大田区のプロフィール
更新日:2018年2月28日
区名の由来
昭和22年(1947年)3月15日に、当時の「大森区」と「蒲田区」が一緒になって誕生したのが大田区です。その際、両方の一字ずつを取って命名されました。
大田区の前身である大森・蒲田の両区は、ともに昭和7年10月に、当時の東京市へ隣接する郡町村が編入された際に設置されました。
馬込、東調布、池上、入新井、大森の5つの町が大森区に、矢口、蒲田、六郷、羽田の4つの町が蒲田区になりました。
大田区の面積
60.83平方キロメートル(23区内第1位)
大田区の位置
東京都の東南部にあり、東は東京湾に面し、北は品川・目黒区に、北西は世田谷区に、さらに西と南は多摩川をはさんで神奈川県川崎市とそれぞれ隣接しています。
大田区役所本庁舎(大田区蒲田五丁目13番14号)のおおよその位置
- 北緯 35度33分41秒
- 東経 139度42分59秒
大田区の地勢
西北部の丘陵地帯と東南部の低地に2分され、丘陵地帯はいわゆる武蔵野台地の東南端にあたります。低地部は、海岸や多摩川の自然隆起と堆積によってできた沖積地と、それに続く埋め立て地からなっています。
海抜は、田園調布付近が最高で42.5メートル、南東に向かって次第に低くなり、低地部の高いところで約5メートル、海岸線や埋め立て地では約1メートルです。
大田区の歴史、沿革
海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置していることから、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったため、区内には大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在しています。また、水止舞や禰宜(ねぎ)の舞などの伝統芸能も数多く残されています。
江戸期は農漁村で、特に海岸の大森・糀谷・羽田地区では海苔(のり)の養殖(昭和38年まで存続)が盛んに行われました。また、東海道の街道筋にあたっていたため、人馬の往来でにぎわいました。大正期以降、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成し、京浜工業地帯の一部となっています。台地部は、関東大震災後住宅化が進み、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地です。臨海部は埋め立て地からなっており、空港をはじめトラックターミナルやコンテナふ頭、市場など物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。