そういうような事で
今 考えてらっしゃる事。
えっと ついこの間
全部 着物を処分しました。
えっ? それは どうしたの?
いいな。 私もやりたい。
お友達に着物を…
よく お召しになる方が
いらしたので
「いらない?」って言ったら
すごい喜んでくだすって。
それで もう全部 その方に…。
すごい。
もうタンスが
全部 空になりました。
タンスまで
本当は片付けたいんですけど
まあ これは いいかと思って。
でも あなた
もう お召しになるって事は
ないと思ったの? 着物。
もう… もう着ないだろうなと
そう思いました。
そうですか。 そういう
やっぱり 決心っていうかね
そういう 自分の心で決める事が
大切なんでしょうね きっと。
なかなか…
まだ着るだろうと思って
ずっと取っておいて…。
それから これを あの人に…
もしかしたら
あげたら喜ぶかなとか
そんな事 思ってると
物は整理できませんものね。
する時は もうね サッと…。
全部ね。
ダッと やんないと…。
私も そう思います。
渡辺さんは どうですか?
私 駄目ですね。 ハハハハ…。
これ あの人に似合うだろうな
と思ってあげたり
その段階ですね まだ。
そうですよね。
全てを こうしたいんですけど
なかなか できないです。
それから 自分 もしかしたら
これ なんかの時に
ちょっと着るかもしれないとか
思っちゃうでしょ?
で 私は割に お金のない劇団に
出る事が多いんで
そういう時に
衣装なんかないから…。
そうね。 だから 自分の衣装は
自分で着るっていうね。
ついついね 取っておいたり…。
誰かが出るのに
貸してあげるとかね
そういう…。
舞台って そうですよね。
なかなか決心がつきません。
そうなの。
どうして 私ね 洋服が
こう増えるんだろうと
思ったんですけど
やっぱり 自分だけじゃなくて
誰かに それを貸して…。
舞台に出てる人で洋服がない人に
同じような芝居の時に
貸してあげられるとかね。
そういう事のために
どんどん… 捨てられないで
増えてるんですけどね。
久しぶりで 本当に… すごい。
50年ぶり? フフフ。
どうも
本当 ありがとうございました。
ありがとうございました。
(拍手)
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