【絵と図 デザイン吉田】3500円のスカートすら買えない「働かない夫」への妻のブチギレ あぁ猛省…僕はまるで「ヒモ」だった
山小屋で出会った女性と結婚後、夫婦で山小屋の運営をしていたデザイン吉田さんは、妻の「ライターになりたい」という決意に動かされ自分はイラストレーターとして働く意思を固め、山小屋を閉めて東京で暮らすことを決意しました。…が、そう甘くはない現実、仕事もなく漫然と暮らす毎日を過ごします。
一方、妻はメキメキと力を付けて今では書籍を出版するほどに成長。そんな生活を約一年半続けていたとある日、「あること」をきっかけに働かない夫に対する妻の怒りが爆発しました。
下界でイラストレーターになる
山小屋で働いていた2000年代当時、僕は同じ職場で現在の妻と出会いました。
その時、僕は38歳、彼女は23歳。年の差はありましたが、ふたりとも文学や美術といった創作的な嗜好を持っていたためか気が合いました。遠距離恋愛も含めて付き合うこと6年目で結婚。結婚後もふたり一緒に山小屋で働きました。
何年かが経ち、僕たち夫婦は小さな山小屋の運営を任され、ふたりだけでの切り盛りがはじまりました。一年目、二年目、しかし三年目を迎えたある日、妻が「山を下りて、ライターになりたい」と、僕に打ち明けてきたのです。
もともと妻は小説家を目指していました。文芸を学べる専門学校を出て、出版社やメディアの賞に何度も応募していました。しかしその道は厳しく、途中で挫折してしまったことを僕は知っていました。
小説家になることは諦めた。けど、文章を書く仕事は諦めきれない。
「ライターになりたい」
その意志に迷いはありませんでした。
「あなたは、どうする?」
妻にこう聞かれ、僕は複数の選択肢を考えました。しかし、最終的には山小屋の仕事をキッパリ辞めて、イラストレーターになる道を選びました。
美大で絵とデザインを学んだ僕は、冬のシーズンオフの間はフリーランスのデザイナーをしており、その仕事で描いた僕のイラストを見た妻に「イラストレーターの方が向いている」と言われ、まんざらでもないと思っていたからです。
「イラストレーターになります」
こうして僕たちは、妻はライターに、僕はイラストレーターになる、という互いの新たな目標に向けて、山の仕事を辞めたのです。
妻の怒り
「ライターになりたい」と話していた妻は、最初のころは思い描くような仕事ができず、安い賃金の仕事をこなす日々が続いていました。ですがある時、このままでは理想にはほど遠いと気づき、それこそ血のにじむような努力の末に、ようやく自分が願うような仕事ができるようになりつつありました。
一方、僕はというと、そんな妻がコツコツ積み上げてきたツテを頼りにいただいたイラストの仕事しかせず、何をすればイラストの仕事の依頼がもっと来るのかさえも考えに至りませんでした。今のイラストの仕事をしているだけで満足だったのです。もちろん収入もほとんどありません。
ライターとしてメキメキと力を付けつつある妻と、傍から見ればイラストレーターとしてはくすぶっている僕。これまでの山の生活ではまるでなかった隔たりが、僕たちふたりに訪れていたのです。それでも僕も妻もその核心に触れることなく、日々が過ぎていきました。
しかし、今年の5月にそれを一変させる出来事が起こりました。発端は妻が買ったばかりのお気に入りのスカートを、僕が漂白剤が付着したカーテンと一緒に洗濯して色落ちさせてしまい、取り返しのつかないメチャクチャな状態にしまったことでした。
そのスカートは妻が必死で書き続けてやっと買ったスカートでした。我が家にはお金がないからと切り詰め、やっと買った妻のお気に入りのスカート。
プチン…。
「ちょっとお話があります」。キレた妻が僕にこう切り出しました。
「は、はい…」
「このスカートはもともと5000円ものが3500円に値下がりしてようやく買えた、ちゃんとした場所に出かける時に履ける私のただ一着のスカートです。
うちにはお金がないから、3500円のスカートすら買えなくて悲しいです。山を下りて一年半、あなたはなにをやってきたの? 今すぐ、3500円稼いでスカートを買ってきてください。」
こう言われた瞬間に「カチン」ときた僕の心の声が即座に抗議しはじめました。
<何もやってこなかったって言うけれど、そんなことはない。お金はもらっていないけど、週イチで挿絵を描いているし、その他のイラストの仕事も少しだけれどやっている>
こみ上げてくる怒り。普段は声を荒げることのない温厚な妻が、はじめて僕に対して怒りを突きつけてきた瞬間でもありました。顔が熱くなるのがわかります。
<確かにあなたのお気に入りの、買ったばかりのスカートを色落ちさせてしまったのは悪い。謝る。でも、カーテンの黴がひどくなっていたのでハイターし洗ったのは僕の勝手ですか? 結構時間かかる仕事ですよ。その上、買い物、食事づくり、食器洗い、お風呂掃除、トイレ掃除、部屋掃除、ゴミ出し…下山してから、これらはほぼ全て僕がやっているんですよ!>
キツイ言葉を投げつけられて、その言葉が心に刺さってしまわないように必死で自己弁護を図ります。
しかしその声は、どこか弱々しく独善的で自信がなさげです。ふと僕の主張は、妻の怒りに対して応えるものではなく、今の自分自身を正当化するものだと気がつきました。「妻への罪悪感から身を守るための言い訳にすぎない」と僕のなかで新たな心の声が聞こえてきます。
「あなた、いままで何をやっていたの? イラストの仕事も営業もほとんどしていないじゃないの。うちの貯金は半年前にもう尽きているんですよ。つまり今は私があなたを養っている状態なんですよ」
<ふたりで出し合った貯金がすでにない…今の生活費はほとんど妻が出していた…まるでヒモがじゃないか……。振り返ればいくらだってその状況に気が付けたのに、それを意識しないで見て見ぬふりをして…しかもそんな妻に対して「ありがとう」と一言も言わなかった…>
妻は、「怒りをぶつけると離婚を言い出されるんじゃないかと思って、いままで怖くて言えなかった。それに養ってあげてるだなんて、偉そうに思う自分もイヤだった」と僕に打ち明けます。
<妻がなにか言おうとするといつも僕は「君が言う事ことはいちいち重い」とか「自分はお金を稼がなかったが、何もやっていなかったわけじゃない」とか、言い訳や傷つくようなことばかり言っていたから…。>
僕がいままでほおっておいた分、妻の気持ちを察していなかった分、そして、「イラストレーターになる」と決めて、妻と一緒に山を下りてきたのに、その決意がまったく足りていなかった事実を一番信頼する妻につきつけられ、それに気が付かないふりをして生活してきた分だけ、妻の鋭い言葉が僕の胸に突き刺さり、見えない血が流れ出します。
いまの僕の姿は…
「これがあなたのいつもの姿。でも、あなたは鏡を見ないから」。
いつか妻が言った言葉が蘇ってきます。
僕は10年に渡って山小屋で働く中で、冷静に物事を見て判断する能力や行動力を身に付けたと思っていました。なぜならば山での軽率な行動は怪我や、最悪な場合には死につながるからです。
しかし山を下りて決意も新たに始めた僕たちの街の暮らしに必要なことを、僕自身がまったく意識して生活してこなかったことにひどく落ち込みました。妻の経済面での不安も、僕自身がやりたいと決めて始めたイラストレーターの仕事も、未熟なまま中途半端でほったらかして、その負担をすべて妻になすりつけていた自分に罪悪感を感じていたのです。
妻は何を言いたかったのか…。その言葉をヒントに、求められていることをたぐりよせます。
「ご飯は食べたい時に自分でつくります。だから、あなたは無理に家事をやらなくていい。イラストレーターになりたくなければ、ならなくてもいい。自分がやりたいことをやってください。わたしもそうします。でも、せめて仕事をしてください。お願いします。」
「イラストレーターになる、それで食べていく」と決めたのにもかかわらず、駆け出しのライターである妻のツテだけを頼り仕事をしていた自分。
当然仕事は途絶えがちで、暇なのをいいことに「身体がなまる」と言って週に一度は山へ行き、減っていく貯金通帳には目もくれず、ほかに仕事を探すこともせずに、インターネットで趣味の情報あさりをしていた自分。
これがいまの僕の姿なのです。
「せめて月に必要な分の半額を出してください。お願いします」
来る日も来る日も朝から晩までノートパソコンンの画面に向かって、一生懸命に文章を綴り続けてきた妻にしたら、視界の隅っこに時折入って来る働かない無精髭の夫に対して、怒りを向けるのも当然です。
イラストレーターとして働いて食べていくと決めたにもかかわらず、何もしていないなさけない自分に「やりたいことをすればいい」と妻は言ってくれました。
「あなたは、やるべきことをやってこなかった」
だから、うだうだ考える前にやれよ、自分。
これからの僕ら
この経緯を僕はnoteに書きました。
その時僕は、一ヵ月後に10万円を稼ぐと宣言しました。それは妻との約束でした。そして今――。
お陰さまで、まだ東京の自宅に居ます。合計10万円の仕事を頂いたかどうかを厳密に計算する前に、頂いたお仕事を納期までに仕上げることに奔走する日々が続いております。だから、出稼ぎには行きませんでした。
noteの投稿をきっかけに、SNSやメールにて沢山の温かいお言葉やお心使い、お仕事のご依頼を頂きました。Webメディアでイラストの連載のご縁も頂きました。
本当に感謝の念に耐えません。自分にとって真に人の心の温かさを知る機会もありました。そして、ありがたい事に厳しいご批判も頂きました。ほぼ禁じ手と言ってもよい様な事をしたのだとのご指摘も頂戴いたしました。
このまま順調に行くほど甘い業界ではないことはみなさんのおっしゃる通りです。でも今は、走れるところまで走り続けてみようと思っています。
今回のことは、自分を走らせるエンジンのスターター、発火点だったのだと思っています。
「もっと、人がどう思うか考えて」
妻が僕によくこう語ります。
「あなたはフリーランスにもイラストレーターにもデザイナーにも向いていない。お客様のことをちゃんと考えたら分かりやすくするはず。だとしたら、『絵と図 デザイン吉田』なんて分かりづらい名前、名乗らない」
あ痛たたた…。
「あなたは自分のことしか見ていない。もっと、わたしを見てください」
下山して一年半、僕は自分のことばかりで妻のことを見ていなかったなと。そして、これから自分が思いを致すべきはこれに違いありません。
(イラスト/絵と図 デザイン吉田)
絵と図デザイン吉田さんのイラストは https://www.instagram.com/etozudeyoshida/ でご覧いただけます。現在「minneとものづくりと」や、Tシャツなどグッズのイラストを担当。お仕事を依頼されたい方は、https://note.mu/etozu_de_yoshida/n/ncea56d282457 をご覧ください。