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(22日、高校野球千葉大会 八千代松陰4―0千葉明徳)

 「こっちに来い。絶対に止めてやる」

 3点リードされた八回表1死。千葉明徳の平川瑛斗(えいと)君(3年)はそう自分に言い聞かせながら二塁の守備についていた。

 一、二塁間に鋭い打球が飛ぶと、ひざから滑り込んで好捕。崩れた体勢のまま一塁に送球し、2死。続く打者が三振すると、笑顔でベンチに戻った。

 全力で楽しんでこい――。兄に前夜にかけられた言葉を思い出しながら。

 2歳年上の兄の背中を追い、小1からソフトボールを始めた。毎朝、家の近くの空き地で父と兄と「朝練」をした。キャッチボールやノック、打撃練習……。軟式野球をしていた中学でも続けた。

 しかし、中2の夏。千葉明徳野球部の1年だった兄が、片目に送球があたって失明した。距離感がつかめなくなり、選手として致命的なけがだった。

 「お前は野球を楽しんでくれ」。病室では明るく言われたが、毎晩のように「なんでおれなんだ」と泣いていると知っていた。

 「同じユニホームを着て、甲子園に行く」。そう心に決め、兄と同じ千葉明徳の野球部に入部。練習用のバットをもらい、打撃が不調の時は家でフォームを見てもらった。

 「打球が来ないでほしい」と弱気だった守備。ミスをすると兄に相談した。自信をつけようと3年の時には毎朝5時に起きて捕球を練習した。「派手ではないが、チームに欠かせない守備の中心選手」(岡野賢太郎監督)に成長した。

 迎えた今大会。失策は一度もなかった。この試合も安打性の当たりを止めた。しかし、チームは相手の好投に抑えられ、敗れた。甲子園で戦う姿は見せられなかったが、悔いはない。「ここまで努力を続けてこられたのは、兄のおかげ」。家に帰ったら、スタンドで見守ってくれた兄に伝えるつもりだ。「応援ありがとう」と。(小木雄太)