念願の鹿野酒蔵(石川県)で農口杜氏に師事、蔵人として働きだした。藤田さんは紅一点だったが、蔵人たちは、親方からひとつでも多くを学ぼうと集まっている情熱のある人ばかり。力仕事も女性だからという言い訳は通用しない。作業も学ぶことも山ほどあり、休む暇のない生活でも、好きな道なのでまったく苦にならなかった。
「ただ、人間関係では苦労しました。生意気だったので、先輩とぶつかることもありました。そうすると何も教えてもらえなくなります。こちらが折れるしかない。それも修業のうちでしたね。半年、24時間みっちりの共同生活ですから、仲間に受け入れられないと、仕事になりません」
■10年を経て杜氏として独立。老舗の蔵の大改革に着手
10年の修業を終え、親方の推薦で杜氏として招かれたのは和歌山の紀伊にある老舗酒造「吉村秀雄商店」だった。前任者が高齢で引退するにあたり、新しい杜氏を探していたのだ。その蔵では低コストのお酒を大量生産する設備で酒造りをしていた。
しかし、蔵元は、世代交代を機にこれまでとは違う、時流に合ったキレがあり米のうまみがよくわかる食事に合う酒に一新したいと考えていた。藤田さんは期待に応えるべく、就任早々、改革に乗り出す。今の日本酒の潮流はテロワールといわれる産地の土地柄や、つくり手の顔が見えるものが評価される。そこで地元の紀の川の伏流水や、土地の米の味を生かした、紀伊らしい酒を造るため、温度管理や醸造のための設備を3年がかりで整備した。