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【国際】

再会かなわず 少女命絶つ 不法移民規制強化の米 父拘束

米ニューヨーク州サフォーク郡で7月22日、葬儀会場に飾られたハイジさんの遺影(左)

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 中米ホンジュラスから米国に逃れてきた十三歳の少女、ハイジ・ガメスガルシアさんが七月、自らの命を絶った。父親のマヌエルさん(34)が三度目の不法入国で拘束されたことに絶望していた。今月四日には、米テキサス州で中南米系(ヒスパニック)への憎悪犯罪(ヘイトクライム)の可能性が指摘される銃乱射事件が発生。移民の受け入れを厳しくするトランプ政権の下で、彼らにとって米国も安住の地ではなくなりつつある。 (ニューヨーク支局・赤川肇、写真も)

 米東部ニューヨーク州サフォーク郡で営まれたハイジさんの葬儀。最期の別れをするために一時保釈を認められたマヌエルさんは、一人娘との四年ぶりの再会に涙を流した。

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 マヌエルさんは二〇〇七年、親類がいるニューヨークに単身渡り、庭師として働きながら母国の家族に生活費を送っていたという。妻は蒸発し、ハイジさんは祖父母に育てられた。だが一四年に祖父が犯罪集団に殺され、マヌエルさんはすぐに帰国。祖母も一年後に病気で亡くなった。

 マヌエルさんは娘の将来と身の安全を考えてニューヨークの親類に娘を託し、自らも続く道を描いた。ハイジさんは一六年、母国の治安情勢を理由に難民認定を受けた。一方、米移民・関税執行局(ICE)によると、マヌエルさんは一六年と一七年の二度にわたり国境付近で身柄を拘束され、難民申請が認められず強制退去に。さらに今回、六月一日に国境をまたいだところで、また捕まった。

 ハイジさんが命を絶ったのは、その約一カ月後だった。拘束直前に「もうすぐ会える」と電話で励まし合ったのが最後の会話。ハイジさんは父がみたび拘束されたと知り、ひどくふさぎ込んでいたという。

 脳死状態となった娘の生命維持装置を外すことに承諾し、最期を見守ったマヌエルさんは「自分の残りの人生をも絶つ思いだった」と声を震わせた。ただ、娘を渡米させた決断に後悔はないと言い切る。「もし米国に行かせていなかったら…。若い女の子の多くはレイプされたり、殺されたりする。最良の選択だった」と。

 葬儀では参列者らと慰め合いながら、ひつぎで眠る娘をさすり続けていた。「誰を責めるつもりもない。ただ、私の国に安全を提供する体制がないということだ」と訴えた。

 代理人弁護士によると、マヌエルさんは今月下旬に南部テキサス州の収容施設に戻ることになっている。

◆1年で拘束3割増 難民申請受け付け24%減

 ガメスガルシアさん父娘の出身国であるホンジュラスは、ギャングによる治安悪化が著しく、隣接するグアテマラ、エルサルバドルとともに米国を目指す人が多い中米3カ国の一つとなっている。

 米国境警備当局によると、2018年9月までの1年間に身柄拘束した不法入国者は40万4000人。前年から3割増え、このうち中米3カ国が5割以上を占めた。

 これに対しトランプ政権は、難民認定申請を厳格化。国連によると、米国が18年に受け付けた申請件数は25万4000件と世界最多だったが、前年比で24%減った。

 7月には新たな厳格要件として、第三国を経由して来た人々について、その国で難民認定を拒まれた場合にのみ申請を認める方針を発表。国連難民高等弁務官事務所は「暴力や迫害から保護が必要な人々を危険にさらす」と懸念している。

 

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