システムに内在するリスクをチェックセキュリティ診断(脆弱性診断)
企業や組織のWebアプリケーション、各種サーバー、スマートフォンアプリケーション、IoTデバイスなどの特定の対象について、内外の攻撃の糸口となる脆弱性の有無を技術的に診断します。外部に公開す るシステムを安心かつ安全に維持するためには、定期的なセキュリティ診断が欠かせません。
March 14, 2016 12:00
by 牧野武文
6月9日日曜日、東部時間の午後2時、スノーデンの正体を明かす記事がガーディアンウェブ版に掲載された。「エドワード・スノーデンーーNSA監視活動の内部告発者」という見出しだった。12分のスノーデンのインタビュー映像も掲載された。
ベライゾンの記事、プリズムの記事よりも反響は大きかった。ガーディアンのウェブは映像を再生する人でパンクしかかり、ユーチューブにも転載したが、そちらでは数日で再生回数が300万回を超えた。
しかし、3人にその反響を味わっている余裕はなかった。すぐに世界中で、スノーデン探しが始まったからだ。グリーンウォルドはたびたびダブリューホテルの自室から、映像中継でメディアのインタビューに答えていた。ネットユーザーたちは、スノーデンの映像の冒頭にポイトラスが差し込んだちょっとした風景カット、そしてグリーンウォルドの部屋の照明の位置から、香港のダブリューホテルだということを特定していた。ネットユーザーが映像を手がかりにグリーンウォルドのホテルを特定するぐらいだから、NSAはとっくに特定しているだろう。ダブリューホテルのロビーはすでにメディアと野次馬と、そしておそらくはその中にNSAやCIAの職員が混ざりこんで満員電車のような状態になっていた。ザ・ミラにいるスノーデンまでたどり着かれるのも時間の問題だった。
ここで動いたのがウィキリークスのジュリアン・アサンジだった。このとき、アサンジは身動きがとれない状態になっていた。2人のスウェーデン女性に性的暴行を働いたという訴状がでており、ロンドンのエクアドル大使館から一歩も外にでられないようになっていた。
そこで、香港にいるウィキリークスの支援者である弁護士を、なんとかスノーデンに接触させて、彼の身の安全を確保し、安全な第三国に亡命させようとした。アサンジの接触は、スノーデンの身元が明らかになる前に始まっているので、なんらかの情報から、事前にスノーデンのことを掴んでいたのだろう。
アサンジの身動きがとれないために、ウィキリークスは「忘れられた存在」になりかかっていた。もう一度スポットライトを浴びたいという気持ちもあったのかもしれないが、アサンジは内部告発者を安全に第三国に逃すノウハウに関しては、世界一のプロになっていた。アサンジは、自分と同じように反米左翼政権であるエクアドルにスノーデンを亡命させようと考えた。香港からエクアドルの首都キトまで、スノーデンを連れてくることができれば、エクアドルに亡命させる手立てはつく。しかし、どうやって香港からキトまで連れてくるのか。アサンジは、エクアドル政府にスノーデンに対して外交官旅券を発行するように交渉し始めた。
そこにグリーンウォルドの知人から電話がかかってきた。すでにグリーンウォルドのホテルは特定されていて、遅かれ早かれスノーデンの居場所も特定されるだろう。その前に、弁護士をつけるべきだ。香港在住の有能な弁護士を2人つれていくから、ぜひ会いたいというのだ。
グリーンウォルドが同意して、ロビーに降りるため、部屋のドアを開けると、いきなり無数のフラッシュが浴びせられた。すでにグリーンウォルドの部屋まで特定されている。グリーンウォルドはメディアを追い払うために、ロビーの隅で15分ほどの簡単な記者会見を開き、スノーデンはここにはいないと明言した。ようやくダブリューホテルの混乱状態は収まった。
弁護士たちは、スノーデンを香港にある国連施設に連れていき、亡命者としての保護を求めようと考えた。それが難しいようであれば、香港に用意する「隠れ家」に潜伏させ、香港から安全な第三国への亡命を模索しようと考えた。
そして、スノーデンと弁護士は、ザ・ミラから消えた。香港市内の安全な「隠れ家」にたどりつくことができたが、それがどこであるかはグリーンウォルドやポイトラスにも知らされなかった。このとき、米国政府は香港政府に対し、スノーデンの逮捕と身柄引き渡しをすでに要求していた。スノーデンの逃亡生活が始まった。
香港政府は突然きわめてやっかいな問題をもちこまれたことになる。一国二制度により香港は自治権が認められていたが、国際問題の最終決定権は北京にある。米国との友好関係を尊重して、スノーデンの逮捕と身柄引き渡しに応じようとすれば、北京が横槍を入れてくることは目に見えていたし、民主化に熱心な香港市民は大反発をするだろう。かといって、北京に配慮して、身柄引き渡しを拒否し、スノーデンを北京政府の手に委ねるようなことをすれば、香港市民はやはり大反発する。さらに、この問題で、米中という2つの大国の関係が急速に悪化する可能性もあった。香港政府は実に厳しい判断をしなければならなくなった。
6月12日、スノーデンは隠れ家で極秘裏にサウスチャイナ・モーニング・ポスト紙のインタビューに応じた。そこで、米国が中国市民の盗聴を行っていることを暴露した。NSAは中国の携帯電話のショートメッセージを盗聴していたというのだ。北京の清華大学には大規模なネットワークセンターがあり、そこが中国のメッセージングのハブとなっているため、NSAは清華大学のセンターをハッキングしているのだという。
米国政府は、中国の人民解放軍特殊部隊が米国企業や公的機関に対してサイバー攻撃やハッキングをしていると、長年非難し続けてきた。一方で、中国政府も「米国政府も中国でハッキング行為をおこなっている」と反論していたが、世界は米国の言い分だけを信用し、中国政府の言い分を「たわごと」と決めてつけていた。しかし、スノーデンの暴露によって、中国政府の言い分にも理があったことが判明したのだ。
スノーデンが、このような暴露をおこなったのは、脱出戦略のためのひとつだった。滞在する国で、その国の市民のプライバシーが侵害されていることを暴露し、その国の市民を味方につける。そうなれば、その国の政府も、スノーデンに対し、冷たい仕打ちはできなくなる。
香港政府としては、スノーデンが勝手に出国してくれることを望んでいた。それも香港政府の落ち度が指摘されないほど鮮やかに香港政府の目をかいくぐって出国してくれるのがいちばんだった。
6月21日になると、米国政府はスノーデンを正式に起訴し、香港政府に再度、逮捕と身柄引き渡しを要求した。
スノーデンと弁護士たちは、アイスランドに亡命することを考えた。アイスランドは、世界で最も先進的なメディア関連の法律が整備されていて、内部告発者に対しても手厚い保護がなされるからだ。しかし、香港からアイスランドのレイキャビクにいくには、米国か欧州で乗り換えをしなければならない。これが大きな問題になる。しかし、エクアドルに亡命するのであればキューバやベネズエラといった反米国で乗り換えをしてたどり着けるので成算がある。ただし、この場合も、ロシアでいったん乗り換える必要があり、ロシアが米国に加担するか、それとも反発するかが不明だった。
6月23日、ウィキリークスのスタッフ、サラ・ハリソンが香港入りした。スノーデンと接触し、ロシアに脱出させることが任務だった。ロシアはウィキリークスに対して好意的だった。ウィキリークスは、米国の機密情報をやみくもに暴露しているのだから、ロシアが歓迎しないわけはない。そこで、スノーデンをまずロシアに脱出させ、そこからキューバまたはベネズエラを経由して、エクアドルに亡命させようとした。
しかし、このときすでに米国政府はスノーデンのパスポートを無効にしていた。国際法上は、スノーデンは香港を出国することができず、空港で拘束されることになる。米国政府は空港でスノーデンを拘束するように香港政府に依頼していた。
香港国際空港に現れたスノーデンは、エクアドル政府の通行許可証をもっていた。在英エクアドル大使館のフィデロ・ナルバエス領事が発行した正式なものだった。アサンジが発行の依頼をし、ハリソンがスノーデンに手渡したものだった。
香港政府は、米国からの身柄拘束依頼に対して苦しい対応をした。米国の依頼書類に何点かの不備があり、それを正してもらわないと受理できないとしたのだ。米国政府が修正をして再度依頼したとき、スノーデンはすでに香港国際空港の出国審査を終え、モスクワ行きのアエロフロート便に搭乗していた。
地上は大騒ぎとなった。米国の議員たちは、メディアに向かって声高にスノーデンを非難し、裏ではNSAやCIAの無能ぶりに罵声を浴びせた。アサンジは声明を発表した。スノーデンの脱出は、ウィキリークスの功績だと。飛行機代もウィキリークスが負担した。さまざまな助言も与えたと。「スノーデンは、チームウィキリークスの新しいスターなのです」。
スノーデンは、ロシアのシェレメチェボ国際空港に到着をした。ここで乗り換えをして南米に向かう予定だったが、空港は大騒ぎになっていた。無数の記者がスノーデンの写真を手に、香港からの到着便の乗客に「この人が乗っていませんでしたか?」と尋ねて回る。ロシアの諜報員も無数にいた。もちろん、NSAやCIAの職員もビジネスマンか記者を装ってそこにいただろう。
記者たちが収集した情報によると、スノーデンは翌日のキューバ行きアエロフロート便に乗る予定で、現在はトランジットエリア内にあるターミナルEのカプセルホテルにいるという。多数の記者が乗りもしない航空券を購入し、トランジットエリア内に入りこんだ。スノーデンが乗るとされたキューバ行きアエロフロート便は、あっという間に満席になった。空港内の警備員の数は通常の数倍となり、観光客がカメラで風景写真を撮ろうとするだけで、警備員が制止するようになった。
スノーデンとハリソンの席は、17Aと17Cであるという情報も流れた。アエロフロート機に乗りこんだ記者たちは、このふたつの座席を注視したが、出発数分前になってもスノーデンは現れず、このふたつの席は空いたままだった。携帯メールで「スノーデンは乗らない。降りろ」という指示を受け、離陸直前にアエロフロート機から降りることができた記者もいたが、中にはそのまま飛行機に閉じこめられて、キューバまでいく羽目になってしまった記者もいた。
ロシアのプーチン大統領は、スノーデンのことを「はた迷惑なプレゼント」と表現し、ロシア政府は「スノーデンはロシア領内にいない。ビザを発給していない。ロシアとスノーデンは無関係だ」という発表をした。国際空港のトランジットエリアは法的にはロシア領土の外なので、あいかわらずスノーデンはそこにとどまっているのだろう。しかし、トランジットエリアに入りこんだ記者たちも、スノーデンを見つけることができなかった。
この間、米国政府は裏側で猛烈な巻き返しをしたのだと思われる。各国の対応が急速に「反スノーデン、親米国」に動き始めた。スノーデンの拘束と身柄引き渡しを要求されたロシア政府は「スノーデンはロシア領内にいない。ロシア政府はスノーデンになんの興味ももっていない」と答えた。また、頼みの綱だったエクアドルも態度を変えてきた。スノーデンに発給した通行許可証は、ナルバエス領事の個人的な判断で発給されたもので、間違いであり、エクアドル政府としては取り消すという声明を出した。
つまり、スノーデンは、シェレメチェボ国際空港のトランジットエリアの外にでることができなくなってしまった。有効なパスポートがないので、国際便に乗ることもできない。かといって、空港の外にでるにはロシアの入国審査を受けなければならない。それにもパスポートが必要だ。
6月30日になって、スノーデンは空港のトランジットエリアの中から20ヵ国に亡命申請をした。フランス、ドイツ、アイルランドなどで、中国やキューバも含まれていた。翌日、スノーデンはウィキリークスを通じて、亡命を妨害する米国政府を非難する声明を発表した。
7月2日、ロシアで開催された天然ガス輸出国フォーラムに出席していたボリビアのエボ・モラレス大統領は、メディアに対し、「スノーデンからの亡命申請は受けていないが、もし申請があれば好意的に対応する」と答え、モスクワから専用機でボリビアへの帰国の途についた。しかし、この専用機は、フランスとポルトガルが上空通過を拒否し、次いでスペインとイタリアも上空通過を拒否したため、ウィーンに緊急着陸するしかなくなった。米国政府が「モラレス大統領の専用機にスノーデンが同乗している」という情報をつかんだため、欧州の空港に強制着陸させ、そこでスノーデンを拘束しようとしたのだった。しかし、スノーデンは乗っていなかった。ロシア政府が陽動作戦のために偽情報を米国政府につかませたのだとも、CIAのミスだともいわれている。
8月1日になって、ロシア政府から1年間の期限つきの滞在許可が下りた。空港のトランジットエリアから出られないスノーデンに対する人道的な措置だった。
ロシア政府は、米国との関係を考えてだろうか、スノーデンから情報を引きだそうとはせず、スノーデンは落ち着いた生活ができているようだ。その後、やはり人道的な措置として、ロシアへの滞在許可が延長されている。しかし、スノーデンの最終的な落ち着き先はまだ見つかっていない。
スノーデンは、「内部告発をして米国の民主主義を守ろうとしているのに、非民主的なロシアに滞在しているのは矛盾ではないか」と問われると、素直にその点は問題があることを告白している。そして、最終的には米国に戻りたいのだという。米国に戻り、自分の行動が法に触れる点については、裁判を受け、適切な罰を受けたいという。しかし、現在の米国の状況では、公正な裁判が受けられないので、米国に戻る選択肢は今はとれないという。
残された道は、亡命を受け入れてくれる国を探すことだが、それも現在のところ見つかっていない。「私は正しいと思うことをし、この不正を糺すための運動を始めました。お金を儲けようとしたわけでも、米国の機密情報を売ろうとしたわけでもありません。身の安全を保証するため、外国政府と手を結んだわけでもありません。私はただ自分が知っていることを人々に伝え、私たちみんなに影響することなのだから、それを私たちみんなで堂々と議論できるようにしたかった。正義を実現したいと思いました」。
「鉄拳」などのゲームから学んだ正義感をもったスノーデンは、世界のどこにも自分の居場所を見つけられずにいる。
2015年になって、スノーデンは再び動き始めた。ロシア・トゥデイ紙を通じて、再び内部告発を始めた。2015年9月、スノーデンは「ビン・ラディンは生きている」という衝撃な発言を行った。ビン・ラディンは9.11などの多くのテロの首謀者とされる。2011年5月2日、米海軍特殊部隊がパキンスタンでビン・ラディンの殺害に成功したと報道されたが、スノーデンの発言はこれを覆すものだった。
スノーデンは、「ビン・ラディンは生きていて、バハマの首都ナッソーで豪華な暮らしをしている。CIAから毎月10万ドルの給与を受けとっているからだ」と発言した。そんな馬鹿なと思われる方もいるかもしれないが、ビン・ラディンが名前を変え、ひげを剃り、非イスラム的な服装をしていたら、だれも気がつかないだろう。
さらに、ビン・ラディンはCIAに協力していた時期もある。1979年、当時のソ連がアフガニスタンに侵攻したとき、ソビエト軍と戦うビン・ラディンを米国政府は支援をしたのだ。
しかし、ソ連がアフガニスタンから撤退すると、ビン・ラディンは手の平を返すように反米に転じた。手の平を返したというよりも、元々イスラム世界を侵す勢力に反発していたのであり、ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するために、米国やCIAを利用したという方が正しい。
米国政府が長引くテロの恐怖にピリオドを打つために、ビン・ラディン殺害の芝居を打ち、ビン・ラディンを保護しているというのも考えられない話ではない。わずか月10万ドルなのだから安いものだ。ビン・ラディン殺害時の写真は、当時から捏造を疑う声がでており、ネットでは合成元とされる写真まで特定されている。真実はまったく闇の中だが、スノーデンがこの期に及んでまったくのホラを吹く必要もないことから、この発言を信用する人もいる。
2015年9月29日には、スノーデンが突如、ツイッターのアカウントを取得した。数日でフォロワー数は130万人を超えた。ツイッター認定の公式アカウントなので、本人であることがほぼ確実だからだ。世界中が、今度はツイッターでスノーデンがなにを暴露するのかを注目している。
その後、滞在許可は延長され、現在スノーデンのロシア滞在期限は2017年7月となっている。期限がきても、状況が変わらなければ再延長される可能性はあるが、スノーデン自身がロシアに滞在することを正しいことだとは考えてなく、あくまでも緊急避難先だとしている。スノーデンは、そろそろ動いて、状況を変える努力をしなければならなくなっている。
スノーデンがNSAの内部情報をどれだけ持ち出したのかははっきりしていない。まだまだ重要な内部告発のネタをもっていることも考えられる。スノーデンは、それを利用して、自分の最終的な居場所を見つけようとするだろう。スノーデンの最終目標は、祖国である米国に戻り、公正な裁判を受けることだ。公正な裁判を受けられる環境づくりのためにスノーデンは活動を開始している。しかし、今現在は、スノーデンの居場所はどこにもない。スノーデンの物語は、まだ終わっていない。現在進行形の物語なのだ。
(敬称略/全6回)
参考文献
「スノーデンファイル」ルーク・ハーディング著、日経BP社刊
「暴露」グレン・グリーンウォルド著、新潮社刊
「PRISM事件」茂田徹郎著、技術評論社刊
「スノーデンは正義の味方なのか?」エドワード・ルーカス著