ずっと悩んできた
頭痛とめまいの原因を
お肉を摂取することかと
疑ってきたけど
もしかして
そこじゃなかったの?と思い
最近は、気にせず
少しだけ食べるようになりました。
(消化は大変なのは変わりなし)
娘が夏休みに入り
日々のお弁当づくりから
解放されたのも束の間
長く続いた梅雨で
体調を崩したのか
雨の隙間の夏祭りのあとに
娘が風邪をひきました。
そして、それを
当たり前のごとく
私が貰いました。
咳が酷くて
声が出しにくい日々が
続いています。
片割れさんに、
そんな話をしていたら、
つい深い内容になってしまう。
(最近の娘は、オーブン以外は自分でできるようになってきました。)
「家族愛を、勘違いしている人多いよね。」
「子どものためなら、自分を犠牲にしても
いいっていう考え方は、違う。」
「家族のネガティブなエネルギーを
ただ引き受けるのは、愛とは言わないね。」
「それに、心配しすぎるのも良くないよね。」
「それでは共依存の関係になってしまう。」
ああ、なんて耳が痛いお話。。!!
反論の余地なし。
結婚して
出産して
子育てして
愛すること、と
愛されること、を
経験してきたつもりでいましたが
でも、
私のやってきたことを
簡単に言い表すならば、
エネルギー的な部分で
〝過剰に〟引き受ける、身代わりになる、
ってことだったのかも知れない。
無事に生まれてきてくれた娘を
本気で、天の使いだと
疑って止まなかったし
大切に、見守っていこうと。。
願っていましたが、
つい、
自分の気持ちを置いてきぼりにして
子どもを優先してしまうのが当たり前。
自分らしさを見失う思考が
癖になっていました。
(母業の落とし穴)
自分自身に軸を置いて
バランスをとろうと
常に意識していく必要がある!
のです。
甘やかすのが愛ではないし、
放置するのも愛ではない。
相手にとって
意味のある学びを
私自身のエゴで奪うことはしない
ってところがポイント。
コントロールしよう
なんて、しないこと。
なるように、なるってこと!w
(みんなに指導霊はついているのだから)
(カボチャプリンに、紫陽花クリーム。by娘)
一年前くらいに
愛について
スピリットに教わったことを
記録していて、
当時は
自立すること?に
心細さを感じて
いたのですが、
今振り返ってみると
その心細さの正体は、
「共依存」
だったのかなと。
依存の対義語は、
自立ですね。
自立・・・
他への従属から離れて独り立ちすること。
他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
「精神的に自立する」
自律・・・
他からの支配・制約などを受けずに、
自分自身で立てた規範に従って行動すること。
「自律の精神を養う」
地に足のついた
自律を目指し、
周りの思いに
振り回されることなく、
私のための
今を、生きる!
私の感じる心を
大切にする!
私は、私を愛する
境界線の薄い状態では
ワンネスにはほど遠かった
という事実に、ガチョーン!!
※ガチョーンの極意は
『万物の生きとし生けるものすべてを引きずり込み、
一瞬、真空状態にしてガチョーンと引き抜くと
バランスが崩れて周りの人たちがなだれ落ちる』
--という谷啓さんの深いギャグらしいです。
公園で、
お父さんと遊びにきた
男の子が
自転車で転倒して
何度も泣いていても
気にしない。
感じること
表現することは、
生きる喜びでしょう?
「この世は
○ィズニーランドのようなところなんだよ。
その経験は、その人にとっての
エンターテイメントでしかないんだ。」