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2019-08-09

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・夜中に口に出して言ってみる。
 「自信しかない」。
 おお、気持ちいい、いい。
 「自信しかない」が、耳から入ってくる。
 発したのもじぶんだけれど、耳から聞いたのもじぶんだ。
 「自信しかない」は、増幅されて倍になったぞ。
 ま、そんなこともないのだろうけど。

 前々から、声に出すということに興味がある。
 みんな、カラオケとかするでしょう。
 あれって、歌っているだけじゃなくて、
 バック演奏という「額縁」をつけたじぶんの歌を、
 聴いていることでもあるんだよね。

 モニターのないところで、歌うのって、
 だだっ広い壁に吸い込まれてしまうみたいで、
 ものすごく歌いにくいし、しゃべりにくい。
 じぶんの声が聞こえないのは、つらいことだ。
 そういうことと関係あるのかないのか、
 黙読というのは、音声を使ってないから、
 耳からの刺激はないというわけだよね。
 音読に比べたら、ひとつ弱い、とも言えそうだ。

 音読は、ものすごく重層的だよ。
 まずは目で記号を読んで、読みながら内容をイメージし、
 のどや腹の筋肉をコントロールして音声に変換して、
 音の波を耳から入れてそれを聴く。
 もしかしたら読んだときとちがう回路で、
 聞いた内容をとらえ直しているかもしれない。
 こんなにいろんなことをやっているのだから、
 音読で得たものは、とても立体的なのではあるまいか。

 こどもへの絵本などの「読み聞かせ」の効用が、
 よく語られているけれど、そこには、
 読み聞かせている大人にとっての、
 音読の効用もあるのだろうとも思う。
 音読は、大の大人はやらないことになっているし、
 みんなが音読をしていたらうるさいとは思うのだけれど、
 これ、ラジオ体操なみに、よいものなのではなかろうか。
 『音読してたら、頭がよくなる』、出版しちゃったりね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
東京ドームでビールのように『岩田さん』を売りたいなぁ。


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