一面「米語ニ堪能」在住調査、本土決戦へ準備か 秘密文書、長野で確認
終戦一カ月前の一九四五(昭和二十)年七月、長野県から県内市町村に、日本軍の照会で、英語を話す米国移民の二世が在住しているかどうか調べるよう秘密指定の文書で指示していたことが分かった。当時の日本軍は米軍との本土決戦に向けた準備を進めており、自治体側もそれに組み込まれていたとみられる。専門家は戦争末期の日本の実態把握に近づく貴重な史料と指摘する。 文書は、長野県旧中川村(現松本市など、現中川村とは別)と旧今井村(現松本市)の「庶務関係書類綴(つづり)」にある「二世調査ニ関スル件」。同市文書館に所蔵されている。 同県松筑(しょうちく)地方事務所長が四五年七月八日、管内の市町村長に対し「作戦上緊急必要ノ趣キヲ以(もっ)テ軍ヨリ照會(しょうかい)有」とし、在住する「米語ニ堪能ナル二世」の調査を要請。該当者の氏名や職業、日本国籍を得た年月日などを一週間後の十五日までに回答するよう求めた。同様の指示は県内全市町村に出た可能性が高い。 文書を確認したのは、国文学研究資料館の加藤聖文(きよふみ)准教授(日本近現代史)。同文書館で終戦時の公文書廃棄に関する調査をしている際に発見した。長野県以外で同様の調査が行われていたかは不明。終戦時の焼却や戦後の市町村合併などで、自治体の公文書は多くが廃棄されている。全国に残る戦時の文書を調べている加藤氏が今回のような文書を確認したのは初めて。 戦争末期の長野県は、皇居や大本営を移す「松代大本営」工事が進められ、本土決戦の最終拠点。この文書が出たのは、沖縄で組織的な戦闘が終了してからわずか半月後で、本土決戦の現実味がより高まっていた時期と重なる。 二世調査について、加藤氏は「長野県内で本土決戦の準備を本格的に進めた一環と考えるのが自然だ」と指摘。本土での戦闘になった場合に米軍の情報収集や捕虜の尋問に当たるためと推測する。 同県の資料によると、一九〇二(明治三十五)年から、排日移民法が施行された二四(大正十三)年までに二千人近くの県民が米国に渡航。移民二世がその後、日本に移り住むことは一般的に珍しくなかった。 中川村の文書では、七月十七日に該当者なしと回答したことが赤文字で書かれている。今井村の文書では回答したか判別できない。 加藤氏は「本土決戦に関しては、米軍の上陸に備え、千葉・房総半島などで陣地を構築したことなど軍側の動きはよく知られているが、自治体側の動きはほとんど分かっていない」と説明。今回の文書は「どういう形で国民が本土での戦いに巻き込まれつつあったのかを伝えている」と話す。 ◆移民二世探す貴重な文書<太平洋戦争当時の歴史に詳しい波多野澄雄・筑波大名誉教授(日本政治外交史)の話> 終戦直前に、英語に堪能な移民二世を探していたことは初めて知った。長野県内だけの指示かどうかは分からないが、沖縄戦直後で、本土も戦場になることが想定された時期だけに、文書にある「作戦上緊急必要」は本土決戦への準備以外は考えられない。軍と政府、地方が一体となり本土決戦に向けた態勢をつくろうとしていたことを示す貴重な文書だ。 (関口克己) 今、あなたにオススメ Recommended by PR情報
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