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2019-08-12

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・父親に怒られたことは、あまりない。
 つまり、何度かは怒られたということなのだけれど、
 その記憶は二度あって、いまでも忘れていない。

 ひとつは、ラジオ体操に行く道で、
 他所の家の庭に実っていた「ゆすらご」をとったとき、
 それを目撃した父は「息子が盗っていた」ことを、
 かなりの大声でたしなめ、叱ったのだった。
 たかが「ゆすらご」を鳥のようにつまんだだけで、
 それほど怒られるとは思っていなかったので、
 まずはびっくりするのが先だった。
 とにかく「どろぼう」をしたと言われたことが、
 ほんとうに恐くて、大泣きしながら歩いた。
 夏休みのある日、起き抜けのねぼけた時間だったが、
 忘れることはできない思い出になっている。

 もうひとつは、混んだ汽車に乗って
 どこかへ出かけようというときのことだった。
 子どもの背丈のぼくは、車内に乗り込むやいなや、
 貴重な空席を見つけて、すばしこくそれを確保した。
 じぶんとしては小さな子どもなりに、
 多少のお手柄を立てようとしたつもりだった。
 そのときは「みっともないことをするな」と言われた。
 ぼくは、座席の「争奪戦」というゲーム
 くらいに考えていたのだと思うが、
 父親の考えでは、「見苦しい席の奪い合い」だった。

 どちらも、そんなふうに怒られなかったら、
 じぶんとしては「まちがい」と思ってなかったことだ。
 しかし、父が「あれほど怒った」ということで、
 ぼくは、もうしないと決めたし、
 それがいけないことだとこころに刻むことになった。
 このことは、どこかでも書いたことがあると思うのだが、
 いま、また書きたくなったのには理由がある。
 父親が、もっと、しょっちゅう怒っている人だったら、
 ぼくは、たいがいの怒られた思い出を忘れていただろう。
 と、そんなことを、いまごろになって思ったのだ。
 「怒らない人が怒る」からこそ、衝撃的だった。
 思えば、ずいぶんと効果があったものだ。
 あまり怒らないことは、ぼくもそうしているつもりだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
他界してからの父のこと、ずいぶん好きになっているなぁ。


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