二章 ユースティアが俺に奉仕し始めるまで 01
実家を追放されてから三年と少しの時が経つが、未だに全く景観の変わらない貴族街に、おおよそ一月ぶりくらいに、訪れていた。
十七歳になったルーカスは今や唯一無二のSランク冒険者。
顧客の殆どは公爵以上の大貴族か、王族。或いは国家そのものからの依頼が殆どを占めていたが、ルーカスはある目的のために、地元である王国の、特にこの貴族街に住む法衣貴族たちの依頼は積極的に受けるようにしていた。
身長は180cmほどに伸び、全体的に線こそ細いもののどこか破壊的な雰囲気を帯びた引き締まった身体には、今まで倒した魔物の魂が、身体能力として封じ込められているようだった。
或いは、その、冒険者にしては細身な彼に秘められた龍を超えんばかりの莫大な魔力が彼の存在を幾分にも強力無比に見せているのかもしれない。
ルーカスは今回の依頼主であるフェルメール侯爵と、屋敷の応接間にて対面していた。
紅茶をすすり、出された茶菓子をのんきに嗜むルーカスと、失礼があってはいけないと冷や汗を流しながらゴクリと生唾を飲むフェルメール侯爵。
空間に、緊張が走る。ルーカスは素知らぬ顔をして、ティーカップを置いた。
コトン。
「それで、今回の依頼は病気の娘さんを治して欲しいとの事だと伺いましたが」
「え、ええ! 数々の医者に診せたのですが、皆一様にさじを投げまして……。金なら、金ならいくらでも惜しみません! だから、どうか。どうか娘を助けてやってはくれませんか!?」
ルーカスは目を細めて、侯爵を見る。
「……俺は医者ではありませんし、病気や薬学に精通しているわけでもありません」
「そ、それは……」
「ここに、万能薬と言われるエリクサーがあります。貴方の娘さんに効果があるとも解りませんし、もしかしたら効かない可能性だって十分にあり得ます」
「だとしても、構いません。後生です、その薬を私に譲ってはくれませんか?」
「50億。材料費や調達費に加えて、腕の良い調合師に作って貰ったので――50億エーンで売りましょう」
エリクサーはルーカスにしか調達できない素材を、件の腕の良い調合師しか調合できないオンリーワンの品である。故に、相場はない。
とは言え、ルーカスと調合師がそれぞれ毎朝のカンフル剤と飲める程度にはストックもあるので、その値段だと完全に暴利なのだが――どんな病でも治せる『かもしれない』薬エリクサー。病人の足下を見るのなら1000億でも売れる恐ろしい薬だ。
「ご、五十億――仮に全財産を叩いて、屋敷を売って、それに私の持つ利権を全て手放せば……何とか買えそうだ。ルーカス様……必ずお金は工面致します。
高が私の全財産を全て叩くだけで娘の命が助かるのなら、安いものだ。
是非、私にそのエリクサーを譲っていただけませんか?」
ルーカスは一切の迷いのない瞳で、キッパリと言ってのけた侯爵に驚き目を見開く。それと同時に、彼の娘を羨ましく思った。
――自分のために全てを投げ出してくれる親の愛。
実の親にすら信頼して貰えなかったルーカスは、少し泣きそうな気持ちになる。
「――というのは冗談で、お金はいりませんよ。少なくとも、娘のために全てを投げ出せるような貴方から全財産を受け取る事は出来ません。
ただ、その代わりと言っては何ですが、一つお願いがありまして―――」
◇
「あ~。今回は断られちゃったか………」
無理矢理押し付けられてしまった50億エーン分の債券書を見ながら、ルーカスはため息をついた。
ルーカスは、決して割が良いとは言えない王都の法衣貴族の依頼を受けていた理由は総じて「依頼の報酬としてルーベルグ家に嫌がらせをして貰う」という目的があった。
大抵の貴族は報酬を割り引いたり無料にする代わりにルーベルグ家に対して嫌がらせをすると約束してくれるんだが、あの侯爵は「娘の命のために他の誰かを陥れる事何て出来ません」と突っぱねられてしまった。
いい人過ぎて腹立たしくなる。
やはり、案件が案件なので、感情的になってしまって、出だしから少し好戦的になってしまっていたのが良くなかったとルーカスは反省する。
しかし、今更一つくらい突っぱねられても関係ないかとルーカスは思い直した。
言うて、貴族の依頼を受ける度にルーベルグ家への嫌がらせをするように根回しはしてきたし、ちょっとは、自分を捨てたあの家に嫌がらせが出来ているんじゃないかと、自問する。
別に、良い気味でもないが悪い気味でもない。
復讐なんて非生産的で無駄な事だし、それに囚われる事は凄まじく愚かな事だ。
ルーカスはそれを理解しているが、それと同時に、それらが理性だけでは片付けられないというジレンマに苦しめられていた。
――今まで何も考えずに、復讐という行為に勤しんでいた。
或いはルーカスは、復讐のために自分の人生が未だにあの妹と両親に縛られている事が許せないのかもしれない。
――今日は、何とも釈然としない一日だったと、ルーカスはつまらなく思った。
◇
ルーカスは数ヶ月ぶりに、メニアの元へ帰っていた。
侯爵と関わって色々思うところもあって、それと同じくらいに家族からの愛情というものが非情に恋しくなっていた。
三年経って成長してもまだまだ17歳――ルーカスは未だに大人になりきれずにいる。
ルーカスは己の心に粘つく葛藤を吐き出すかのように、恐る恐るメニアに「実は、自分はまだ実家を恨んでいて、復讐を目的とした根回しをしているんだけど、それが非情に滑稽で低俗な行為なんじゃないか」と相談する。
――軽蔑されるかもしれない。そんなルーカスの不安は、あっさりと取り払われてしまう。
メニアは答えた。
――そんなの当たり前じゃないの? と。
「復讐は何も生まないって、言うけれど、やっぱり心に深く傷つけられた傷は何があってもそう簡単に言えるものじゃないし。
そりゃ、確かに復讐に囚われちゃうのはどうかと思うけど、ルーカスくんはしっかりと復讐以外にも人生に楽しみを見いだしているみたいだしね」
そう言いながら、ルーカスが持ち込んだ肴をつまみをぱくっとつまみながら、お酒を流し込む。
「良いんじゃない? ルーカスくんは、あの時の宣言通り本当に世界一の冒険者になって、大金持ちになって、立場を得て。
実家への復讐を道楽に出来るのも、ルーカスくんの努力が勝ち取った権利みたいなものだしね」
結局、世の中は力がある人間が正義なのだよ、ルーカスくん。
ベロンベロンに酔っ払ったメニアの言葉が、ルーカスの心にしっくりと填まり込むのを感じる。
――復讐が道楽、か。食べ歩きとか、女遊びとか、散在とか、数あるルーカスの趣味に復讐を加えてしまう。別に、生活に無理がでてるわけでもないし、何より、ルーカスにとって何でもないような簡単な依頼を受けるだけで、一時の自己満足が帰るなら、それはそれで一つの人生の楽しみ方なのかもしれないとルーカスは考える。
やっぱり、メニアはルーカスのお義姉さんで。
ひとたびこの家に帰ってきてしまうと、唯一無二のSランク冒険者であるルーカスも、どこにでもいる迷える少年になってしまうのだった。
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