システムに内在するリスクをチェックセキュリティ診断(脆弱性診断)
企業や組織のWebアプリケーション、各種サーバー、スマートフォンアプリケーション、IoTデバイスなどの特定の対象について、内外の攻撃の糸口となる脆弱性の有無を技術的に診断します。外部に公開す るシステムを安心かつ安全に維持するためには、定期的なセキュリティ診断が欠かせません。
February 22, 2016 10:00
by 牧野武文
前回記したとおり、米国では内部告発が民主主義のバランスをとるための装置として機能してきた歴史がある。しかし、当然ながら内部告発者に対しては「裏切り者」「反愛国者」「売名行為」という侮蔑も付いて回り、すべての内部告発者が歓迎されるわけでもない。
2010年、イラク駐在の情報分析官であったブラッドリー・マニングは、イラクやアフガニスタンの空爆映像、さらに25万件の米国外交公電、50万件の陸軍報告書を、ジュリアン・アサンジが主催する「ウィキリークス(WikiLeaks)」を通じて暴露した。
マニングが提供した情報で最も世間に衝撃を与えたのは、2007年にイラクのニュー・バグダッドで撮影された動画、「Collateral Murder=付随的な殺人」と名づけられたものだ。米軍は軍事施設を中心に爆撃などを行うが、精度の問題で非軍事施設にも被害を与えてしまい、民間人の命を奪ったり、重症を負わせてしまうことがある。これを米軍は「Collateral Damage=付随的な損害」と呼んでいた。この言葉には「正当な攻撃を行う上で、仕方のない必要最小限の損害」といったニュアンスがある。ウィキリークスは、この「付随的な殺人」動画を公開して、「民間人の殺害も仕方のない被害だというのか」という皮肉を込めた。
この動画は、飛行中の米軍の攻撃ヘリ・アパッチから撮影されたもので、路上を歩いている12名の民間人を捕捉するところから始まる。中には『ロイター通信』の現地カメラマンもいて、数人が肩からカメラを下げていた。しかし、ヘリ搭乗員と基地での通信では「AK47(アサルトライフル)を持っている数名を確認」という会話がなされ機銃掃射を開始。一瞬で11名が死亡、残りの1人も自力では動けないほどの重傷を受けた。
そこに不幸にも黒いミニバンが通りかかった。運転手は驚き、停車し、負傷者を車内に連れこんで助けようとした。騒ぎを耳にして駆けつけた男性2人もそれを手伝った。米軍戦闘員は、これを「仲間が救助にきた」と報告し、機銃掃射の許可を願いでる。基地の判断は早く、わずか数秒で「クリア」と許可。重傷者と運転手が即死し、さらにミニバンの中には10歳の男の子と5歳の女の子が乗っており、2人も重傷を負った。この運転手は、子どもを学校に送る途中で、負傷者を発見し、救助しようとしただけだった。世界中が、戦闘行為とは関係のない虐殺を映像で目にすることになった。
世界に震撼を与えた動画「Collateral Murder」
40年前のエルズバーグは、米国の英雄として、民主主義を守った男として、国民から支持されたが、マニングの場合には風向きが違った。メディアにもややもすると「裏切り者」「反逆者」として批判する論調が見られた。
理由のひとつには、外交公電を内容を吟味せずにとにかく暴露するという荒っぽいものだったことがある。「民主主義を守りたい」「政府の不正を糺したい」という意図が感じられず、ただ「暴露したいから暴露した」という印象を受けた人もいた。また、マニングの場合には、既存メディアを無視し、いきなりウィキリークス経由で暴露したということも大きかった。
ブラッドリー·マニング (2012年撮影)
メディアの中には、自分たちの存在感が低下するという俗物的な反感を持った人もいただろう。真っ当なジャーナリストであっても、「生の情報をただ暴露しても、市民にはその意図がわかりづらい。プロのジャーナリストが間に入って、整理をし、解説を付ける形で公表しないと、世の中を糺すことにつながらず、ただの騒動になってしまう。ましてや外交公電の無制限な暴露は、米国の国益を失わせるだけのことになってしまう」と考える向きも少なくなかった。
結局、マニングは22件の違法行為で起訴され、2013年8月に懲役35年の刑を宣告された。この日、マニングは「今日から女性となる。名前もチェルシー・マニングに改名する」と宣言。子どもの頃から性同一障害に悩み、自分は本来は女性であると思っていたのだと語った。このことも印象を悪くした。性同一障害に理解のある米国民も、なぜ判決言い渡し日という注目の集まるタイミングで、性転換宣言をするのかと訝しがった。つまるところ、マニングは自分が注目されたいがために暴露をおこなったのではないか、という印象だけが残った。チェルシー・マニングは、現在でもカンザス州レブンワース軍事刑務所に女性として収監されている。
このことからも、米国世論は内部告発ならなんでも歓迎するわけではなく、それが社会をより良くすることに繋がるのであれば歓迎し、内部告発者を英雄として称えることが分かる。一方で、国益を損なうような内部告発、売名行為のような内部告発、情報テロのような内部告発に対しては厳しく、情報を発表した人間に「裏切り者」という厳しい罵倒を浴びせる。
では、スノーデンの内部告発はそんな厳しい米国市民の目にどう映り、白日の下に晒された機密情報は、その後の米国をどう変えていったのだろうか。米国諜報機関が生んだ一人のハッカーの葛藤が、世界をどう変えていったかについて記していきたい。
人は、子ども時代になんらかのロールモデルを見つけて、それを模倣することで人格を築いていく。中世までは、近くにいる大人を手本に成長していっただろう。大人とは、その地域コミュニティの中で周囲から承認された存在だ。子供はその承認済みの存在にあてはめるように自分を成長させることで、地域コミュニティの中での居場所を確保する。
しかし、メディアが発達すると事情が異なってくる。小説の中の登場人物を模倣して成長する子供が登場し始めたのだ。そのような子供は、自分が生まれたコミュニティに違和感を感じることもあり、「大きくなったら、どこか遠いところにいってみたい」といった「大志」を抱くようになる。
さらにメディアが進化していくと、子どもたちが模倣するお手本は、映画だったり、テレビドラマだったり、果ては漫画やゲームの中の登場人物にまで広がった。このようなエンターテイメント・フィクションに登場する人物たちは、作者が創造したもので、極端に純化されているケースが多い。スピード違反ですら重大な犯罪だと考える偏った正義感をもった人物だったり、他人に対する優しさをすべて捨てた冷血な悪人だったりする。このような純化された人物をロールモデルとして成長した子どもは、地域コミュニティの中に居場所を見つけられないのはもちろん、世界中のどこにも居場所を見つけることができない可能性すらある。
エドワード・ジョセフ・スノーデンは1983年6月21日、米国ノースカロライナ州エリザベスシティーで生まれた。父は沿岸警備隊職員、母は連邦裁判所の職員だった。スノーデンは病気がちで、学校を数ヵ月休むことが何度かあった。さらに両親の不仲による諍いが加わり、スノーデンは高校を卒業できず、16歳のときにアナランデル・コミュニティーカレッジに入学。そこでコンピューターのコースをとり、そこで高卒資格を取得した。
18歳のとき、両親の離婚が成立し、母とスノーデンはメリーランド州エリコットシティに引っ越した。車で約15分の距離のところに、通称シギントシティと呼ばれる場所があった。フォートミードの広大な田園の中に、突如として緑色の巨大な立方体のビルが見え、屋上には見たことがないアンテナが乱立。巨大なゴルフボールのようなレーダードームも見え、敷地は電気柵で囲まれているところだ。そこは、NSA(National Security Agency、国家安全保障局)の本部だった。
NSAは1949年に創立された軍保安局が出発点だが、次第にCIA(中央情報局)がヒューミント(人間による諜報活動)を受け持つのに対して、NSAはシギント(信号による諜報活動)を受け持つようになり、その存在は長い間秘匿され続けた。そのため、NSAは「No Such Agency(そんな機関は存在しない)」の略であるというジョークも生まれている。
すぐ近くにシギントシティーがあるという環境で暮らしながら、高卒資格しかない無職で20歳のスノーデンは、諜報活動とは無縁のコンピューターオタクだった。毎日インターネットに没頭し、日本のゲーム「鉄拳」がお気に入りで、女性の好みはアジア人だった。自分でも独学でカンフーの練習をしていた。
スノーデンは、この頃ネットデビューを果たした。TheTrueHOOHAというハンドルネームで、ウェブサイト「アルス・テクニカ」に書き込むようになったのだ。内容はごく一般的なもので、ウェブサーバーの設定方法について質問をしたり、大麻を栽培するオーストラリア人に支持を表明したりしていた。ときには、他の書きこみをしたネットワーカーに「うすらばか」「クソ野郎」という暴言を投げつけることもあった。「僕は学位もないし、メリーランドに住む資格もないMCSE(マイクロソフトソリューションエキスパート)。要は失業者だね」と自己紹介をする書きこみもしている。
2004年5月、21歳になったスノーデンは米陸軍の特殊部隊に突然入隊した。特殊部隊の訓練はとびきり厳しいが、その代わりまったく未経験の人間であっても、やり遂げればエリート兵になれる道が用意されている。スノーデンは、高卒資格をとって以来のキャリアの空白を、特殊部隊に入隊することで、取り戻そうとしたのだ。そして、ジョージア州フォートベニング基地に配属された。
しかし、軍隊の水はスノーデンには合わなかったようだ。スノーデンはそもそもひどい近視であったし、軍隊には思想などなく、ただアラブ人を撃ち殺したいだけというような人間が多く、スノーデンの感性と合わなかったようだ。歩兵訓練の最中に足を骨折し、それがきっかけで軍から解雇されてしまう。
軍でも落ちこぼれてしまったが、このキャリアはスノーデンにとって大きな勲章となった。メリーランド大学先端言語研究所のセキュリティースペシャリストの職を得ることに繋がったからだ。ここは研究所といっても、大学の機関ではなく、NSAの機密施設のひとつだった。当時のスノーデンに特別高い技術があったわけではないが、軍出身者ということで採用されたようだ。
さらに、23歳でCIAに採用された。スノーデンは有頂天になった。高給をもらい、海外出張も多い。海外出張では一流ホテルに宿泊できる。高校中退のニートが、軍隊経験をしたこと、コンピューターが好きだったことで、労働者としては最高の待遇を得ることに成功した。
アルス・テクニカの中でのTheTrueHOOHAは、この頃からきわめて「嫌なヤツ」になっていった。「僕は学位もないし、高校も中退だけど、君らよりは稼ぎはいい。本物の職にありついたからね」。スノーデンは、自分がCIAに就職できたのは、米国のイラク侵攻があったからだと考えていた。テロリストを撲滅するため、ブッシュ政権は情報戦に力を入れている。だから大量の人員が必要とされ、自分もCIAの職が得られたのだと考えていた。スノーデンはこう書きこんでいる。「戦争に感謝」。
24歳のとき、スノーデンはスイスのジュネーブに派遣された。通信情報システムのエンジニアとしてだ。ジュネーブ時代は、スノーデンの最も華やかで、充実した時期になった。ベッドルームが4つもあるアパートが与えられ、ダークブルーのBMWも新車で購入した。TheTrueHOOHAは美しいスイスでの暮らしをわざわざみんなに披露して、「絵葉書の中に住んでいるようだ」と紹介している。周囲がTheTrueHOOHAの華麗なセレブ生活に「すごい!」と驚嘆すると、TheTrueHOOHAは「まあね。今のところは最高にクールだよ」と答えている。
確かにスノーデンの暮らしは最高にクールだった。BMWを改造してスピードリミッターを外し、高速道路を疾走する。速度違反や駐車違反の切符を切られても、外交特権を盾に罰金を支払わずに済んだ。休日には、ボスニア、ルーマニア、スペインに旅行し、その土地の食べ物と女の子を堪能した。
TheTrueHOOHAの書きこみは、次第に自己肥大した鼻持ちならないものになっていった。誰かが失業率の高さを問題にすると、TheTrueHOOHAはあっさりと否定している。TheTrueHOOHAによると、高い失業率は資本主義を正しく補正するために必要なものなのだという。「1900年以前は、ほぼ全員が自営業者だった。12%程度の失業率などまるで問題にならない」という、論理が成立していない、ただ強気で、弱者に厳しい発言を繰り返した。さらに、スノーデンは社会保障制度の拡充にも反対だった。「人は困ったからといって、国に助けを求めるべきではない」というのだ。この発言は炎上しかけたが、TheTrueHOOHAはさらに攻撃する。「大人になって税金を払うようになれば、あんたにもわかるさ」。
典型的な嫌なヤツだ。自分が成功していることを鼻にかけて、他人を見下す。大人であれば、そういう考え方が世間でどう受け止められるのかを考え、自分の考えを披露する場所と時を選ぶものだが、TheTrueHOOHAは掲示板で声高に披露したくなってしまう。24歳という若さと望外の成功ぶりを考えればしかたのないところもあるが、TheTrueHOOHAはアルス・テクニカの中で次第に浮いた存在になっていった。
この頃のスノーデンの態度は、日本の「ネトウヨ」に通じるものがある。米国の国益を守ることが崇高なことで、社会的な弱者はすべて自己責任として切り捨てようとし、見下す。
『ニューヨーク・タイムズ』紙が、イスラエルが秘密裏にイランの攻撃を計画しているというスクープ記事を報道したときは、TheTrueHOOHAは激怒に近い怒り方をしている。こんな記事が報道されたら、米国の対イラン政策にも支障がでて、米国の国益を損ねるというのだ。このような反愛国的な報道をするニューヨーク・タイムズ紙を激しく非難した。「これじゃあ、ウィキリークス以下じゃないか!」。
TheTrueHOOHAのメディア判定基準はウィキリークスだった。ウィキリークスは国益を無視して、ただ暴露をするだけのクソ野郎だった。国益を損ねる報道をするニューヨーク・タイムズ紙は、ウィキリークス以下のクソ野郎——それがこの頃のスノーデンだった。
(敬称略/全6回)