映画「転校生 さよなら あなた」

2007年05月28日

善光寺境内で映画試写会「転校生 さよなら あなた」

今日の長野は、高原のようなさわやかさ。
朝の気温はちょっと冷え込み、日中もあまり気温が上がらないせいでしょうか。
空の青さもひときわでした。

今朝の「信濃毎日新聞」朝刊には、善光寺さんの一面広告が掲載されました。今年は「慶祝 国宝善光寺本堂再建三百年」。

今回は「大林宣彦監督」の写真とコメントが紹介されています。
6月23日から全国ロードショーの「転校生 さよなら あなた」。

この映画を撮ることになった経緯が書かれていました。
その中で監督は善光寺さんのことを「ふるさとの象徴」と表現。
「観光地でもない。文化財としての建物でもない。人が集い、
自然に手を合わせる存在」ともおっしゃっています。

その善光寺さんで開催される、映画の「完成感謝 鑑賞会」。
6月8日午後7時~
詳細はこちら。

今回、私がその広告面に書いたコラムは「江戸時代から続く善光寺界わいの町名」。
善光寺門前の「大門町」、それに並行した「東町」と「西町」。
大門町と東西に交差する「横町」。
仲見世の東西の「東之門町」「上西之門町」「西之門町」。
そして現在地への本堂移転に伴って東之門町の東に移った「新町」。
いずれも江戸時代から続く、善光寺と共に発展してきた大切な町名です。

午前中、出掛けた権堂界わい。
歴史ある権堂の映画館「松竹相生座・長野ロキシー」。
映画館の上空は真っ青に澄み渡っていました。
相生座







入り口には予告のポスター。
ポスター








映画にも登場する「権堂アーケード通り」。
アーケード







アーケード通り沿いの映画館「松竹相生座」の前を反対側に入る小路。
アーケードと慶樹小路







小路を入ると、現在テナント募集中の店。この空き店舗は、映画の中では「尾道から長野に引っ越してきた一夫が母親と住む家」として使われました。
店

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2007年05月26日

50年後に向けての映画「転校生 さよなら あなた」

昨日一日中降り続いた雨はやんで、お日様が顔をのぞかせた朝。
さわやかな五月晴れを通り越して、今日は暑い日になりそうな気配です。

今日の話題は、来月6月23日からロードショーの大林宣彦監督の映画「転校生 さよなら あなた」。

先日行われた試写会。その感動は、何度も胸に迫ってきて、早くもう一度観たいという衝動にかられています。
試写会のブログはこちら。

50年後の長野の子どもたちに見せたい、伝えたい映画を、という長野の人たちからの要望に応えて、大林監督が長野を舞台にして撮った作品。
25年前に監督のふるさと、尾道を舞台にした「転校生」のリメイク、
と言われていますが、監督はご自身のブログ「雨撮晴記」の中で、「リメイクでもノスタルジィでもない。2007年の《転校生》、五十年後へ向けての、今の《転校生》である」と記されています。

大林監督はこの映画を通して私たちに、地元の私たちが忘れていた、
また気がつかなかった長野の良さを、教えてくださっています。

昨年の「NAGANO映画祭」最終日に、「長野ロキシー」で挨拶された大林監督。
映画「転校生」にかける思いを熱く語ってくださいました。
その時のお言葉が、映画が完成した今、よみがえります。
「古き良き町の資源は、お金や物では買えない知恵や誇り」
「文化は、元々あるものを尊ぶことで、ふるさと自慢」
その時のブログはこちら。10月13日第3回NAGANO映画祭閉幕

大林監督から長野市民へのプレゼントとも言えるような映画「転校生 さよなら あなた」。監督の思いに応えるには、まず地元の私たちが映画を観て、全国に向けて「転校生」フィーバーを起こすこと。そして長野市民が長野の町を改めて見つめ直し、その文化を尊び、誇りに思い、それを50年後に伝えていこうと努力することではないでしょうか。


私がこれまで書いた「転校生」関連はこちらをどうぞ。
12月15日ブログ映画転校生 撮影現場の歴史

映画に登場する風景。
虎石庵小路東西






この場所の歴史のお話は、また後日お伝えします。
虎石庵


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2007年05月21日

長野が舞台の映画「転校生」試写会

5,5度まで下がった今朝の最低気温。
でも日中は晴れて25度まで上がりました。

夕方5時45分から「松竹相生座」(権堂)へ。
関係者やマスコミに向けて開催された「転校生 さよならあなた」試写会。

私がこれまで書いた「転校生」関連のブログはこちら。
12月15日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史

映画を鑑賞しての感想は、
まず長野市内の風景が随所に登場していて感激。
前半はコミカルな内容で、会場のあちこちから上がる笑い声。
でも後半になると、しっとりと切なく、涙を誘う展開。
そしてラストは人の生死や未来を深く問いかける感動の結末でした。

門前町長野を舞台にした、初めての本格的な映画。
大林宣彦監督の愛情あふれる演出で、心温まる感動作品に仕上がっていました。

主人公の中学生の通学路となった急な坂の「田島新道」。
田島新道







やはり通学路の「伊勢社の参道」。ここも石段を降ります。
伊勢社










カーブした坂道の「湯福川沿い」。
湯福川










何度も登場した善光寺境内の「法然小路」もやはり坂道。
長野は坂が多いことを、改めて知りました。
法然小路










今日、試写会が行われた「松竹相生座」は、裏側の風景が登場。
相生座裏










なお国宝善光寺本堂再建三百年記念協賛事業として
「転校生 さよなら あなた」完成感謝鑑賞会が開催されます。

とき:6月8日(金)18時半開場、19時開演(雨天翌日順延)
19時~大林宣彦監督・蓮佛美沙子さん舞台挨拶
19時半~上映開始予定
場所:善光寺本堂前(野外)三門にスクリーン
人数:約700名(設置椅子300席)椅子席は整理券配布
設置椅子以外は、座布団や椅子を自由に持ち込み可
応募:椅子席整理券希望者は官製はがきに
住所、氏名、希望人数(1人2席まで)
送り先:〒380-8521長野市問御所町1200
SBC信越放送テレビ営業部宛て
締め切り:5月31日(木)当日消印有効
発表:希望者多数の時は抽選、当選者には整理券を発送
主催:国宝善光寺本堂再建三百年記念事業協力推進委員会
問い合わせ:長野市産業振興部観光課026-224-5042
SBC信越放送テレビ営業部026-237-0540

試写会が終了して外に出ると、そこは映画に登場した権堂の町。
行き交う人々が、映画の中の登場人物と重なって不思議な気持ちになりました。
そこかしこに門前町長野の良さがふんだんに描かれている作品。
地元の私たちが、全国に向けて宣伝したい名作の映画です。

naganoetokino1 at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月15日

映画「転校生」撮影現場の歴史(伊勢社)

暖かい朝を迎えた長野は、11月上旬頃の気温という、4度でした。
日中も気温は10度まで上がりました。

大林宣彦監督」による映画「転校生」。
10月末から行われていた長野での撮影は、11月末に完了しました。
ロケ日記日々映画是好日」をどうぞ。

私がこれまで取り上げてきた内容は、
10月29日ブログ第3回NAGANO映画祭、閉幕
10月29日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(田島新道)
11月25日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(長野西高校)
11月28日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(小丸山公園)
12月6日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(長野市民病院)

なお監督以下スタッフの皆さんの宿泊は
南千歳町の「長野リンデンプラザホテル」だったそうです。

今日取り上げるのは、「東之門町の伊勢社」。
場所はこちらをどうぞ
写真は善光寺さんの東に位置する、東之門町の通りから東に入る伊勢社の参道。奥に石段が見えます。
伊勢社参道




バス停

伊勢社の参道の入り口には「城山小学校前」のバス停。
城山小学校の入り口は、もう少し北にあります。






階段を上がると、狛犬が見えてきます。左手に曲がって鳥居をくぐります。
石段










狛犬から見下ろす
狛犬の場所から振り返った伊勢社の参道。突き当たりが東之門町の通りです。






大きな鳥居の向こうに、伊勢社の拝殿。
鳥居と伊勢社




社殿
南を向いた拝殿。






右手には拝殿に続く建物、本殿。本殿は、普段は扉が閉まっていますが、
2年参り(12月31日)の時は扉が開けられて、一般に公開されます。
落葉した銀杏の葉。その奥には「金比羅大神」がまつられています。
銀杏と金比羅大神




金比羅大神の石碑これは明治になってまつられた金比羅さん。









現在の善光寺本堂が造営された元禄頃に、この地には「時丸庵」という庵があったようです。これは三輪時丸の遺跡、時丸寺(三輪)が、元々ここにあったのではないか、という説です。(長野郷土史研究会長野』141号霜田巌氏「時丸寺の疑問を解く」)

伊勢社の祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」。
長野は戦国時代以前から伊勢の御師(おし)宇治家の檀家でした。
御師とは伊勢神宮の神職のこと。
そこで、長野での布教の拠点として、この地に宇治家が出張所を建設。
この家からは著名な国学者、荒木田(宇治家の本姓)久老(ひさおゆ)・久守(ひさもり)らが出ています。
1月17日ブログ大地震を今に伝える、表参道の遺跡
で取り上げた、「長野天神の孝信桜の碑」を書いたのは、
伊勢の御師で国学者の荒木田久守です。
明治以降は東之門町の神社となりました。
秋祭りは10月16日で、市内の秋祭りの最後。




伊勢社の参道沿いに建つ銭湯「鶴の湯」。
映画の中に登場するようです。
銭湯




湯福川右手に銭湯湯福川(ゆぶくがわ)」沿いの道。右手が銭湯「鶴の湯」。湯福川は「鐘鋳川(かないがわ)」と交差して「北八幡川」に合流します。








湯福川沿いにある「伊勢町の天神社」。
以前に掛けられていた「天神天満宮」の額は下ろされていました。
伊勢町は善光寺に通じる東の入り口に当たる町。
昔は「東大門」と呼ばれて賑わった町です。
雲切(くもきり)目薬」の「笠原十兵衛薬局」は江戸時代からの薬屋さん。
天神社

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2006年12月06日

映画「転校生」撮影現場の歴史(長野市民病院)

大林宣彦監督」による映画「転校生」。
10月末から行われていた長野での撮影は、11月末に完了しました。
ロケ日記日々映画是好日」をどうぞ。

私がこれまで取り上げてきたのは、
10月29日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(田島新道)
11月25日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(長野西高校)
11月28日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(小丸山公園)

今回は、撮影現場のひとつとなった、「長野市民病院」の歴史です。
場所はこちら
病院は長野市北部の古里地区富竹の田園地帯にあります。
平成7年(1995)に開院。外装は薄いピンク色と薄紫色。
市民病院全景



来院者が次々と出入りする入り口。
入り口












昭和50年(1976)「長野市制80周年記念事業」として
市民の要望の第1位で、市民総合病院の建設が決定。
けれども市民病院と他の開業医との調整が難航。
開院までに20年の年月が掛かりました。
開院後は、開業医と病院との連携が取られ、共存がはかられています。

玄関の窓辺に飾られていたサンタクロース。
窓辺のサンタ






交通機関は
JR長野駅より長野電鉄で15分乗車して柳原駅下車。徒歩20分。
自家用車とバス利用が中心です。
JR長野駅北口と、JR三才駅より長野電鉄バスで長野市民病院前下車。
止まっているのは,定期路線をカバーする「東北ぐるりん号」。
19人乗りの、地域循環コミュニティバス。
ぐるりん号










開院当時の150床から平成9年には300床に拡大。
さらに100床の増床を目指して増改築中。
平成17年着工していて、20年2月末に竣工予定。
増築現場






平成6年から活動しているボランティア団体「はづきの会」。
古里地区保健補導員を中心に発足して、現在会員は120名余。
外来受付や患者さんの世話、草取りなどを行っています。
古里地区にとっては、待望の市民病院の開院でした。

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2006年11月28日

映画「転校生」の撮影現場の歴史(小丸山公園)

大林宣彦監督」による映画「転校生」。
長野を舞台に撮影は行われました。ロケ日記日々映画是好日」。
10月29日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(田島新道)
11月25日ブログ映画転校生、撮影現場の歴史(長野西高校)

善光寺の北西にある「湯福神社」から「長野西高校」の前を通り、「塩沢鉱泉」の跡を通って、道は「七曲(ななまがり)」へ向かいます。
この道が昔の「戸隠街道」です。

昭和8年に西校から下った交差点から、「雲上殿」前を通って一回りする「遊覧道路」が開通。この工事は、何と失業対策事業の一環でした。

映画の舞台のひとつとなった「小丸山公園」は、
その遊覧道路沿いにあります。
ちょうど「長野西高校」の校庭の裏に当たります。
場所はこちらの地図をどうぞ。
紅葉





一面の紅葉した葉一面に敷き詰められた落ち葉。












「小丸山公園」に建つ「日本山妙法寺」。
小丸山の寺全景






寺のいわれは「日・印が協力して世界平和の実現を期して、日印サルダボヤ交流会を結成して置かれた支部」と、書かれています。
如法寺解説
「小丸山公園」は古墳の跡です。
紅葉の古墳











公園内に建つ「百万地蔵」。昭和18年4月の建立。
貴族院書記官の石橋徳作氏が7歳になる愛児を不慮の事故で失い、
同じような不幸な子どもたちの霊をなぐさめ、また子どもを守るため、
167万人から一銭ずつ集めて建立。
原画は和田三造画伯、彫刻は八柳五兵衛氏。
お地蔵さん










公園の入り口、道沿いに建つ「百万地蔵尊」の碑。
百万地蔵の碑










一銭地蔵尊の碑
碑の裏側には「一銭地蔵尊」。
道路を走るのは「戸隠」方面から「長野駅」方面に向かうバス。





「小丸山公園」からの眺め。中央の山は志賀高原の「横手山」。
小丸山公園からの眺め

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2006年11月25日

映画「転校生」の撮影現場の歴史(長野西高校)

この秋一番の冷え込みだった長野。最低気温は-2,3度。
でもお天気は良くて、日中は晴れ渡り最高気温は11,4度でした。

大林宣彦監督」の映画「転校生」。順調に撮影は進んでいるようです。
ロケ日記 日々映画是好日

今日はその舞台のひとつ、「長野県立長野西高等学校」の歴史です。
場所は善光寺の北西、地籍は「箱清水」。
信州大学教育学部の東側の道路の突き当たりにあります。
映画では「長野市立善光寺北中学校」として登場するようです。
地図をご覧ください
西校(下から)






校門から南に下がった交差点。
西に登ると「往生寺」に向かいます。通称「かるかや堂」。
かるかや堂往生寺




湯福神社方面へ
東に下がると「湯福神社」を経て、善光寺へ向かいます。







正門前の東西の道路は「戸隠街道」。
昔はこの街道を通って、善光寺~飯綱・戸隠方面を行き来しました。
戸隠街道沿いに建てられた学校だったのです。
西校入り口





校章は「梶の葉を抱く弦月」。
近くの「湯福神社」が諏訪大社の系統なので、
諏訪大社の神紋である「梶の葉」を使用。
正門右手には、それにちなんで植えられた「かじのき」。
校章の詳細は西高校のホームページ内「概要」をどうぞ。
入り口の梶の木






前身は明治29年(1896)創立の「長野町立長野高等女学校」。善光寺の東にある「長野(城山)小学校」を借用して開校。長野小学校の校長「渡辺敏(はやし)」が校長を兼任。

校舎前に建つ「初代校長 渡辺敏先生銅像」は昭和6年建立。
昭和19年戦争で供出。それ以来、石の玉が乗っていました。
再度建立されたのは、平成8年。
渡辺敏像










現在地に移転したのは明治35年(1902)。
明治42年に「長野県長野高等女学校」と改称。
昭和23年に新学制によって「長野県長野西高等学校(全日制普通課程・通信教育部)」発足。5月に「定時制(普通課程・被服課程)」を併置。
昭和56年「定時制」は「長野高校定時制」と統合して閉校。

現在の校舎は昭和56年に1号館(5階建て)、57年に2号館竣工。
全日制が女子校から男女共学になったのは昭和60年。
今年度(18年4月)の生徒数は全日制810名。通信制1750名。
西高校正面







平成10年に閉館となった「西校幼稚園」の建物。
現在「同協会」が使用。
西校同協会





学校の背後の、やはり映画の舞台となった「小丸山公園」から見下ろした長野西高校の全景。すぐ左手の塔は「善光寺忠霊殿」と、その向こうに重なる「善光寺本堂」。「小丸山公園」の話題はまた後日。
小丸山公園から西校






10月29日ブログ映画 転校生の撮影現場の歴史(田島新道)」もどうぞご覧ください。

naganoetokino1 at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年11月07日

映画で盛り上がる長野をめざして

今日は立冬。でも最低気温は9,9度と、暖かい朝です。

長野市の繁華街「えびす講」の赤い旗が立つ「権堂アーケード通り」。
通りの突き当たりが表参道です。
写真は昨日の権堂。道行く人の服装も厚着になってきました。
権堂アーケード通り






買い物をしたら、お店に置いてあったチラシが「シネマラソン」のお知らせ。チラシの表には「ぎゅ~っと! 一夜づけ。」
「シネマラソン」聞き慣れない言葉です。
「シネマ」と「マラソン」をくっつけた言葉で、映画を続けて観る行事。

期 日 11月11日(土)  会 場 長野ロキシー
上 映1回目16:30~ 2回目19:00~ 3回目 21:20~
ロキシー






選ばれた3作品は「ゆれる」「美しいひと
モルタディロとフィレモン
3本観る順番は自由。それに合わせてチケットを購入します。
無事完走した(3作品を観た)人には素敵なプレゼントを進呈。
もちろん1作品、2作品だけでもOK。
3作品観る前売り券は2500円と、とてもお得なお値段。
1作品チケットも、前売り券ならだんぜんお得。
詳しくは、「シネマラソン」のホームページをご覧ください。

3作品のひとつ「ゆれる」は、最近私の周りでも話題になった作品。
先日はNHKテレビの「女性監督」特集でも取り上げられました。
「ゆれる」看板







会場となる「長野ロキシー」の、アーケードに面した入り口。
撮影が始まった大林宣彦監督の映画「転校生」の事務所が開設。
ロキシー入り口







「転校生」事務所前に人
21世紀長野映画の会」という会が創設されたようです。
先月の「長野映画祭」や「シネマラソン」など、最近映画の話題がいっぱいの長野。「転校生」も市民一人ひとりが、それぞれの立場で盛り上げ、協力していきたいものです。

映画の話題。こちらもどうぞご覧ください。
10月16日ブログ第3回NAGANO映画祭閉幕
10月29日ブログ映画 転校生の撮影現場の歴史

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2006年10月29日

映画「転校生」の撮影現場の歴史(田島新道)

10月15日ブログNAGANO映画祭閉幕」でご紹介した
大林宣彦監督の映画「転校生」

映画「転校生」を大林監督とつくろう。50年後の未来のこどもたちのために」いよいよ10月26日、ロケが始まりました。

ロケ日記「日々映画是好日」に撮影された場所が、歴史上どんな場所だったのか調べてみました。

「通学路」のシーンとなった撮影現場。急な階段に落ち葉。すっかり秋の風情。
県社新道の階段
この場所を地図でご覧ください。






階段の上り口。小さな橋が架かかり、左手には大きな碑。橋の下を西から東に流れるのは「湯福川」。
県社新道の入り口(左に碑)










碑にはこのように刻まれています。
「城山県社新道開設者 田島式左衛門碑 明治二十年十一月十九日竣成」
県社新道の竣成の碑











碑の裏側。「大正九年三月十三日 二女かく子 孫定三郎」
碑の裏側












長野市誌』によると、
「明治19年8月4日 田島新道(伊勢町・城山間)開削起工
明治20年(1887)11月開道

この階段を登った先には、明治12年(1879)に鎮座した「城山の県社」があります。明治初期の神仏分離で、善光寺の神社「歳神堂(としがみどう)」の神をお移して新しくおまつりした神社。
ここに掲載した地図では「神別神社」となっています。
正式には「健御名方富命彦神別神社
読み方は「たけみなかたとみのみことひこかむわけじんじゃ」。
『長野市誌』では「ひこかむ」を「ひこかみ」と表記。
その意味は「健御名方富命」は諏訪の神で、
その息子の「彦神(ひこかみ)」を「別(わ)けて」まつっているということ。


北国街道に面したこの伊勢町から、県社に向かう道路として開かれたのが、この「城山県社新道(田島新道)」でした。

また現城山公民館の場所にあった「城山館(じょうざんかん)」は
明治20年(1887)5月に開館
しています。
この道路ができたのが同年11月。
大勢の人々が新しくできたこの道を登って、城山館を訪れたことでしょう。橋の下を東に流れ下る湯福川。「城山館」については、
9月28日ブログ謙信の城跡に建つ城山の2施設」をどうぞ。
橋から見た湯福川







直江津~長野間の鉄道開通が明治21(1888)年
その前年に北国街道沿いに開道した「城山県社新道」は、「長野の北の入り口」として、重要な場所にできた道でした。
今から120年程前に、大きな期待を持って開削された道路。
今は通る人影もまばらですが、大切な歴史が刻まれた場所です。

来年の夏公開される映画は、開道からちょうど120年の節目。
大林監督の映画の中で、どんな風に映しだされるのか楽しみです。
それとともに、長野の歴史にとって大切な場所が、映画の中に末永く残されるのは意義深い事。
今後も私は、映画のロケ地を今回のように歴史にポイントを置いた角度から記録していきます。

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2006年10月15日

「第3回NAGANO映画祭」閉幕

3日間連続の秋晴れ。
10月8日から本日15日まで開催された「第3回NAGANO映画祭」。
こんなポスターが町のあちこちに貼られていました。
ポスター






映画祭最終日の今日、「長野ロキシー」(権堂町)に大林宣彦監督がご来場。
代表作『転校生』を長野でリメイクすることになった経緯と思いを語りました。
写真は9月の初めに撮影した「長野ロキシー」。
長野ロキシー





「転校生」のロケーションハンティングで長野を訪れた監督。
ロケ地に選ばれた高校は「長野西高等学校」。
24年前に監督の故郷、尾道市で撮影された『転校生』は
「古里守り映画の」出発点となった作品。
後に「尾道3部作」と呼ばれ、尾道市を観光都市に育てました。

「古き良き町の資源は、お金や物では買えない知恵や誇り」
「文化は元々あるものを尊ぶことで、ふるさと自慢」
長野の有志から「50年後の長野の子どもたちに残したい、伝えたい作品を作って欲しい」と依頼されて決意したという熱い思いを、理路整然と、しかも淡々と語ってくださいました。


大林監督サイン
ご挨拶が終わって映画館の外でサインをする大林監督。
ブログの写真掲載をお願いすると、奥様が「長野の皆さんと作り上げていく映画です。
どうぞご一緒に宣伝してください」と、快く了承してくださいました。
お帰りになる時には、握手までしてくださった監督。
私たちがやっている郷土史にも相通ずるお話に感銘を受けました。
長野を舞台として選んでくださったことに感謝しながら、お見送りしました。
「転校生」は11月から撮影が始まり、公開は来年の夏の予定です。


生涯学習センター映画呼び込み
「長野ロキシー」とともに会場となったのは、このほどオープンした
「トイーゴ」内の「長野市生涯学習センター」。
「トイーゴ」入り口では、スタッフの方が呼び込みをしていました。
最終回の作品は『風林火山』。1969年、三船敏郎が山本勘助役。
4階の大学習室で100名程の皆さんとご一緒に鑑賞しました。
大勢の皆さんのお力で作り上げた映画祭は静かに幕を閉じました。

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