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2019-08-14

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・よく人をほめるときに、
 「あの人は、商売がへたで」という言い方がある。
 人にどう思われていたのかは知らないけれど、
 ぼく自身も商売がへただった、というか苦手だった。
 反対に、「あの人は商売がうまいから」というと、
 どこかその人は警戒すべき相手だという意味を感じる。
 ただ、たとえば岩田さんは、本を読んでもわかるとおり、
 商売をちゃんと逃げずにやっていて、成功を続けていた。
 つまり岩田さんは「商売がうまい」のであった。
 そうでなければ、責任ある立場も続けられなかった。
 「商売がへた」だということを言い訳にして、
 周囲の人たちや、関係者、お客さんに迷惑をかけたら、
 岩田さんは社長として「ハッピー」を生み出せなかった
 ということになるだろう。
 と、そんな考えを持てるようになったのは、
 ぼくもいろんなことを経験してからだと思う。

 もともと、父親が友人との酒を飲みながらの会話で、
 「糸井さんはバカ正直だ」とか「商売がへただ」と、
 お世辞のように言われて、やに下がっていたのが、
 直感的にだけれど、中学生くらいのぼくには
 どうにも腑に落ちていなかった。
 しかし、それなのに、大人になってからのじぶんも、
 どうやら商売の能力が欠けているように思えたし、
 実際には「商売がへただ」の生き方に満足していた。
 「へた」であることと、いい人であることは別なのに。

 たぶん、岩田さんは「商売がへた」だということを、
 新人だったころにも思っていなかったと思う。
 もし質問をされるようなことがあったら、
 「商売の才能があるかどうかはわからないですが、
 そういう立場になったらへたではいられないでしょうね」
 というようなことを答えたような気がする。
 もちろん、人をだまさず商売はやっていけるものだし、
 どうやってじぶんたちを養っていくかを考えることは、
 「おとうさん」のお仕事のうちだ。
 商売ということばをビジネスと言い換えてもいいが、
 「人によろこんでもらえる」ことを真剣にやっていたら、
 まるで「商売がじょうず」と同じ結果になる。
 岩田さんは、そういう「姿勢」をずっとキープしていた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
読んだ人が『岩田さん』を薦めてくれて、うれしいです。


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