二章 ユースティアが俺に奉仕し始めるまで 05

 ルーカスの全財産が入った、引落し専用の通帳。


 それを渡す代わりに、ルーカスは両親に二つほどのお願い――条件を提示した。ルーカスの両親は、きっと自分たちを間違いなく恨んでいるであろうルーカスが、瞳に復讐の炎を滾らせながら言った言葉に、冷や汗が流れるのを感じる。


 空間に一触即発の緊張が流れる中、ルーカスはマズい紅茶をコトリと置いてふぅと息を吐く。


「――と、その前に。ユティを見掛けないけどどうしたの?」


「ゆ、ユティ? ユティなら、今は部屋に居て貰っているわ。でも、ルーカスが彼女を追い出したいって言うんだったら、今すぐにでも――」


「まさか! 追い出すだなんてとんでもない! ――寧ろ、俺はユースティアに会いたいんだよ! ほら、俺がこの家を出て行く前は、ユティとは仲良くしていたから」


 ルーカスの白々しい演技に、両親は思う。――相変わらず、何を考えているのか解らない不気味な子供。


 彼を追い堕としたユティに復讐したいのか、それとも未だに義妹としてかわいいと思っているのか。

 どちらにしても、ユティは気味の悪い目に遭うに違いない。残虐な拷問を受けるのか、偏執的な寵愛を受けるのか和解らないけれど、どちらにしても、想像するだに吐き気がしてくる。


 両親は思った。


 あながち、三年前の強奪未遂はユティの嘘ではなく本当にあった事ではないのだろうか? と。


 しかし、両親はユティをルーカスに会わせる――いや、差し出すと決心したのは数秒の時も必要なかった。

 正直、強姦の件が嘘か誠か、ユースティアがどんな目に遭うかなんて彼らには関係ないのだ。


 ただ、ユティの身柄とルーカスの全財産。それらを天秤に乗せた時に、後者に傾く時間は、そう掛からないのが必然。

 母はユースティアを呼び出しに行った。



                    ◇



 久し振りに会ったユースティアは以前にも増して随分と可愛らしく成長していた。


 子供からの相変わらずな、あどけない天使のような風貌。長く手入れの行き届いたさらさらの茶髪。

 しかし三年前よりも少しだけすらりと伸びた手足と、出てき始めた女性としての特徴。手のひらに収まりそうな膨らんだ胸と色っぽく艶のある唇。


 女児、三年会わずんば刮目して見よ。それは最早別人である。


 三年間猫を被り続け、健気な少女を演じ続けて、それでいて毎晩枕にルーカスへの呪詛恨み言を吐き続けたユティは、ルーカスにとって非常に魅力的に映った。


 Sランク冒険者である『誰にも殺せない』彼を今に今にと殺してやらんとする殺気が、猫かぶりの笑顔から染み出てきて――それが何よりも、彼女を色っぽく映えさせていた。


「久しぶりです。義兄さん」


「義兄さんだなんて、他人行儀な。いつかのように、お義兄ちゃんと呼んでくれよユティ」


 嘲笑うように頬を歪めるルーカスの白々しい会話に、奥歯をかみ砕かんばかりの憤激を感じながらユティは笑顔で返答する。


「そ、それでルーカス。一つ目のお願いと言うのは――」


「あぁ、うん。俺、一人暮らしをしているんだけど、腐ってもSランク冒険者だし……そろそろ専属のお世話係を付けたいなって思ってたんだよ。

 でも、俺、相変わらずの人見知りで――その点、仲の良かったユティなら問題ないかなって」


「それはつまり、私に、義兄さんの下女として奉公しろと仰いたいのですか」


「まぁ、とどのつまりそう言うこと。嫌? 俺の所でご奉仕するの」


 ルーカスはユティの顎をくいっと持ち上げながら、ニヤニヤと気色の悪い――愉悦と優越感のこもった笑みを漏らす。

 両親はそんなルーカスを気色悪いと思いなあらも、「あぁ、それで構わない――」そう言いかけた時に、ユティはルーカスの手を強く叩いた。


「嫌! 嫌に決まっているでしょう! ――三年前の義妹のちょっとした悪戯をネチネチと引き摺って、今更復讐しに来たって、義兄さん、そんなの女々しいったらありゃしないですか!

 アレはもう終わった話です。解ったら今すぐ帰って――」


「おい、ユティ。貴様兄に向かって何てことを言うんだ!」


 ユティは決壊した。毎日、ルーカスの呪詛を吐き続け、内心に募り続けていたストレスと恨み。

 罵られ、蔑まれ、信頼を失い、それでも健気に行きようとするユティを――その整いすぎた養子も相まって、気味悪く思う人間は多かった。


 それでも、そのヘイトを全てルーカスに向ける事でどうにか保っていた自我が、化けの皮が、その全ての憎悪の対象であり、諸悪の根源であるルーカスの一言で決壊し、剥がれ堕ちていく。


 十五歳の少女には抱えきれない、制御しきれない感情。


 そんなユティの内心は関係ない。ただ、ルーカスの機嫌を損ねるわけにはいかないルーカスの父親は、怒鳴りながらユティに殴りかかるが、ルーカスに止めらる。


「俺は全然気にしてないよ、父さん。ユティは反抗期なんだ。こう言う事だって許してあげなきゃ」


 そう言いながら「終わった事」「女々しい」ユティに言われた罵詈雑言を脳内で反芻し、これからこの女をどうやって可愛がってやろうかと、黒い笑みを浮かべながら、とりあえず、ユティの頭をぽんぽんと撫でる。


 無駄に力強く、無駄に安心と安らぎを与える義兄の手に撫でられて、ユティはギリギリと血涙を流さんばかりの勢いで、歯ぎしりをした。


「それと、二つ目の願い。出来ればもう、俺に手紙を送るのは止めてね?」


 そう言いながら、ユティをお姫様だっこの体で抱え、手に持っていた――ルーカスの全財産が入った通帳を、床に放り投げて、ルーカスは三年ぶりの屋敷を出て行った。


 ユティは抵抗せずに――否、許されずに。


 魔法の絨毯のエレベーターで、ルーカスの空中戦艦に連れられていく。

 飛べない彼女では、この戦艦を自由に出入りする事は叶わない事を、悟りながら。



                     ◇



 ルーカスの両親は、ルーカスが出て行ったのを確認してからソワソワと、ルーカスの通帳を拾う。


 世界最高峰のSランク冒険者の全財産。きっとルーベルグ家を立て直して、一生豪遊したとしても使い切れないだけの巨万の富。

 いくら聡明で、中身が知れずとも、ルーカスは所詮子供。


 ちょっと挑発してやれば、あっさりとルーカスは全財産を投げ出した。


「こんな親に借りを残したくない」そんなルーカスの思いを彼らはありありと感じ取っていた。

 だからこそ、バカな子供だと思う。あのルーカスにとっては、三年で稼いだ、それこそプライドに比べれば安い金額でも、嫌いな自分たちが一生遊んで暮らせる巨額の金なのだ。


 流石に、ルーカスを一度信じ切れずに追い出した手前、ルーカスの通帳の中身を彼の目の前で確認する事は――彼が機嫌を損ね、帰ってしまう事を恐れて、出来なかったが、しかし、ずっと気になっていたのだ。


 何十億か何百億か。もしかしたら何兆という可能性だって。


 期待に胸を膨らませながら、通帳を開帳し残高を見る


 残金――200エーン。


「「二百エーン!?」」


 今時子供のお小遣いにもならない端金の表示と共に、ハラリと、魔素のこもるカード――ルーカスの『お土産』がハラハラリと落ちていく。


 彼らは呆然としながら、半ば無意識的にそれを拾い上げ、開けると、楽しそうに笑うルーカスの立体映像がカードに浮かび上がった。


「ねえ、どんな気持ち? バカな子供を騙して、お金を毟り取れたから一生遊んで暮らそうとわくわくしながら開いた通帳の中身が経った200エーンぽっちだったって、一体どんな気持ちなの? ねえ! ねえ!」


 二人は衝動的に、ルーカスのお土産を破り裂き、通帳をゴミ箱に捨てた。



                  ◇



 ――その後、金銭的にも信頼的にも交友関係的にも崖っぷちにたたされていたルーベルグ家は持ち直す事なく間もなく没落。

 ルーカスの父は間もなく絶望に耐えきれず、首を吊って自殺し、母は諸々のショックによって気をやり、そのまま誰に助けられる事なく衰弱していき、二人は、5年後旧ルーベルグ家の屋敷を買った商人によって白骨死体として発見された。

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