リュラリュースは新たな配下として正式にアインズに挨拶するため、初めてナザリック地下大墳墓を訪れた。出迎えのハムスケの後に従い、とりとめのない話をしつつ第一階層を行くリュラリュースは、ひどく緊張していた。その上半身には、普段は使わない秘蔵の鎧をまとっていた。
「心配は無用でござる。ここはもうそれがしの庭も同然。大船に乗った気持ちでついてくればいいでござるよ」
多数のモンスターとすれちがいながら、リュラリュースは無意識に鎧を手でなでた。
「さて、ここまでくれば一安心でござる。今までのところにはあちこちに転移の罠があって、慣れないうちはうっかり引っかかって苦労したものでござるよ。ここからしばらくは、罠はないのでのんびり行けるでござる」
「本当に罠はないのじゃな?」
「数えきれないほど歩いたのに、一度も引っかかったことがないから確実でござる」
「ふむ。それはありがたい」
ハムスケは若干調子に乗っていた。今までは気分的にナザリックの新入りだったが、リュラリュースの加入によって先輩の地位を手に入れたからである。要するに、ちょっと先輩風を吹かせてみたくなったわけである。
「分からないことがあったら、何でもそれがしに聞けばよいでござる」
そういうとハムスケは、後足で立ち上がって前足を胸で組みふんぞり返った。この場所でそんな姿勢をとったのは、当たり前だが初めてだった。するとハムスケの頭が何かの結界をかすめた。とたんにハムスケの足元に魔方陣が展開され、まるで沈没するタイタニック号のようにハムスケは床に沈んでいった。
「しまったでござるーっ!」
ハムスケは床に飲み込まれて、消えた。リュラリュースは取り残されて呆然とするほかなかった。ナザリック地下大墳墓のトラップは空中にもぬかりなく存在するのだ。
迷子が守るべき鉄則は、その場を動かないことである。
リュラリュースはその場で待ち続けた。ときどきモンスターが通り過ぎるが、そもそも話が通じるのかも分からない。最悪、話しかけたら機嫌を損ねていきなり攻撃してくるかもしれない。しかしあまり長い間、偉大なる御方をお待たせしてもよくない。やはり危険を承知で話しかけてみるべきか、と悩んでいたところ、メイドが歩いてきた。
やれやれ助かった、とリュラリュースは安堵した。来客の応対はメイドの仕事である。話しかけられていきなり攻撃してくるメイドなどいるはずがない。そもそもメイドに攻撃能力などない。
「あー、そこのメイドよ。ちと物を尋ねたいのじゃが。わしはリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと申す」
ナーベラルはいらいらしていた。約束の時間になってもハムスケが来ないのである。今日の仕事は、なんとかというウジムシとハムスケをアインズ様のところまで送り届けることである。そしてアインズ様はきっと「ご苦労」とおっしゃってくださる。運が良ければ名前を呼んでくださる可能性もある。なんと素晴らしい。
それなのにハムスケが来ないのである。だいたいあのハムスケ、忠誠心はそこそこのものなので大目に見てはいるが、やや無能ではないかとナーベラルは疑っている。アインズ様の方針によって、この栄光あるナザリック地下大墳墓に、最近は外部の虫けらが出入りし始めている。偉大なる御方のお決めになったことゆえ異論はないが、不満に思ってしまうのは不敬であろうか。せめて優れた能力の持ち主のみを迎え入れたいものだが。
さて、とうとう第一階層まで来てしまったが、まだハムスケが見つからない。いらだつナーベラルに、間の抜けたゴミムシが話しかけてきた。
「あー、そこのメイドよ。ちと物を尋ねたいのじゃが。わしはリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと申す」
ガガンボごときが対等な態度で名前など名乗っているが、なんたる傲慢であることか。日頃は美姫ナーベとしてゲジゲジどもにも友好的に振る舞うストレスに耐えているが、幸いここはナザリック地下大墳墓。身の程を知らぬダニには教育を施さねばなるまい。
「黙りなさい。ベニコメツキの分際で」
第3位階魔法、
リュラリュースは笑った。ただし嘲笑でもなければ、余裕の笑みでもない。あえて言うなら媚びに近い。――が、もちろんそんな機微を解するナーベラルではない。激怒のままに放った第7位階魔法、
ナーベラルはとどめを刺さずに立ち去った。アインズ様が許可してナザリックに入れたのだろうから、何かしらの利用価値があるに違いないので、殺すべきではないと考えたのである。ナーベラルは、我ながら冷静な判断を下したものだと、内心得意であった。
たまたま通りがかったセバスが倒れているリュラリュースを見つけた。
治療して、紳士的に事情を尋ねるセバス。やっと話が通じる者に出会えたと、思わず神に感謝しようとしたリュラリュースだったが、よく考えたらこんな悪魔の城がある時点で神などいないに決まっているのでやめておいた。
セバスの案内でアインズのもとへ向かう道中、リュラリュースは慎重に、怒らせないように気をつけながらセバスからできるかぎりの情報を引き出そうと会話を試みた。圧倒的強者でありながら温厚なセバスとのやりとりはスムーズに進み、様々な役立つ知識が得られた。そして分かっていたことではあるが、アインズ・ウール・ゴウンが絶対的な支配者であり、その意志に逆らうことはあってはならないのだと再確認できた。
そのまま第九階層まで連れてこられたリュラリュース。そこでは人間の幼児ほどの背のエクレアと名乗るバードマンが、多数の使用人たちをしきって掃除をさせていた。エクレアも使用人たちも決して強そうには見えないが、リュラリュースはもう自分の目が全く信用できなくなっていたので、相手が強大な力の持ち主だと仮定してとにかく礼儀正しく接することを心掛けた。
セバスは使用人の中にいたツアレという名のメイドに何やら話しかけている。リュラリュースは、二人が恋仲、それもかなり初々しい関係だと察した。ふと辺りを見渡せば、荘厳にして華麗な内装、まじめに掃除する使用人たち、そして初々しい恋人。リュラリュースはこの地を訪れて初めて、わずかに心が安らぐのを感じた。
「しかし、見事に掃除が行き届いていますな。エクレア様の指示の素晴らしさ、感服いたしますぞ」
とりあえずお世辞を言っておくリュラリュース。それにエクレアは胸を張って答える。
「当然です。このナザリック地下大墳墓は、いずれ私が支配するのですから」
――今、このバードマンは何と言った?
リュラリュースは耳を疑った。先ほどのセバスとの会話で確信したが、このナザリックでアインズに反旗をひるがえすことなどありえないはずだ。
「エクレア様は、アインズ・ウール・ゴウン様のお血筋の方でいらっしゃるのですか」
「? いいえ。……ああ、そういうことですか。あなたは誤解なさっている。私はいずれ支配者の地位を簒奪するのですよ」
リュラリュースは混乱した。そして周囲の異常な状況にも気がついた。当然この会話が聞こえているはずの皆が、セバスも含めてノーリアクションなのである。これはいったいどういうことか。
――精神操作系の魔法。我々の会話が知覚できていないか、とるに足らない内容のものだと思い込まされているのかのどちらかじゃろうな。
リュラリュースは目の前のバードマンが超越的な魔法の使い手であると認識を改めた。使用人たちはともかく、セバスは間違いなく圧倒的強者である。そのセバスにいとも簡単に魔法をかけるとは、なるほどナザリックの支配を狙うだけの実力があるのだろう。
しかしそんな超越者が、なぜ自分ごときに秘密を明かすのか。
「どうです、今のうちに私の部下になって、ともに『掃除』に取り組みませんか。私がこのナザリック地下大墳墓を掌握した暁には、もちろん相応の見返りを用意しましょう」
リュラリュースは目まいがして、思わず片手を床に突いた。とんでもないことに巻き込まれてしまった。ここで道を誤れば命が危うい。
リュラリュースは必死に考えた。エクレアの魔法の力がどれほどなのかは知らないが、おそらく単身でクーデターを成功させられるほどではない。ゆえに部下を必要としている。自分はアインズの力に屈服して臣従したばかりだから、客観的に見て裏切る可能性が高いのも事実である。自分ごときの力でも、使いっ走りぐらいには役立ちそうだと思ったのだろう。いざとなったら抹殺しても後腐れがなさそうな現地人だというのもあるかもしれない。
断ったらどうなるのだろうか。最も楽観的に予測すれば、この交渉の記憶を消されて解放されるのだろう。しかしそう都合よくはいくはずがない。事故や病気に見せかけて抹殺されるのだろうか。それとて即死で済めば運がいいのかもしれない。あるいはこうしている間にも、知らず知らず魔法をかけられて利用されてしまうのかもしれない。
頭が真っ白になったリュラリュースは、エクレアにろくに返事もできなかった。エクレアはさして気に留める風でもなく、
「では、ゆっくり考えておいてください」
と、さわやかに言い放ち掃除へと戻っていった。
リュラリュースは玉座の間でアインズに謁見していた。型通りの挨拶をしながらも、リュラリュースは迷いに迷っていた。今ここでエクレアの計画を暴露したらどうなるのか。当然エクレアもその可能性を考慮していたはずである。暴露しようとすると魔法が発動するのだろうか。口がきけなくなったり、即死したりするのだろうか。
だからといって、エクレアの計画を秘匿するのも恐ろしい。それは自分がエクレア派についたことを意味してしまう。つまりはあのアインズ・ウール・ゴウンと敵対することになる。
リュラリュースは覚悟を決めた。かすれた声で絶叫した。
「アインズ・ウール・ゴウン様! わしは、私は、アインズ様に対する反乱の計画をしているものを知っております!」
「なに?」
「執事助手のエクレア・エクレール・エイクレアーなるものが、反乱を企てておりますう!」
リュラリュースは釈然としない思いで第一階層を歩いていた。横には見送り役のまともな一般メイドがいる。謁見がなぜか無事に終わっての帰り道である。
エクレアの名を告げたとき、あの絶対的支配者から、らしくない雰囲気が漂った。それは困惑、迷い、羞恥といった感情がこもっているようだった。
「ああ……その、なんだ……きちんと報告してくれたことには感謝しよう。だが、なにも心配はいらないのだ。皆このことは知っているのだ。だから忘れてくれると助かる。私の身にもお前の身にも、この件に関して危険が及ぶようなことは一切ないから、安心して欲しい」
その後、妙に愛想がよくなったアインズから、ナーベラルの蛮行について謝罪までされた上に、いずれはそれなりの役職につけることまで確約されたのだった。
「メイド殿、よろしければわしの質問に答えてはいただけまいか。なにゆえにアインズ様も他の皆さまも、あの反乱計画を野放しにしておいでなのか」
「私は、創造主たる餡ころもっちもち様が、エクレア様を生み出す現場に立ち会っておりました。そして他の至高の方々が、なぜ反乱など企てさせたのかとお尋ねになりました。すると餡ころもっちもち様はこうおっしゃいました。『その方が面白くない?』と。するとアインズ様が答えておっしゃいました。『確かに面白いですね』と」
リュラリュースは絶句した。遊びなのだ。ただの遊びで、反乱者を泳がせているのだ。絶対的な自信に満ち溢れた支配者にしか許されない、至高の遊戯なのだ。リュラリュースはそのスケールの大きさに、ただただ恐れ入るしかなかった。
入り口付近でハムスケとナーベラルが待っていた。
ハムスケはごく軽い調子で謝罪した。それを聞いたナーベラルが
「もとはと言えば……」
と殺気を放ち、ハムスケは震えあがって腹を見せた。するとそこでアインズからのお叱りの
ナーベラルはこの世の終わりのような顔でリュラリュースに謝罪すると、第7位階魔法まで防げるという鎧を差し出した。その謝罪にはリュラリュースへの誠意は全くこもっておらず、アインズに対する申し訳なさだけで構成されていたが、色々考えるのに疲れたリュラリュースは素直に鎧を受け取ってナザリックを後にしたのだった。