一章 ルーカスが冒険者として成功するまで 01

 雨音と馬車馬の蹄が地面に打ち付けられる音がまるで世界を閉ざすような錯覚を覚えさせるほこり臭い木製の空間で、ルーカスは数時間前までは可愛く、そして、ほんのさっき、何の前触れもなく唐突に自分を陥れた義妹、ユースティアの事を思い浮かべていた。


――「ねえ今どんな気持ち? 義兄さんが散々見下してきていた私がちょろっと芝居をしただけで、実の親にまで見限られて順風満帆なはずの人生を閉ざされた今、どんな気持ちなのかな?

   ねえ、教えてよお義兄ちゃん?」


 まぶたの裏に焼き付いて離れないユースティアの愉悦と恍惚の入り交じった、悪魔のような表情。


 唖然だった。

 それは、両親が自分を信じなかった事も、ユースティアのたった一言の嘘によって自分がこうして破門され、実質的な死刑宣告を言い渡されている事にでもない。


 ただ、唯一――こんなにも暗くて性格の悪い兄貴を、例え猫かぶりの演技だったとしても慕ってくれていた彼女の突然の裏切りに、ひたすら打ちのめされていた。


 心の支えを失い、子供ながらに深く負った傷口を埋めていた何かを全て、無理矢理引きちぎられたような阿鼻叫喚の苦しみと、圧倒的な虚無感。

 そして、誰もからも見放されたような孤独と、それに伴う絶望感。


 精神状態が魔法に関与するだなんて情報、どこの書物にもないのに、ルーカスは己の闇魔法が誇大化し、剰えそれが自分を飲み込もうとしているんじゃないかという、そんな恐ろしい感情に囚われていた。


 馬車は駆け続ける。


 ルーカスは、自分がどこに向かっているのかさえも解らない。ここからじゃ、この馬車を操縦する御者がいるのかどうかさえも解らない。


 ――俺は一人だ。


 ルーカスは自分の肉体を鋼よりも語り闇魔法のモヤで包み込む。使っている間は身動きが取れなくなる代わりに、どんな攻撃も通さないほどの強度を得る、そんな魔法。

 自分の殻に閉じこもりたいルーカスにとっては、この上なくちょうど良い魔法だった。


 この魔法を使えば外の冷たさも、馬車の振動も感じなくて済む。目を閉じれば、世界は本当に自分だけのものになって、聞こえるのは音ばかり。


 馬車に積み込まれた堅いパンを食べて、眠り。


 そうして馬車に揺られ続ける事何日だろうか?


 体感的には、実家の街よりも遙かに遠い街に、ルーカスはゴミのようにポイッと、無情にも捨てられた。



                    ◇



 通気性が良く、ストレッチ素材の――それでいて、多少の事じゃ壊れないだけの耐刃性と耐魔性を兼ね備えたインテリ学園の指定ジャージ。

 トレーニングも研究も読書も快適に過ごせるために好んできていたそれと馬車に積み込んであった食パン二斤。

 それがルーカスの手持ちの全てだった。


 宛なし文無し希望なしと三拍子そろったルーカスは、どこかも解らない街の郊外の暗い通りにごろりと寝転んだ。


 雨が降っている。


 何となく闇のモヤを衣のように覆って繭のように包まって転がってみる。


 小さな家だ。


 広くなくても構わない。ただ、身動きが取れないのは些か不便なので寝袋程度のスペースだけは確保してごろりと寝込んだ。


 絶望感が身体中の筋肉を重くするようで、何もやる気が起こらない。


 闇の中に包まりながら、ボンヤリといつものように子供の頃に好んで読んだ英雄譚を夢想する。

 スラム街の孤児から、腕一つで最強の冒険者にまで成り上がったガリウス。かの男は酒と女をこよなく愛し、最後は性病と肝硬変を患って死んでいった残念な英雄。


 彼は冒険を重ねて幾度もなく失敗した。


 ルーカス14歳は思う。もし、俺がガリウスならばもっと効率よく魔物を倒してレベルを上げていくし、俺だったらもっと効率よくお金を稼げる。

 もし、俺がガリウスに転生できるなら、俺の人生は間違いなくバラ色になれるのに……と。


 そう言えば、絶望に打ちひしがれた英雄マルスってのがいた。


 あいつは愛していた恋人にも家族にさえも見放されて、今の俺のように孤独を感じていると、心優しい救いの女神が現れて、彼にとてつもなく強力な神の力を与えた。

 女神に与えられた最強の力と、とっても綺麗で回復魔法を高度に操れる女神本人を手に入れたマルスは、思う存分勧善懲悪を楽しみ、片っ端から女の子を惚れさせて、最後は彼を捨てた恋人や家族に仕返しをして「ざまぁみろ」って笑っていた。


 正直アレを初めて読んだ時は「クソみたいな物語だなぁ」と嘲ったモノだけど、正直今は彼が羨ましい。


 今の俺も大体同じ状況だし、こうして待っていれば救いの女神でも現れてはくれないだろうか。

 性病のリスクもない美しすぎる女神様に思う存分解放して貰えるのであれば、俺は、もしかしたらこの絶望から立ち直れるのかもしれない。


 ルーカスは夢を見る。


 自分が絶大な力を得て、実家を完全にぶっ壊し、実の息子である自分を信用せずにユティの嘘一つで俺をこんな目に遭わせた悪魔のような両親が、なんやかんやで処刑される夢を。

 そして、あの猫かぶりのユティに首輪を付けて思う存分犯し尽くす夢を。


「ははっ、未遂じゃなくて本当に犯されるのってどんな気持ち? ねえ、どんな気持ちなの? ユティ」


 闇の繭の中でうわごとのように呟くルーカス。


 彼は思う。そうだ、冒険者になって見ようと。小汚いスラム出身の、人生生まれながらにして敗者のガイウスでも、冒険者になれば英雄になっていた。

 俺の方がガイウスよりも育ちが良いし、頭が良いし、剣は負けるけどその分魔法と戦術が圧倒的に長けている。


 繭の中で三日待った。


 二斤の食パンが尽きた。お腹が空いて、絶望に打ちひしがれて、救いを求めても結局女神は来てくれやしない。

 でも、冒険者になって大金を稼げれば、マルスに尽くした女神よりも美しい女なんていくらでも抱けるし、それに、与えられた力じゃなくて自分で勝ち取った力なら、あの幸運なだけのクソ男に盛大なマウンティングを取る事が出来る。


 ルーカスの内からふつふつと上がってくるどす黒い野望と動機。


 それが例え、工場汚染に汚されたタールまみれの川よりも濁っていようとも、ルーカスに刺した一筋の希望の光。


 彼は冒険者を志す。


 温室育ちの貴族のお坊ちゃまで、インテリ学園最強の学生ルーカスは親に愛する妹に捨てられて、冒険者を志す。


 この瞬間、後世まで語り継がれる最強の英雄譚が幕を開けた。

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