Back Lash 2
傷つけることしかできなくて 【8】
加賀見が和浩の部屋を訪ねた頃、航河は疾斗に無理やりバーに連れ込まれ、カウンターからほど近い席に座らさされて、絡まれていた。
「……疾斗。そろそろやめておかないと、明日にひびくぞ。」
「んなことどうでもいいんだよ! それより――。」
どんどん、声の音量が大きくなる疾斗の口に、食べ物を放り込むことで黙らせた航河は、ウイスキーのグラスを持ち上げて口に流した。
その時、新たな客の来訪を告げるチリンという古風な鐘の音が聞こえた。
何気なく、航河はそちらに目を向けた。
「……………………。」
男女の2人連れだった。
別段普通のカップルのような感じで、普通なら、気にも止めないものだったが、今回は少し違った。
そのうちの1人――男の方を見知っていたのだ。
男は、航河に気づく様子もなく、カウンターに座った。
その時、ようやく航河によって突っ込まれた食べ物を咀嚼した疾斗が、涙目で航河を睨みつけた。
「アル! な――!!」
何てことするんだ! という疾斗の抗議の声は、今度は航河の手によって塞がれた。
その手をつかんで、振り払ってさらに文句を言おうとした疾斗は、ハッと、航河の様子が先程とは全く違う、厳しいものになっているのに気づいた。
「……アル?」
「……黙ってろ。」
「……………。」
緊張したような、不機嫌そうな声でそう言われて、疾斗黙って、航河が気にしている方向を探った。
そして、程なく、カウンター席に座ったカップルを気にしているのだと気づいたが、それが何だというのかは、わからなかった。
ただ、いぶかしそうに、不機嫌そうな航河の顔を見ていた。
「――で? どうしたの?」
「……なんだ、オマエもそんなことに興味があるのか?」
「さあ? あなたがひどい人で、普段は仮面をかぶっていることくらい、私はとうに知っているし、変な趣味を持っていることも、知っているわ。」
「変な趣味とはひどいなあ~。」
「だって、変じゃない? ……自分に興味のない女の子、無理やりものにするのが好きだなんて。」
「恋愛としては、常とうな手段じゃないか?」
「それは、あなたが先に相手を好きだった場合、当てはまることでしょう?」
「さあ? どうだったかな?」
「もう! ――で? そのかわいそうな子、どうするの?」
「かわいそうじゃないさ。……ちゃんと、楽しませてやってるんだから。ま、昨日は、一方的におれが楽しんだな。面白かったぜ~。自分がどれほど痛い目にあっても、好きな相手を侮辱されることはもっと耐えられないらしい。」
「――好きな相手? あなた知ってるの?」
「ああ。偶然その女と話してるところを見つけてな。……会話を聞いてたら面白かったぜ。女の話なんか聞きやしねえ。一方的に誤解して、なじって、可愛そうに、その女、言葉も出ないくらいにショックを受けてたぜ。」
「……元凶さんは、その後、どうしたの?」
「もちろん、その男に、その通りだと頷いてやって、満足そうに帰っていくのを見送ってやったさ。」
「…………?」
「ま、その後は、いつもの通り。男のことを、ひどいヤツだなあって言ってやったのに、『俺程じゃない!』って怒鳴りつけて、初めての時以上に抵抗してくるもんだから、殴りつけて、大人しくさせたな。」
「――最低。」
「その最低男が好きなくせに。」
「……あんまりひどいと――!」
男――国府田と話していた女が眼を見開いた。
国府田が何事かと後ろを向いたとたん――。
ガッ――!!!
国府田はいきなり襟首をつかみ上げられて、半ば体を中に浮かされるほどに引き上げられた。
「な――!?」
何が起こったのかわからないまま、苦しい息の下、自分の襟首をつかみ上げている男を確認し、今、まさに自分が話題に出していた相手の男だと言うことに気づいた。
「アル!!」
その男を止めようとする、別の声が聞こえたが、目の前の男は、力を緩めようとはしなかった。
「――お、まえ……。」
「キサマ、ひとみを――!?」
「アル! やめろ!!」
男の連れらしい、もう1人の男が、後ろから両腕を抑えて必死で止めている。
店の他の客がザワザワと騒ぎ、店員が、「警察をよびますよ!」と叫んでいるのが聞こえる。
「――……表、でろ。」
「アル! よせって!!」
「オマエは黙ってろ!!」
「おい――!!」
不意に力を弱められて、国府田はそのまま床へ崩れた。
が、床に尻餅をついた状態のまま、国府田は嘲笑うかのように、目の前でもめている相手を見ていた。
「はっ! 何に腹を立ててるのか皆目検討がつかないね。あの女のことなんて、オマエ、眼中になかったんだろ?」
「――!!」
さらに怒りを激しくさせた男が、必死で仲間の手を振り払おうともがいている。
その様子を嘲笑いながら、国府田は立ち上がった。
女の方は、あきれたように国府田を見ていたが、立ち上がった国府田に、「自業自得。1回殴られてみたら?」と、冷たく言い放った。
「冷たいなあ、オマエ。」
「あら? 私がこんな女だってことくらい、知ってたんでしょ?」
「……まあな。」
まだ、仲間に抑えられている相手をチラリと見ながら、国府田はため息をついた。
「いい加減にしないと、本当に、警察を呼びますよ!!」
店員の1人が叫ぶ。
「アル! 外に出ろ! オマエも来い!!」
焦れた疾斗が航河を蹴り飛ばし、国府田の腕をつかんで店から引きずりだした。
女の方は、疲れたようにため息をついて、仕方ないと、自分たちの分と、あの見知らぬ男たちの分の清算をして店から先に出た男たちを追いかけていった。
男たち3人は、店から程近い、コンビニの前の駐車場にいた。
少しばかり、頭の血が下がったのか、国府田にいきなり掴みかかってきた金髪の男は、国府田と真正面からにらみ合っている状態だった。
もう1人の男も、複雑そうな顔をしてはいたが、直接殴りかかろうとしないなら、止める気はないらしかった。
国府田は、女が近づいてくるのに気づき、勝ち誇ったように笑った。
「留衣子! 警察をよんでくれ。ここに暴漢がいるとね。」
「キサマ――!!」
「おい! オマエ――。」
金髪の男の連れが、慌てたように国府田に詰め寄ろうとしたとき、留衣子と呼ばれた女の言葉に、皆が止まった。
「――いいけど。……私、正直に言うわよ?」
「「え――?」」
航河と疾斗の声がかさなった。
国府田の方は、唖然とした顔で、留衣子と呼んだ女を見ている。
「……留衣子……?」
「私、嘘なんか言わないわよ? あなたがやってる事が正当性を欠いているんだから。単に言いふらしたり、通報したりしなかったのは、面倒だったから。それに、特に理由も無かったからよ? 被害者の事も知らないし。……でもねえ……。」
そこで女は1回言葉を切って、航河と疾斗を見て、ため息をついた。
「こうやって、関係者に会ってしまったんですもの。私が知っている限り、きちんと答えるわ。……私まで、共犯に、いえ、違うわね。詐称罪なんかでつかまりたくないもの。」
「留衣子!!」
「……ありがたいことに、決まり、だな。疾斗。警察に連絡だ。」
「ちょ……、待てよ! 確かに彼女が証言してくれたらありがたいけど……。」
「疾斗、早くしろ。」
「……そこの金髪の彼氏。言っておきますけどね。……強姦罪は、親告罪なのよ? ……被害者が告発しない限り、犯罪にはならない。」
「…………。」
「つまり、その被害者である『彼女』が訴えない限り、罪にはならないわね。」
留衣子と呼ばれた女性の言葉に、国府田が勝ち誇ったように笑った。
「――確かにそうだったな。訴えるにしても何にしても、あの女が出てこない限りは話にならない。アイツは出てこないさ。」
「そんなこと、わからない!」
ひとみのことをわかりきっているかのように言う男に、航河は煮えたぎるような憎悪を感じた。
――理由はわかっている。
『嫉妬』だ。
今更、自分にはそんな資格がないことくらい、重々承知していた。
それでも、感情は抑えることができなかった――。
「いや、わかるね。あの女の最後の砦はオマエだったはずだ。そのオマエに自分を否定された。訴える気力すらないだろうな。」
笑いながら、話は終わったと、国府田はゆうゆうと歩き始めた。
国府田には航河を暴行罪で訴える気は、さすがに起こらないだろう。
訴えた場合、その原因は追求される。
3:1といってもいいこの状況で、国府田がいくら違うといっても、被害者である女の証言がとれなくても、『強姦したらしい』というレッテルはつく。
それは、確かに自分で行ったことではあるが、問題のある行為であり、噂だけでも社会的に非難される事であることくらい、国府田にもわかっていた。
そして、社会的な自分の立場を傷つけることになる。
訴えられた場合、白をきりとおすだけの自信はあったが、それでもリスクは少ない方がいい。
――確かに、あの女側の男たちに自分の行動を知られたことは、不安要素として残るが、あの女に対して『訴えを起こせ』告げることは、傷をさらにえぐることになりかねないということくらい、気づいているだろう。
そして、それを圧してまで、強要できるほどの厳しさ、強引さを持ち合わせていなさそうだ。
――結局のところ、甘いのだ。
「じゃあな。」
と肩越しに手をヒラヒラさせながら歩いていく国府田の後姿を、視線で人が殺せるなら、一瞬で相手は死んでいるだろうくらいに思えるほど強い憎悪の視線で航河は睨みつけていた。
握り締めた両手は震え、手のひらの皮を自らの爪で破ったらしく、血が流れ、滴っているのに、疾斗が気づいた。
「アル!! オマエ何やって――!!」
慌てて、血止めをしようと航河の手に触れた疾斗の手を、航河は乱暴に振り払った。
「おい――。」
その行動に抗議しようとした疾斗は、航河の顔を見上げて声を失った。
航河をよく知っている疾斗ですら、声をかけるのを躊躇い、一瞬怯えてしまうほどの怒りが航河から立ち上っていたのだ。
その航河は、そのまま、何も言葉を発することなく歩き始め、雑踏に消えていった。
ただ、疾斗はそれを見送ることしかできなかった。
――どのくらい、そこに立ち尽くしていただろう。
ほんの一瞬かもしれなかったが、疾斗は後ろから聞こえた女のため息で、漸く我に返った。
「あ……と、悪かったな。あんたを巻き込んで。」
そして、あのいけ好かない男の連れであったとはいえ、それなりに常識をわきまえていて、取り様によっては自分たちに協力をしてくれようとした女に、疾斗はちょっとばかり躊躇いはあったが、謝った。
その疾斗の心中を敏感に察していたのか、女は苦笑した。
「別に。私の連れが悪いんだから、仕方ないわ。」
そして、女はハンドバックから名刺ケースを取り出すと、疾斗に一枚渡してきた。
「……あなた達が、これからどうするのか知らないけど、まあ、こんな私でもよかったら、少しくらい証言するわ。」
「あ、どうも。」
そんな風に申し出てくれるとは思わなかった疾斗は、一瞬、呆けたように返事をして、条件反射的にそれを受け取った。
そして、ハッと気づいたように、頭を切り替えて、その女の正面に立ち、顔をまっすぐに見詰めた。
「――その時は、お願いする。よろしく、頼む。」
「ええ。」
いきなり真面目な顔で自分に向き直ってきた、自分より少し年下に見えるその青年の言葉に、留衣子は苦い思いを感じつつも、しっかりと頷いた。
航河は雑踏の中を、自分に対する怒りを振りまきながら、歩いていた。
すれ違う人が皆、航河からかもし出される剣呑な空気に怯え、遠巻きにしていた。
だが、航河には、そんなことは目に入らなかった。
航河の頭を現在占めているのは、昨日会ったときのひとみの様子だった。
ひとみは航河の言葉に、明らかにショックを受けて怯えていた。
そして、あの男が現れて、それはさらに強まったように、思われた……。
今思い出せば、冷静にそう判断できる。
でも、あの時は――。
「クソッ!!」
ドカッと、目の前にあった電柱に、航河は右手を打ちつけた。
鈍い痛みを感じ、手の甲が割れたのがわかった。
だが、そんな痛みは気にならなかった。
あの男がつけて、自分がえぐったであろう、ひとみの心の傷に比べれば――。
航河は、のろのろとポケットから携帯を取り出すと、もう、二度とかけることはないだろうと思っていたナンバーを呼び出す。
【香西ひとみ 090-××××-〇〇〇〇】
通話ボタンを押したが、機械のむこう側で、無機質なコール音がしばらくの間鳴り続き、やがて、留守電に切り替わった。
舌打ちしながら、航河は携帯を切る。
ひとみの携帯のディスプレイには、ナンバー登録が消されていない限り、自分の名前が出ていたはずだ。
だが、ひとみは取らなかった。
――単に、気づかなかっただけかもしれない。
――取る気が無かったのかもしれない。
……しかし――。
「……なんて、言う気だったんだ……。」
例え、ひとみが電話を取ったとして、自分は、彼女に何をどういえばいいのだろう。
そんなことを、今更に考える。
彼女を傷つけた。
謝りたかった。
たとえ、許してもらえなくても。
それでも――。
……だが――。
「――俺に、謝る資格は、ある、のか?」
そんな資格すら、ないかもしれない。
彼女を傷つけたのは、きっと、今回が最初じゃない。
あの時――。
数ヶ月前の雨の日のことが、刻銘に思い出される。
彼女はうっとりとした表情で、航河の髪を誉めた。
だから、思った。
『ああ、結局ひとみも、その他多数の女と、全然変わらなかったのだ』と――。
あの時も、ひとみは悲しそうな顔で、航河を見ていた。
違う、と。
話を聞いて欲しい、と。
訴えるひとみの言葉を、自分は頭から無視した。
彼女は素直だ。
――彼女のあの言葉には、深い意味はなく、きっと、見たまま、その時の感情を、ポロッと口にしたに過ぎなかったのかもしれない。
だが、あのときの自分は、あの言葉が、きっと、彼女が自分に近寄ってきた原因の全てなのだと思い込んだ。
ギリリと噛み締めた唇から、血の味がする。
……自分は、彼女を愛しているつもりで。
……信じているつもりで。
全く信用していなかったのだ――!!
そんな自分が、更に彼女を傷つけて、どの面を下げて謝れるというのだろうか?
――彼女を信用せず、自分だけが傷ついたつもりで、それ以上に彼女を自分自身が傷つけていたなんてことなど、考えもしなかった自分が――!!
航河は、皮肉な笑みを浮かべた。
それはもちろん、自分に対して。
なんて、馬鹿な人間だろうと、嫌気がさした。
うわべしか見ていないのは、自分の周りに集まる女でなく――他でもない、自分自身だったのだ――!!!
「……………! ――カズ!!」
そして、不意に思い出す。
ひとみを庇い、自分に対して、本当に珍しい、怒りをあらわにしたカズ。
「――……カズは、知って……。」
いたのだろう。
そして、ひとみに相談を受けていたのかもしれない。
カズなら、口も固い。
それに、親身になって、ひとみを庇い、慰め、そして支えるだろう。
だから、ひとみはカズを頼りにして、甘えたのではなか。
そのカズとの仲を疑い、ひとみを最低な女だと決め付け、彼女にひどい言葉を投げつけた。
そして、カズにも……。
航河は自分の行為の最低さに気分が悪くなり、吐き気がした。
ギュッと唇を噛み締め、握ったままだった携帯を再度開いた。
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