グリーンシークレットハウスのデッキから、朝焼けに染まる空をモモンガは見上げ眺めていた。
空の色は薄桃色から黄色、白く染まってそこから紺のグラデーションを描く。紺色の濃い夜空の名残の残る辺りにはまだ星が瞬いていた。
この世界は美しい。ガスマスクなしでは外を歩く事もできないほど汚染されスモッグに覆われていつでも薄黒かった空しか見たことのない
ブループラネットさんが愛し焦がれた、リアルではとうの昔に失われてしまった自然。それがここには溢れんばかりにある。もし一緒にいたならあれだけやりたがっていたキャンプができるのに、そう思うと残念な気持ちが湧き上がる。
元の世界に戻る方法を探すという選択肢が出てこなかったのはどうしてなんだろうな、とふと考えてみたが当然だろうとすぐに結論が出た。あそこは帰りたい場所ではないし誰も待ってはいない。人間でありたかったという気持ちがないといえば嘘になるが、アンデッドになってしまったという事を差し引いてもこの豊かな自然に満ちた世界の有り様はあまりにも美しく心惹かれた。
だがもし万一元の世界に戻る方法があるならば探してみるのも悪くはないだろう。選択肢は多いに越したことはないのだから。この世界に来たというプレイヤーの多くが(道半ばにして散った者だけではなく天寿を全うした者も含め)死んでいるという事を考えると恐らくその方法を見つけるのは困難極まるであろう事は想像に難くないから優先順位は低くなるが。
クレマンティーヌは遅い時間にベッドに入ってまだ眠っている。彼女を協力者にしたのは、単純にメリットの方がデメリットを上回るだろうと思ったからだ。生者を憎むとされ忌み嫌われているらしきアンデッドであるモモンガはこの世界で活動するには制約が多すぎる。特殊部隊にいたという事は自薦の通り情報収集の手腕にもそれなりに期待していいのだろう。
それに彼女と一緒に行動すればモモンガに欠けているこの世界での常識や金銭感覚について心配することがなくなる。彼女に丸投げすればこの世界での常識に則って行動してくれる筈だ。それを側で観察する事で少しずつ学べばいい。
昨晩遅くまで聞いたのはスレイン法国の概要と六大神についてだ。脆弱な人類を滅びの運命から救った六人のプレイヤー――六大神が建国した国。
人類が滅びかけていたのは単純な話で、亜人や異形種に比べ人類が劣等種だからという理由からだった。ユグドラシル基準で考えても人間種はレベルを上げ
そんな事情もあってスレイン法国の方針は人類が滅びないように人類の活動圏内の亜人などを増えすぎる前に間引き駆逐するというものらしい。数が増えれば亜人は簡単に人類を圧倒するからだ。
そんな亜人の間引きなどを担当するスレイン法国の暗部が六色聖典と呼ばれる特殊部隊だそうだ。クレマンティーヌが所属していた漆黒聖典はその中でもトップシークレットの存在で、隊員はアンダーカバーとして表の職業を持ちつつ裏で任務をこなすという。
所属するのはいずれも人間種としては最高レベルの能力を持つ者達で、特に隊長である第一席次はプレイヤーの血を引きその能力を覚醒させた神人と呼ばれる存在であり、一人で他の隊員全てを向こうに回して圧倒できるらしい。そしてその隊長すら子供扱いする強さを誇る番外席次という存在もいるという。彼女はあまりにも強すぎてどう表現すればいいのか分からないとクレマンティーヌは言葉選びに苦慮していた。
漆黒聖典は神の遺産(恐らくはユグドラシル産の装備)を装備し、他の部隊では対処不能な事態などに投入されるという話だった。
他には殲滅戦に優れた陽光、ゲリラ戦やカウンターテロに優れた火滅、諜報部隊の風花など各部隊毎で特色があるらしい。
不思議なのがスレイン法国は六大神を信仰しているがバハルス帝国やリ・エスティーゼ王国、ローブル聖王国などは六大神から闇と光を抜いた地水火風の四大神信仰なのだという。どういう経緯でそうなったのか興味は惹かれたが今追究する事でもないだろうと思い直し流した。宗教国家であるスレイン法国は教義の合わない他の人間国家とは(内実はともかく表面的には)微妙な関係だという。
ただ人類圏の各国の神殿にはスレイン法国から神官が派遣されているらしいので、神殿が生活に密着した医療の場という事を考えると各国に根を張りある程度支配していると言えなくもない。病院や医者という概念はなく病気や怪我は神殿に行き神官の治癒魔法で治すのが一般的なのだという事も教わった。手術という概念は一応あるにはあるがそれはプレイヤーである口だけの賢者が提唱したもので、一般的には野蛮な方治療法と見做されているらしい。
国民の気質としては人類至上主義で人類以外の人間種や亜人や異形種を排斥し下に見る傾向があるという。亜人中心の国家であるアーグランド評議国とは相容れぬ仇敵らしい。また宗教国家であるためアンデッドへの敵意は他の国にも増して強い。
神人や番外席次の能力が未知数なのもあるし、アンデッドには居辛そうな場所のようだ。六大神の遺産などには興味があるがスレイン法国にはなるべく迂闊には近付かない方が無難だと思わされた。
となれば道中で情報収集をしつつアーグランド評議国をとりあえず目指してみるのが無難か、つらつらと考えている内にすっかり朝になり日差しが東の空の際から刺すように降り注いでいた。今日もいい天気になりそうだが一度雨にも降られてみたい、ブループラネットさんが本来ならば雨は天からの恵みなのだと熱弁していた事を思い出した。この骨の体ならば雨に濡れる不快さもそう気にはならないだろうし満喫したいものだ。
クレマンティーヌが起きるまでどうやって時間を潰そうか。そんな事を考えていると首に下げた金のどんぐりのネックレスからエンリの切羽詰まったような声が聞こえた。
『モモンガさん!』
「エンリ? どうした? まだ朝だろう」
『助けてくださいモモンガさん! 騎士が、騎士が村を襲って、お父さんが! 助けて、助けてください! お願いします!』
「待ってろ、すぐ行く!」
返事を返しながらグリーンシークレットハウスの中に入り、
「クレマンティーヌ! 起きろ!」
怒鳴りつけながら縮小した画面でカルネ村を捉え拡大し画面を動かしてエンリを探す。村の中は阿鼻叫喚の様相だった。
一流の戦士らしくクレマンティーヌはフル装備で素早く起き出してきてモモンガの横から
「この村って森の近くのですか?」
「そうだ、助けに行く」
画面を動かしていると、村外れで騎士に追われるエンリとネムの姿を捉えた。追い付かれそうになっている、予断を許さない状況だった。位置は把握した、これで転移できる。
「〈
すぐ側に黒くのっぺりとした円形のゲートを開くとクレマンティーヌがぎょっとした顔をするが今は時間が惜しい。
「転移魔法だ、入れ」
手短に言いながらゲートへと足を踏み入れる。潜り抜けた先では苦しげに蹲ってネムを庇うように抱きかかえたエンリと、エンリに斬りかかろうとして動きを止めた騎士がいた。人間だったなら剣を振りかぶった騎士など前にしたら恐怖で竦み何もできなくなっていたかもしれない、恐怖を感じてもすぐに沈静化されるアンデッドになった事をこんなにも感謝した事はなかった。
見れば、エンリの背中からは血が流れているようだった。よく見れば右手も赤く腫れている。それだけでもうこの騎士は許されない、モモンガの敵だった。おっかなびっくりゲートを潜り抜けてきたクレマンティーヌに声をかける。
「クレマンティーヌ、あいつの強さはどれくらいだ」
「んー……私なら二秒で殺せますね、モモンガさんを煩わせるほどのこともないかと」
「じゃあやってくれ、村を襲ってる奴等全員やってくれて構わない」
「情報も必要でしょうし二三人は残しておきますよ、その他は遠慮なくやらせてもらいます」
言うが早いかクレマンティーヌは腰からスティレットを抜き放ち力強く足を踏み出した。次の刹那には視認できない程の速度の突きが騎士のフルフェイスヘルメットの目のスリットを正確に穿ち眉間を抉っていた。エンリにとどめを刺そうとしていた騎士が逆に力なく地に崩折れる頃にはその後ろにいた騎士の眉間がスティレットによって穿たれる。そのままクレマンティーヌの姿は村へ向かってどんどん遠ざかっていった。
「疾風走破って二つ名は伊達じゃないみたいだな。さてエンリ、傷は大丈夫か。確かポーションがあった筈……ちょっと待っててくれ」
アイテムボックスを開き
「お待たせ、ポーションだ、これで治ると思うんだけど」
「ありがとうございます、モモンガさん……ありがとう……ございます……ううっ、う……」
安心して気が緩んだのか涙を目に一杯に溜めたエンリがポーションを受け取り飲み干す。無事に傷は癒えたようで、痛みがなくなったときょろきょろと首を動かし背中と右手を眺めて確かめている。
その間にモモンガは上位アンデッド創造で
「お前は村を上空から監視、そこに転がっている騎士と同じ格好をした者が村の外に逃げ出そうとしたら殺せ。行け」
「これでもう大丈夫だ、心配ない。怖かっただろ二人とも」
「モモンガさん……お父さんが、お父さんとお母さんが……なんで、どうして……どうしてこんな」
「モモンガさぁん……」
エンリとネムは抱き合ったまま泣き崩れる。村はクレマンティーヌと
蹂躙劇は今や別の蹂躙に取って代わられた。村の広場で華奢な女の体は獰猛な肉食獣のようにしなやかに駆け跳ね、その刺突剣は反撃する間も与えぬ程の速度で正確に騎士達の眉間を穿つ。一人突かれたと思えば次の一人がその刃にかかり命を散らす。最初は女と舐めてかかって多くの騎士達が斬りかかっていったが、瞬く間に殺された。比喩でも何でもなく、瞬きする間にだ。一気に数を減らされて動揺し動きの止まった騎士達を女は正確無比に狩っていった。
生き物としての格が違いすぎる。
最早騎士達に戦意は残っていなかった。後頭部はヘルムで守られている、そう計算した一人が背中を見せ駆け出すが、瞬く間に距離を詰められ背中から心臓部を鎧ごと抉られる。どさりと崩れ落ちた同僚の姿を前に、残りの騎士達はただただ呆然としていた。
「あっ、なんで鎧の上から攻撃できるんだって思った~? 何でかっていうとねぇ、このスティレットがミスリル製のオリハルコンコーティングだからだよ~。そこらのなまくらアーマーなんか紙みたいなもんだからさぁ、諦めた方がいいよ~?」
遊ばれていた。女はやろうと思えば鎧の上からでもヘルムの上からでも急所を突けたのに、わざわざスリットを狙っていたのだ。
「うわあああぁぁぁ!」
最早統率はなかった。雪崩を打って騎士達は村の外へと逃げ出す。後ろから女が追ってくるが、正門と裏門の二方に一人で対応はできないだろう。裏門の出口に到達した騎士が逃げ出せた、と思った瞬間だった。その騎士の意識は一瞬にして刈り取られ、訳も分からぬまま原型を留めぬ肉塊と成り果てていた。蟻が象に踏み潰されて原型を留められる訳がない、両者の間にはそれだけの力の差があった。
裏門にまるで転移してきたかのように突如現れ立ちはだかったのは、蒼い馬に跨った騎士。顔の分からぬフルフェイスの鎧は禍々しい突起がそこかしこから飛び出していて目を離せないような邪悪さがあるのに、そこにいるという存在感が異様なほど希薄だった。その存在感の薄さと目の前でミンチになった騎士だったものの成れの果てが恐怖をより強める。進退窮まった騎士達は、地べたにへたり込んで呆然とその禍々しい騎士を眺めていた。
正門に散った残党を狩り終わったクレマンティーヌが裏門へと足を運んでくる。騎士の残りは四人。予定よりは多いが多い分には別に構わないか、と判断する。
「うっわー……私にやらせるよりこいつにやらせた方が早かったんじゃないの……モモンガさんを怒らせた時点であんた達詰んでたよ、ご愁傷様」
裏門を遮る
「さて、広場まで来てくれるかなぁ? お姉さんのお・ね・が・い、聞いてくれる? ほら立って立って」
生き残った騎士達は気怠げに首を動かし疲れ切った顔でクレマンティーヌを見上げた。抵抗する気力は残っていないが立つ気力まで刈り取ってしまったようだった。
「……早く移動しないとそいつが襲いかかってくるかもよぉ?」
クレマンティーヌのその言葉に生き残りの騎士達は面白い程しゃきんと立ち上がり、小走りに広場へと向かっていった。クレマンティーヌもその後を追う。
広場では指示した通りに村人達が縄を用意して待っていた。クレマンティーヌの目の前で抵抗などできる筈もない、騎士達は指示通りに唯々諾々と剣を捨て縄を打たれた。
「さて、終わったけど……モモンガさん遅いなぁ? ちょっと待っててね、連れが村の女の子を助けて連れてくる筈だから」
広場に集められていた村人達にそう声をかけて、肩を竦めて首を回しクレマンティーヌは一つ息をついた。
エンリとネムが落ち着いてから、モモンガは二人を連れ村に向かった。
アンデッドと分からないようにした方がいいとエンリに言われ、とりあえず顔と手を隠せばいいかとアイテムボックスを見繕ったが、差し当たって見つかったのは嫉妬する者たちのマスクとイルアン・グライベルという籠手だった。ゆっくり見繕っている時間はないし見た目はどうでも隠れればいいやと半ばやけになって装備する。これでどうにか邪悪なアンデッドの魔王から邪悪な魔法使いくらいには見た目の邪悪さをグレードダウンできただろう。
途中で二つの実験を行った。まず騎士の剣を拾い、自分に突き立ててみた。何してるんですかモモンガさんとエンリにしこたま怒られたが、思った通りダメージは受けなかった。上位物理無効Ⅲのパッシブスキルは正常に動作しているようだった。
次に、少しどころかものすごく勿体ないと思いながらも必要な事と自分に言い聞かせながら
考えられるのはレベルが五に満たなかった為レベルダウンに耐えられずロストした、という可能性。そうであれば恐らくレベルなど上げている筈もない村人に使えば全員灰になるだろう、エンリとネムの両親も諦めざるを得ない。現地の蘇生魔法がどういう仕様なのか分からない部分もあるから、クレマンティーヌと合流したら聞いてみた方がいいかもしれない。
どちらにしろ蘇生は行わない方がいいかもしれない。死者を生き返らせられるなんて評判が立ったら静かに生きていけなくなる。衆目に晒されればそれだけ正体がアンデッドであると露見する危険性は高くなる。エンリとネムには悪いが出来る限り敵は作りたくない。
それから、平静になって振り返ってみると自分の怒りが度を超えて激しすぎたような気がした。騎士を全員殺せなんて人間だった頃なら同じ状況でも絶対に言わない。エンリが傷付けられた事によってどす黒い怒りが瞬時に意識を染め上げた感覚は覚えている。これもアンデッドになった事による変化なのだろうか。
村に入り広場まで進むと、村人達の生き残りが集まっていてクレマンティーヌと縛り上げられた騎士の姿もあった。
「モモンガさん、何ですかその格好」
クレマンティーヌがやや困惑した表情を見せつつ言う。合流して第一声がそれか。言いたい事はあったが仕事はきちんとこなしてくれたようだし文句を言う筋合いはないだろう。
「似合わないか……?」
「マスクはもうちょっと考えた方がいいかもしれません」
「そうだよなぁ、でも適当なのがなくてさ。まあそれはいいや、ご苦労様」
「お安いご用です。手応えがなさすぎて遊び足りませんでした。武技を使うまでもなかったですし」
いい笑顔で言うクレマンティーヌに、ああやっぱりそういうキャラなんだという思いが湧き上がる。
「武技って何だ?」
「どう説明したらいいんですかね……戦士が使える魔法、というか必殺技、みたいな? また詳しく説明しますよ。ほら村長っぽい人来ましたよ」
クレマンティーヌの要領を得ない説明にがっくり来ながら演台の近くに集められた村人達を見やると、村長と思しきがっしりとした体格の年長の男性が進み出てきた。
「あの……あなた方は?」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は旅の
「どうしてこんな村を……?」
村長の問いは訝しげだった。残った村人達も不安気な表情を浮かべている。通りすがりが村を助ける理由など普通に考えれば何もないだろう。何か法外な要求があるのではと不信感を与えているのかもしれない。
「実は先日森で道に迷い怪我をして難儀していたのですが、薬草を採りに来ていたこの村のエンリ・エモットに助けられたのです。その恩返しというのが理由の一つ。そして、助けるからには無償というつもりはありません、それなりの報酬を頂きたいというのがもう一つの理由です。勿論恩を受けた身ですから、そんなに無茶な要求はいたしませんのでご安心いただければと思います。もし宜しければ適切な金額について交渉させて頂きたいと思うのですが?」
「それは、勿論ですが……ご覧の通り多くの働き手を失って次の冬を越せるかも怪しい有様で……ご満足頂ける金額をお支払いできるかどうか」
「問題ありません。私は転移の魔法が使えますので、お支払いいただけるようになったらご連絡いただければ取りに参ります。恩人のいる村からすぐに毟り取ろうなどとは思っておりませんよ。エンリには私と連絡が取れるアイテムを渡してありますので、エンリを通じてお知らせいただければ結構です」
「それなら……村を救ってくださった恩人です、お二人がいらっしゃらなければ私共は皆殺しにされていたでしょう。出来る限りの謝礼はさせて頂きたいと思います。金額については私の家でお話いたしましょう。少しお待ち下さい」
村長が村人達に死体や被害を受けた家屋の片付けの指示を始める。その間にクレマンティーヌに顔を近付け、小声で話す。
「相場が分からん、交渉は任せる。くれぐれもふっかけるなよ、良心的な値段だぞ」
「分かってますって」
「一つ聞きたいんだけど、蘇生魔法で灰になったりするのか?」
「蘇生に耐えられるだけの生命力がないと灰になりますよ」
「生命力……ここではそういう言い方をするのか。じゃあ普通の村人なんか大体灰になるか」
「多分そうなりますね」
予想されていた回答ではあるが、エンリとネムの両親を蘇らせる案はこれで完全に没だ。可哀想だが耐えてもらうしかないだろう。
「後……鎧は帝国のですけど中身までそうとは限りませんよ」
「ここは王国だから……法国の偽装って線もあるって事か?」
「そういう事です。まだ目的は分かりませんけどね。一応一通りの尋問はしましたけどさすがに村人の前で拷問まではできませんし、あいつらただ指示通りに村を襲えって言われただけで詳しい事は何も知らされてないみたいだったんで」
確かに法国の偽装の可能性はある、一応留意しておく必要はあるだろう。
その後クレマンティーヌに任せた報酬の交渉を行い、死んだ村人達の埋葬が行われた。なんでもこの世界では死者は一刻も早く埋葬し弔わないとアンデッドとして偽りの生を与えられてしまう確率が高くなるのだとか。死者が多いので何回かに分けてだが、とりあえず第一陣だ。クレマンティーヌにも埋葬を手伝わせる。
第一陣の中にはエンリとネムの両親の亡骸も含まれていた。盛り上げられた土の前で泣き崩れる二人の姿を見つめ、何か出来ないかと考える。両親を一度に失って、これからの暮らしはどうするのだろう。最悪人買いなんてものがあれば売られてしまったりしないだろうか。考え出すとどんどん不安になっていく。出口のない不安のループに陥っていると、落ち着いたのかエンリとネムが墓の前から離れ、こちらへと歩いてくる。
「モモンガさん、本当にありがとうございました……」
「いや、ご両親を助けられなくて本当にすまない。もっと早く駆け付けられれば」
「私が、もっと早くモモンガさんにお願いしていればよかったんです、モモンガさんのせいじゃありません」
「すまないな……ところでこれからどうするんだ? 畑はエンリだけでやっていけるのか?」
「一人ではとても……普通だったら他の家に助けてもらうんですけど、どこも働き手が足りないので助けてもらえる宛てもないです……」
沈痛な面持ちで目を伏せエンリが語る。働き手が足りない、それなら、もしかしてあれが使えるのでは? 確か召喚アイテムとしては珍しく規定の時間がくると消滅する召喚じゃなくて無期限召喚だし。思い付いたモモンガは、懐に手を入れる振りをしてアイテムボックスを開け目当ての物を取り出す。
「それならこれが役に立つかもしれない、ご両親を助けられなかったお詫びだと思って取っておいてくれ」
取り出した二つの小さな角笛の形をしたネックレスを、エンリの手を取り握らせる。
「あの、これは……?」
「
「でも、すごく高いものなんじゃ……あの、モンスターを召喚するアイテムの価値なんて分かりませんけど……お返しするものが何も……」
高いものも何もユグドラシルでは三文でも売れない有名なゴミアイテムだ。モモンガにとっても何の価値もない。コレクター的な理由で(というよりは生来の貧乏性が祟って)売ったり捨てたりできずにいただけだ。それなら召喚したゴブリンがエンリに働き手として重宝される方がアイテムを有効活用したといえるだろう。
「値段は気にすることないよ、大した事ないアイテムだから。それにこれは、君が俺に親切にしてくれたお礼でもあるんだよ。独りぼっちでどうすればいいのか途方に暮れていた俺に、君は優しくしてくれた、独りぼっちの俺と沢山話をしてくれた、だから俺は寂しくなかった。それをお返ししたいんだ。こんなものじゃまだまだ返せたとは思えないけどね」
「そんな……! 私そんな大した事なんて、してません……」
「君はとても勇気があるし、優しいし、見かけで判断しない。俺の話を聞いてくれて、俺の気持ちを分かってくれた。それに俺は助けられたんだ。それとも俺の気持ちは受け取ってもらえないのかな?」
「えっ……いえ、あの…………分かりました、有難く受け取ります。でもいつかこのご恩を返させてくださいね」
「それは簡単だしすぐ返せるよ。時々暇な時に気が向いたらそのペンダントで俺と話してくれればいいさ。旅の
目線を下に動かしネムを見やると、うん、と満面の笑みで元気よく頷いてくれる。エンリに視線を戻すと参ったと言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。
そうしていると広場の方がざわざわと騒がしくなった。今度は何だろうか。広場まで行くと、村長と村人数人が何かを話しているがどうも困り事のようでやや焦った様子も見受けられた。
「どうなさいました?」
「モモンガ様、実は……馬に乗った戦士の一団が村を目指してきているそうで……」
ピンポイントに厄介事だった。今日は厄日かな? と思いつつも放っておくわけにもいかない。
「分かりました。村の皆さんは集会所に集まってください、建物に守りの魔法をかけます。その一団は村長と私、クレマンティーヌで対応しましょう」
「よろしいのですか?」
「恩と報酬の分は働きますよ、アフターケアというやつですから追加の請求は発生いたしませんのでご安心を」
「は、はぁ……分かりました、それじゃ皆、集会所に入ってくれ! 作業も一旦ストップだ!」
村人達は大急ぎで集会所へと入っていき、全員入った確認が取れた後モモンガがいくつかの防御魔法をかける。準備が整ったところで、広場で騎馬の一団を待ち受ける。
村に入ってきた騎馬の一団の総数はざっと五十ほど。先程村を襲った帝国兵(らしき者達)と比べると、武装に統一感がなく各自使いやすいようにアレンジを施しているようだった。兜をしている者もいればしていない者もいるが皆顔を出している。鎧に紋章が入っているからどこかの兵という事は推察できるがそうでなければ傭兵団としか見えなかった。先頭を進む黒髪を短く刈った屈強そうで精悍な男がモモンガ達から少し距離を置いて馬を止め、口を開く。
「私はリ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らし回っている帝国の騎士を討伐する為に王のご命令を受け村々を回っているものである」
「王国戦士長……」
村長が低い声で呟く。どうやら有名人のようだった。クレマンティーヌが耳許で、周辺国家最強の戦士です、と教えてくれた。という事はクレマンティーヌより強いのだろうか。
「貴殿が村長か、そちらの方は?」
戦士長の鋭い目線がモモンガへと向く。人間だった頃ならばその射抜くような強い視線に圧倒され腰を抜かしていたかもしれないがお陰様でそういった動揺は即座に沈静化され平穏になる。村長が口を開くより早くモモンガは軽く頭を下げた。
「私は旅の
大体全部クレマンティーヌがやったので手柄を横取りするのは良くないだろう。モモンガは〈
「この村を救って頂き、かたじけない。本当に、本当に感謝する」
「え……私はモモンガさんに頼まれたからやっただけだから、お礼はモモンガさんにどうぞ」
「モモンガ殿も、本当に感謝する。この村を救って頂いた事、感謝の言葉もない……!」
戦士長は今度はモモンガに向き直り深く頭を下げる。後ろの戦士団がざわついている、周辺国家最強だというし戦士長というのもそれなりの地位なのだろうから軽々に頭を下げるのはどうかと思うのだが、それほど嬉しかったのだろうか。この辺境の寒村が救われた事が。
「いえ、個人的な恩義の為と、それから報酬も頂く事になっていますから。お気になされず」
「報酬……というと、モモンガ殿達は冒険者か何かで?」
「ただの旅人ですよ。ただ、旅人だって先立つものは必要でしょう?」
肩を竦めてみせると、戦士長は苦笑しそれ以上は追及してこなかった。
「それは確かに。もしお時間が許せば、村を襲った不逞の輩について詳しい話をお聞かせ願いたい」
「構いませんとも。四人ほど捕らえてありますのでお引き渡しいたします。宜しいですね、村長殿」
「ええ、それは勿論」
「待って頂きたい、四人というが他の者は? まさかそんな少数ではなかった筈」
「クレマンティーヌが全て打ち倒しましたが何か問題が?」
モモンガの返答を聞いて戦士長はしばし固まり、ほう、と呟いて鋭い目線をクレマンティーヌに向けた。無論そんな視線に怯むクレマンティーヌではなく、肉食獣のような笑みで歓迎する始末だったが。
「いや、問題はない。むしろ我等の仕事を代わりにやって頂いた事、心より感謝する」
「先程も申しましたが、報酬もありますしお気になさらず」
「……一つお聞きしたいのだが、その仮面は?」
戦士長の問いかけに、汗腺があれば冷や汗が流れるであろう思いがこみ上げる。ですよね、やっぱり怪しいですよね。
「
「仮面を外していただいても?」
「お断りします。魔力が……暴走する危険性がありますので」
勿論そんなのは大嘘なのだが、クレマンティーヌが万一にもそんな事をしてくれるなという必死の形相でモモンガを見、それ以上何も言うなとばかりに戦士長を見る。その様子から何かを感じ取ったのか戦士長は頷いた。
「……成程、外さないで頂いた方が良いようだ。失礼した」
「ありがとうございます」
「いや。では椅子にでも座りながら詳しい話を聞きたいのだが、適当な場所はあるかな。それともし構わなければ時間も時間であるし、この村で一晩の宿をお借りしたいのだが」
「分かりました。ではその辺りも踏まえて、私の家でお話を……」
村長の言葉を遮るように蹄の音が近付いてくる。広場に駆け込んできた騎兵は即座に馬を降り戦士長へと駆け寄る。緊急の事態のようだった。
「戦士長! 周囲に複数の人影、村を包囲するような形で接近しつつあります!」
えっ、また厄介事?
思わずモモンガは頭を抱えそうになった。えっ、この村、狙われすぎ?
穀物と薬草の採取で成り立っているだけの交通の要所というわけでもない辺境の開拓村に一体何の価値があってこんなに次々と敵がやって来るのだろう。とりあえず愚痴っていても始まらない、まずは状況の確認だ。戦士長と共に村外れの民家へと移動する。
村を包囲しているのは、装備品からすると
「
「陽光ですね」
「殲滅戦に優れた
「最低第三位階、隊長のニグンは第四位階の使い手です」
「……は?」
ガゼフから離れて小声で話していたのだが、思わず間の抜けた大声を上げてしまった。
だって思ってもいなかったのだ、そんな雑魚だとは。
「今雑魚だって思いましたね? 言っておきますけど、第三位階が使えれば天才、第四位階は天才が果てない努力の先に行き着く領域です。モモンガさんを基準に考えないでください」
「なんか……ごめん」
小声のクレマンティーヌに注意され、素直に謝る。
「で、お前を追ってきた可能性は?」
「ないとは言い切れませんが、それならもっと早く包囲してます。戦士団が村に入ったこのタイミングでの包囲ですし、ガゼフ・ストロノーフが五宝物も持たずにあんな軽装で任務に出されてるんですから、ガゼフを嵌める罠というのが妥当じゃないかと」
「五宝物? なんかレアアイテムの予感……いやその話は後だ。しかし法国がガゼフを嵌めて何の得が?」
「王国を滅ぼしたいんじゃないですかね。腐敗してますからね王国は。人類の為にならないと判断されたんでしょう」
「うわ……ドロドロしてんな……首突っ込みたくないけど乗りかかった船だからなぁ……お前やれる?」
「モモンガさん以外の
「そうか」
顔を上げると、同じタイミングで外を見ていたガゼフがこちらを見やる。
「失礼、アークエンジェル・フレイム、と聞こえたのだが、モモンガ殿はあの召喚モンスターをご存知なのか」
「勿論知っておりますよ。私の魔法の系統とは違いますが、敵対するかもしれない相手の情報を把握しておく事は勝利する為に重要ですから」
「耳が痛いな……私は対人の戦闘や訓練ばかりで、モンスターを相手にする事があまりないもので不勉強でな。もし宜しければ、どのようなモンスターかお教えいただけないだろうか」
「第三位階魔法で召喚される天使で、その名の通り剣に炎を宿しています。天使の中では弱い方ではありますが、魔力を込めた武器でなければ有効打は与えられません。失礼ですが戦士団の皆さんは魔法の武具はあるのでしょうか?」
その言葉に明らかに周囲がざわついた。俺何かそんな変な事言ったかな? と思っていたらクレマンティーヌに肩を掴まれる。
「魔法の武器なんて高価な物普通の兵士は持ってません……」
そっと耳打ちされた言葉に、己の発言のおかしさを悟る。やっぱりクレマンティーヌがいてくれてよかった、一人だったら頭のおかしい奴になってしまっていた。
「私は武技〈戦気梱封〉で刀身に魔力と同等の効果を発揮する戦気を宿すことができるが……他の者は……」
「それでしたら、犠牲を出さぬ為にも戦士団の皆さんは村の防衛に回られた方がよろしいでしょう」
「しかし! それではどうやって敵を……!」
「今日はクレマンティーヌにばかり働かせて、私はまだ働いていないのですよ。少しはいい所を見せないと立つ瀬がないと思っていたところです」
「な……モモンガ殿! まさかお一人で行かれるつもりか!」
「あの程度であれば私一人で十分です。相手に奥の手がありそれが対処不能なものなら負ける可能性もないではないですが……実力的には負ける要素が一切見当たりませんね。生け捕りがご希望ですか? 何人かは殺してしまうかもしれませんが。無論皆殺しがご希望という事であればもっと楽です」
相手は法国の特殊部隊だ、六大神が残した何かしらが奥の手として残されている可能性はないわけではない。できればその情報も収集したいところだがそんな時間はないだろう。あれ以上の戦力がないと仮定すれば普通に当たれば負ける要素のない相手でもある。
「…………自信家であらせられるのだな、モモンガ殿は」
「信用できないかもしれませんが、私の戦いを見て相手の手の内を知れると思えば戦士長殿にも益があるでしょう。まあ見ていてください、縄の用意をお忘れなく」
呆然とする戦士団の間を通り抜け、民家の外に出て村の正門を抜け真っ直ぐに歩いていく。途中で上位アンデッド創造のスキルを使い
「上空で待機し、向こうに見えているこの村を包囲している連中、陽光聖典、あいつらがこの場から逃げ出そうとしたら殺せ」
さて、お仕事の時間だ。どれだけ足掻いてくれるものか。
うっかりすると思考に素で魔王ロールが出てしまっている、気を付けなければいけないと思いながらモモンガは〈
陽光聖典が戦意を喪失した旨をエンリを通じて戦士長に伝え、戦士団が総出で捕縛にやってきた。
何人かは逃げ出そうとして
村に戻ると、村人達の暖かい歓迎を受ける。一人で向かったと聞いて心配したとエンリが少し怒っていたが、モモンガだって少しは働かないと格好がつかないというものだろう、それくらいは許してほしい。
村長に是非食事を、と誘われたがエンリのところでご馳走になる旨を伝え、クレマンティーヌと合流してエンリの家へと向かう。
今日は長い一日だった。こんなにも一気にイベントが押し寄せてこなくてもいいようなものだ。少しずつ来てほしい。何もなければないで暇を持て余すのは事実なのだが、今日はさすがに気疲れした。
空を見上げると、今にも降り注いでくるような満天の星空。ナザリックの第六階層の星空も素晴らしかったけれども、やっぱりこの空をブループラネットさんと見たかったな、とそう思う。
「綺麗な空だな」
「そうですか?」
「俺の世界では、こんな美しい星空は見られなかった。この美しさを享受できる幸せを噛みしめるべきだぞ」
「そういうものですかねぇ、まあ綺麗といえば綺麗なんですけど、空がこうなのは当たり前ですから今いちピンとこないです。ただ……」
「ただ? 何だ?」
「一人で見ても味気ないですけど、誰かと一緒に見上げてるってのは、悪くないなと思いました」
「そういうものか」
「そういうものです」
クレマンティーヌと夜空を見上げながらのんびりと歩を進める。ブループラネットさんと見たかったというのが本音だけれども、クレマンティーヌと見るのだって悪い気分じゃない。後でエンリやネムと一緒に見たらもっと楽しい気持ちになれるかもしれない。
この世界には星座ってあるのかな。そんなどうでもいい事を考えながら、カルネ村の中をゆっくりと歩いていった。