悪口と批判の線引きは難しいけれど、観客も、いろんなタイプがいてもいい。もちろん人格の誹謗中傷はもってのほかだけど、それ以外での感じ方も、また自由であっていい。観客は、与えられるものの奴隷であってはならない。対価を支払うことで、緊張感をある程度あった方がいいと考える。
例え、観客の感じ方が的はずれだったとしても、その観客の感じ方を否定する事は出来ない。
○○を広めたいと思わない人はどうするべきだろう。そういう正義というか大義を持ち合わせていない人は、同調圧力をかけられたらあまり良い気はしないだろう。
○○を広めたいという大義の旗に良い点という都合のいい所しか見せないというのもね。
観てない人が、ああだこうだと言うのはまた違うけれど。少なくとも観てる人は誹謗中傷でない限りは、あれこれ言っていいと思う。例え、与える側の意図と違っていても。
ファンと信者は違うものだ。
大義と正義のためには…
与える側も受け取る側も、そうなってしまうとね。
酢豆腐の若旦那もいてもいい。排除の論理は要らない。
そういう余裕が最早無いのだろう。社会の縮図を見ているようだ。