今朝、目が覚めて
私の身体がちゃんと動くことに
心からの感謝をした。
今日もしっかり生きていられる。
呼吸も、ちゃんと出来ている。
快適な目覚めが嬉しかった。
そんな風に感じられるのが
生きる喜びなのだと改めて思った。
私は、これまで
夫のために、何を思って、
耐えてきたのだろう?
それは、本当に必要な
我慢だったのだろうか?
夫婦は
学び合いの関係だから、
すれ違いは当たり前の様に起こる。
私たち夫婦は、
肝心の会話ができない
関係だった。
越えられない壁があって
そこに触れようとすると
夫は逃げて、貝になってしまうのだ。
これまで、夫は
2回家出している。
きっかけは些細なこと。
仕事が忙しく、お互いに体調も悪くなった
余裕がない時に、起こりやすい。
夫曰く、
私に追い出されたということらしい。
私は向き合いたいと願っていたし、
匙を投げ、何かを諦めて逃げ出すのは
夫自身だと密かに思っている。
最初の家出は、1週間。
ずっと連絡がつかなかった。
義兄を通して連絡がきて、
すでに一人暮らし用の物件を見つけ、
記入された離婚届が用意されていた。
用意周到であるのを好む
いかにも夫らしいやり方だった。
なぜか私は、
夫婦の間のことは、
夫婦だけの秘密のような
変なこだわりを持っていたので
そのことを誰にも相談できなかった。
騒動にしたくなかったのだと思う。
夫は、家出をした償いだったのか、
自由に使って良いお金を渡してくれ、
瞑想がしたい思いで、協会に通うことに
なったのは、今から3年前のこと。
2回目の家出は、
去年のクリスマスイヴから、
10日間音信不通になった。
義父は捜索願いを出すことを考えていた。
この頃の私は、
スピリチュアリズムを学んでいたから
あまり悲観せずに、娘と待っていられた。
ただ、覚悟もしていた。
ブログを続けることで培った
自分の気持ちを表現する姿勢のおかげで、
義両親や義兄、両親や実姉に、
そして、知り合いだった片割れさんにも
正直に相談することができた。
長い間の、自分を蔑ろにする我慢は
果たして本当に必要だったのだろうか?
私の娘が、そんな状況になっていたら
私は、我慢する必要はないんだよって、
間違いなく伝えると思う。
遠慮せずに、
自分の気持ちを伝えることが
大切なんだよって。
自分を、相手を、愛するために
伝える必要があるのだ。
私は、私の身体を使って、
他人を助けようなんて
しなくていい。
他の関わり方だって
できたはずなのだ。
となりに寄り添うだけで
十分だったのだと今なら思う。
片割れさんとの向き合いが
私達夫婦の向き合いをも
助長しているように思う。
私は、魂の癖、囚われからの
解放を意識し始めた。
私の気持ちを
見失いたくないし、
生きる喜びを
もっともっと、感じたい。
どんな結果を引き寄せるかは
私の意識次第なのだと
思い直して、いる。